まずは基本的な情報から固めるか。独り言のような口調で家彦が言った。
「じゃあ〈手掛かりの吟味〉で、その『殺害現場』ってカードを……めくっていいか?」
素尚はテーブルの中央に目を走らせた。三列かける七行、合計二十一枚のカードが並んでいる。文庫本ほどのサイズで、印刷したA4コピー用紙をボール紙に貼りつけたらしい。
「どうぞどうぞ。手の届かないところにあるカードは他のプレイヤーに頼んでください」
万慈が答えると、家彦は目の前にある「警察/殺害現場」とゴシック体の活字で綴られたカードを裏返した。「字が細かいな」「すみません、急ごしらえで」家彦のツッコミに万慈が頭を下げる。
手掛かりカード〈警察/殺害現場〉
姫白夕貴の両親が警察から説明された内容は次のとおり。
- 遺体は紫ヶ森湖の湖畔に打ち寄せられていた。
紫ヶ森湖の北東、巫女観音の祠から五十メートルほどの地点。 - 祠の前を通る生活道路、祠の裏から血痕がみつかった。
生活道路のほうは点々と散らばる程度、祠の裏手や草むらに少量の血溜まり。 - 被害者は愛岐高校の夏服姿だった。半袖の白いブラウス、紺色のプリーツスカート。
- 遺体はブルーシートでくるまれ、その上から荒縄が緩やかに絡みついている。
以下は推測になるが、石などを重しとして一緒にくるんだのではないか。
縄が解けて石がこぼれおち、結果的に死体がブルーシートごと浮上したと思われる。 - ブルーシートの隅にタグがあり「物置(グ)」とマジックペンで記されている。
- 果物ナイフもブルーシートにくるまれていた。血痕は無し。湖水に溶けて消えたか。
量産品であり、購入者を調べることは困難と思われる。
念のため補足しときますと。万慈が口を開いた。
「これらの手掛かりはみんな私立探偵であるわたくし、唐木戸万慈が集めてきたものです。手掛かりカードにある文章は俺が書いたんだと思ってください」
家彦が、うんうんと頭を小さく揺らした。
「意見交換しておくか。多分、夕貴は祠の前で刺されたんだろうな。日庭神社から姫白神社へ帰ろうとした。その途中、祠の前を通りがかったところを襲われたわけだ」
素尚は焦りを覚えた。いきなり殺人のタイミングと場所が特定されてしまった。
「人目につかないよう、いったん犯人は夕貴の遺体を祠の裏手に運んだ。道路からは草むらで見えないってことだろうな。ブルーシートで遺体をくるみ、重しとして大きな石も入れて、荒縄でくくって湖に沈めた。これで大丈夫と安心していたら、縄の縛りが甘かったのか石がこぼれて、遺体が岸に打ち寄せられたわけだ――誰か、他に考えは?」
「巫女観音って凄いネーミングだよね。神道ミーツ仏教じゃん」
からかうような口調の小衣に、家彦は「まあな」と応じた。
「ボートかなにかで岸から離れないと、死体を沈めるのは難しそうですね」
美月が考えあぐねるように言った。
「ただ、この手掛かりには遺体が打ち寄せられた岸について詳しい記述がありません。港のようにすぐ深くなっているのかもしれませんね」
「グってなんだろ」小衣がつぶやいた。
グ? 兜斗が首を傾げる。
「タグのグ」
「たぐのぐ?」
頬を歪めていた千笑美が、遂に吹きだした。
「ブルーシートのタグ。物置かっこグかっこ閉じるって」
兜斗は考えこむように瞼を細めたが、言葉は続かなかった。
「まあ、後でわかるだろ。バトンタッチといこう」家彦が千笑美へ目線を送った。
「じゃあ私も基礎固めで。それ、お願いできますか」
千笑美に頼まれた美月が手を伸ばしたのは「警察/検屍報告」と綴られたカードだった。
手掛かりカード〈警察/検屍報告〉
姫白夕貴の両親が警察から説明された内容は次のとおり。
- 直腸温などから総合的に判断し、死亡時刻は昨日の午後四時から七時までと推定される。
- 傷と刃物の形状が一致することから、凶器は果物ナイフである可能性が高い。
- 直接的な死因は大量出血による出血性ショック死。
刃物で左胸を一突きされ、心臓を逸れたものの太い血管が傷つけられた。 - 即死ではない。一時間ほど意識を保っていた可能性がある。
着衣に付着した血が少ない。ナイフが栓の役目を果たし、出血量が少なく済んだ。
死の直前、もしくは死後まもなく抜いたものと思われる。 - 姫白家から採取した指紋ならびに毛髪のDNAが遺体と一致した。
遺体を確認した両親も姫白夕貴と認めている。
千笑美は基本情報の紙を手にとった。時系列表を眺めている。
「ううん、四時から七時までアリバイのある人はいない……ですよね?」
素尚も時系列表を確かめてみる。「兄さん、」たまには発言しないと怪しまれる。そんな焦りがあり、素尚はうっかり言い間違いをした。
「すみません、えっと、各務原先輩にはアリバイがあります。片づけをしていたときは生徒会の人たちといて、八時過ぎまで物置に閉じこめられていたわけですから」
まあな、と家彦は軽い調子で応じた。
「質問」小衣が、万慈のほうに顔を向けて手を挙げた。
「犯人当て小説だとよくある前提だけど、犯人って単独犯なの?」
「それについては」にこやかに万慈は微笑んでいた。
「残念ながら、お答えいたしかねます」
億万長者の葬儀の後で、弁護士が遺言書の存在を打ち明けたかのようだった。誰か一人くらい「それはどういう意味だ」と抗議しそうなものなのに、不気味な沈黙が横たわっている。その意味をそれぞれが遅れて理解し、誰もそのことに触れようとしなかった。
「ナイフがしばらく刺さったままだったというのがひっかかりますね」
気を取り直すように美月が声をあげた。
「犯人は姫白さんをナイフで刺した後、抜かなかった。しばらくして姫白さんが息をひきとって、遺体を湖に沈める前にナイフを抜いた。どうして抜いたんでしょう?」
答えを知っている人物が二人いることを素尚は知っていた。一人は自分、もう一人は姫白夕貴の遺体を湖に沈めた誰かだ。キャラクターとしての素尚は、返り血を浴びる恐れからナイフをそのままにして立ち去った。遺体を沈めた誰かは凶器を隠そうとして抜いたのか。いや、ブルーシートからみつかったのだから、それはないか。
「そこに深い意味があるとは思えないな」家彦が口を挟んだ。
「ブルーシートでくるんだり荒縄でくくったりする間、刺さったままだっただけだろ」
「では、いざ沈めるというときになぜナイフを抜いたのでしょう」
「たしかにそこは謎だな。まあ、痛々しいとか、気の毒に思っただけかもしれんが」
家彦が顔をうつむける。隣で千笑美が、本物の恋人のように心配そうな表情をしている。
「そろそろ、いいか?」
兜斗が口を開き、ハッとふりむいた千笑美が「どうぞ」と告げた。
「グがわかった」
グ? 小衣が首を傾げる。
「タグのグ」
「たぐのぐ?」
千笑美が顔を伏せ、小刻みに肩を震わせている。
「グラウンドのグだ。素尚くん、それ頼めるか」
指さされたカードを素尚は吸い寄せられるようにみつめ、手にとって裏返した。
手掛かりカード〈職員室/物置(グラウンド脇)の備品リスト〉
グラウンド脇にある物置の備品リストだ。
パイプ椅子/長机/ブルーシート/テント/白線引き/石灰/ストップウォッチ/巻き尺/砲丸/ハードル/猫車/荒縄/草刈り鎌/スコップ
兜斗が深く頷く。代弁するように小衣が「ブルーシートと荒縄がある!」と声をあげた。
そういうことか。つられて素尚も頷いた。この学校には物置が、グラウンド脇と体育館裏の二つあるのだろう。グラウンド脇のほうの物置に収めているブルーシートだと示すため「物置(グ)」とタグに記したわけだ。
「じゃ、もうひとつのほうも確認しようか」
「愛季さん、アウト。手番をまわして大丈夫か兜斗さんに確認して」
すかさず万慈が注意する。小衣がてへっと舌をだしてウインクしながら自分の頭を拳でごっつんこした。息をするのを忘れたように美月がそれを凝視している。
いいすか。どうぞ。小衣と兜斗が小声でやりとりし、椅子から腰を浮かせた小衣が手を伸ばすと目当てのカードを裏返した。
手掛かりカード〈職員室/物置(体育館裏)の備品リスト〉
体育館裏にある物置の備品リストだ。
パイプ椅子/長机/ブルーシート/マット/跳び箱/平均台/バスケットボール/バレーボール/バレー用ネット/卓球台/ラケット/ピンポン玉
素尚はリストに目を走らせた。こちらにもブルーシートはあるが、荒縄は無い。ということは遺体を湖に沈めた人物はグラウンド脇の物置を利用したのだろう。
「そういや各務原さん……あ、質問はいいんだっけ?」
小衣が万慈のほうを伺った。即座に万慈が「問題ない」と答える。
「手掛かりに関係する話題で、十分以上の長話にならなければ良い。一般的なマーダーミステリーと同じで、会話を愉しんでくれ」
「それじゃ遠慮なく。各務原先輩が閉じこめられたのはどっちの物置だったんですか?」
「――グラウンド脇のほうだ」
念のためのつもりか、家彦はシナリオを開いて文章を確認してから答えた。
「ということは」衝動的に素尚は口を開いた。
「各務原先輩が物置に閉じこめられていた間、午後五時から七時まではブルーシートなどをとりだせない。死亡推定時刻は四時から七時。つまり、犯人は午後四時から五時の一時間のあいだに物置からブルーシートを持ち去って、姫白先輩を襲ったんですよ!」
美月が親指を立てた。「グッド!」のつもりだろう。
素尚は心が浮き立つのを感じた。これが嘘なのは百も承知だ。なんだか美月を騙しているようで申し訳ない。でも、こうやって前向きな姿勢で仮説を唱えておけば、素尚が犯人だという印象を抱かれにくくなる。
「ウーン、四時から五時でも絞れないね」小衣が時系列表を眺めながらぼやいた。
「辰木先輩とか深川先生なんて、どうなんだろ? 図書当番って見学者が途切れる時間帯もあったんじゃないの。ブルーシートを持ち去るのと殺人を別々に実行したとか」
「困難は分割しろ、ですね」美月が微笑む。
「ミステリによくある手です。ただ、メタ発言になってしまうけど、このゲームってアリバイの有無は決め手にならないと思うの。たとえば帰宅後のアリバイが曖昧ですよね。現実の事件なら同居する家族の証言とかありそうなものですけど」
納得したように小衣が頷き「じゃあ、次ってことで」と素尚に合図した。
「僕も〈手掛かりの吟味〉で。たぶん、これも基本的な情報だと思います」
素尚が手を伸ばしたのは「巫女観音/東側」と書かれたカードだった。
手掛かりカード〈巫女観音/東側〉
紫ヶ森湖の北東にある巫女観音の祠を、ほぼ正面から撮影した。
モノクロのイラストがあった。線のタッチからして人物イラストと同じ人が描いたのだろう。銅板葺きと思われる屋根に格子戸、その前に小さな賽銭箱が置かれている。名前からして観音様の像があるはずだが、格子戸に遮られて見えない。
祠の前は道路のようだ。黒い点が散っているのは血痕のつもりか。祠の背後は草むらで、遠くに水平線があるのは湖だろう。
「警察からの情報と矛盾はなさそうですね」
なにかコメントしたいが、なにも思い浮かばない。素尚は美月に手番をまわした。
「どうせですから、こっちも確認しておきましょう」
美月が手を伸ばしたのは「巫女観音/西側」というカードだった。
手掛かりカード〈巫女観音/西側〉
紫ヶ森湖の北西にある巫女観音の祠を、ほぼ正面から撮影した。
こちらもイラストがあった。
「同じじゃん」
吹きだすのをこらえるような声で小衣が言った。「なにこれ、意味ないよ」小衣に顔を向けられても、万慈はニヤニヤと笑みを浮かべるばかりだった。
じっくりと素尚はイラストを観察した。だが、小衣と同意見だった。コピーしたかのように同じ絵だ。強いて言うと道路に汚れがない。東側のほうはやはり血痕のつもりなのか。
「東側と西側の祠を勘違いさせるトリックがあったのかもしれないですね」
苦し紛れの思いつきを素尚は口にした。「そうだね」と小衣が慰めるように応じた。
そろそろ三周目にいきましょうか。万慈が声をあげた。