千笑美が「探偵さん、お願い!」と手を合わせて万慈を拝み、シナリオを読む時間は五分延長となった。素尚は再読を終えたシナリオを閉じると周囲を見渡した。
 兜斗はいつもの仏頂面。美月は眠そうに目を細め、テーブルに肘を突き指先を組み合わせたまま動かない。小衣はまだシナリオを読んでいる。こめかみを人差し指でトントンとリズミカルに突きながら楽しげにしている。
「大丈夫か」向かい側に座る兄が、ウインクを送ってきた。
 とっさに素尚は「全然ダメだよ」と返事をした。これで伝わるだろうか。いや、きっと兄なら察しているだろう。弟に与えられたのは犯人役だと、心理的に追い詰めようとする万慈の策略はすでに始まっているのだと。
(本当に?)
 万慈は辰木素尚こそ姫白夕貴を殺害した犯人だと信じ、このゲームで揺さぶりをかけようとしているのか。辰木家での検討会で、家彦には犯行が不可能だと結論された。でも素尚のほうが夕貴を殺した可能性は残っている。だから万慈は、素尚が犯人という前提でマーダーミステリーを構想したはずだ。
 それにしてはゲーム内の事件が現実の事件と大きく異なる。殺害手段が絞殺ではなくナイフだし、湖岸で死体がみつかったのは同じでも滝や地下水脈はでてこない。シチュエーションが同じなら、うっかり犯人しか知りえないことを口走るなんてミスもあるだろう。これだけ違いが大きいとそんな罠を仕掛けるのは無理に思える。
「どうです?」
 万慈が声をかけると、千笑美は「は、はい」と返事をした。隣に座る家彦に「よろしくお願いします」と頭を下げる。とまどった様子で「こちらこそ」と家彦が応じた。
 素尚は違和感を覚えた。千笑美はなぜ兄にだけ声をかけたのだろう。
「それじゃ始めますか。一周目は全員〈申し開き〉をしてください」
 シナリオを配った後でサイコロを振り、先頭は家彦に決まっていた。万慈に視線を送られると、家彦はシナリオを片手で細めに開いた状態で持ち、口を開いた。
「俺は各務原家彦、愛岐高校の三年生だ。生徒会で書記をやっている。家が姫白神社のすぐ近くだから、夕貴のことは子供の頃から知ってる。夕貴のほうがひとつ年下だから妹みたいなもんだ。だから犯人のことは……」
 不意に言葉を途切らせ、家彦はうつむいた。
「殺してやりたいほど恨んでる」
 暗い響きのある声だった。演技だとわかっているのに素尚は思わず息を呑んだ。
「この中では深川先生と辰木くんを知っている」
 声の調子を戻すと家彦は美月へ、そして素尚のほうへ視線を送った。
「といっても夕貴が郷土史クラブにいて、深川先生がそこの顧問、辰木くんが夕貴の後輩だと知ってるだけだ。ああ、もちろん日庭さんはクラスメイトで……まあ、いいか。後で日庭さんの口から説明してくれ」
 家彦が目を向けると、千笑美は困ったようにはにかんだ。
「昨日のことを話そう」
 家彦の言葉に、素尚は混乱しそうになった。昨日?
 基本情報の紙に書かれたイントロダクションの文章が目に入った。そうだった、ここは物語の中だ。まだ夏休みは終わっていない。姫白夕貴の遺体が発見されたのは今朝、殺人が起きたのは昨日の午後のことだ。
「知ってのとおり学校説明会があり、生徒会の役員の一人として裏方仕事をしなければならなかった。昼過ぎはそれほど忙しくなかったんだ。説明会は参加希望者が多く、一時からと三時からの二部制で俺は三時からの担当だった。午後一時に登校して生徒会室にこもり、書類仕事を片づけていた。息抜きのつもりで二時過ぎに図書室へ行った」
 家彦は視線を下げると、シナリオの文章を確かめた。
「実は一昨日の夜、夕貴から電話で訊かれた。夏休みでも学校の図書室は開いているかってな。学校説明会の日は見学希望者のために開けるはずだと教えた。『紫ヶ森むかしむかし』とかいう、昔話を集めた古い本がどこを探してもみつからないんだとか」
 ゲーム内の家彦と夕貴は連絡先を交換するくらい親しいのか。すると、ただの幼なじみではないのかもしれないと素尚は思った。
「足を運んでみたら案の定、図書室に夕貴がいた。スマフォで誰かにメッセージを送ろうとしていたな。後ろから声をかけたら、覗くなって怒られたよ」
 やっぱり距離感が近いように感じる。この二人、そういうことなのか。
「この後はどうするのか訊いてみたら、夕貴は日庭神社に行ってくると。あんな山の中にかと驚いたんだが、神社へ行く理由は話してくれなかった。俺は生徒会室に戻って、仕事を再開した。午後三時からは学校説明会に忙殺されたよ」
 困ったことが起きたのは五時過ぎ、説明会が終わって片づけをしていたときのことだ。頭を掻きながら家彦が言葉を続ける。
「物置に閉じこめられたんだ。パイプ椅子を片づけて、さあ戻ろうと思ったら扉が開かなかった。もう中に誰もいないと勘違いした奴が鍵をかけたんだろうな。誰か通りかかったら助けを求めればいいと思っていたんだが、一時間以上が過ぎても誰も来やしねえ。だんだん心細くなってきた。こんな蒸し暑いところで過ごして熱中症にでもなったら? 夏休みだし学校には誰もいなくなるんじゃ?」
 右へ、左へと不安そうな顔を向ける。演技を愉しんでいるなと素尚は思った。
「スマフォは持ってたんだ。だが、電波が届かなかった。だんだん不安が募ってきて必死になった。あっちこっちスマフォをかざして、ようやく電波が届くところをみつけた。これで助けが呼べる! そう安心したら……生徒会の奴らに電話する気になれなくなった。うっかり俺を閉じこめた奴に恥をかかせるようで悪い気がしてな。思い浮かんだのが日庭さんだった。たまたま夕貴の口から日庭神社って名前がでたから連想したのかもな」
 家彦が、隣に座る千笑美を一瞥した。
「事情を話して、日庭さんが来てくれたのは七時頃だった。鍵を壊してもらって、ようやく助かった。お礼に自販機でジュースを奢って、しばらくダベって、なんだかんだで学校をでたのは八時過ぎだったよ。その後はまっすぐ家に帰った。以上だ」
 長く話して喉が渇いたのだろう、家彦はグラスを手にとり麦茶を一口飲んだ。その隣、千笑美がシナリオに目を走らせていたかと思うと口を開いた。
「えっと、日庭千笑美です。各務原くんとはクラスメイトで……その……」
 言いよどむ千笑美に、小衣が「がんばって」と声をかけた。
「お付き合いしてます」
 空気にひびが入った。
 家彦が驚愕に目を見開いている。美月がブリッジに人差し指をあて眼鏡の位置を直した。
「他のみなさんとはほとんど初対面ですね。深川先生は国語の授業を受けたことがあります。姫白夕貴さんとはつながりがないです。もちろん紫ヶ森では有名な人ですから、名前くらいは知ってます。さっき『日庭神社』という名前がでてきましたけど、うちは戦前まで神社をしていて、それが廃寺ならぬ廃神社しちゃったみたいです」
 大地震の揺れが続いているような雰囲気を気にすることもなく、千笑美は言葉を紡いだ。
「事件当日のこと、ほとんど各務原くんが言ってくれたとおりです。家でのんびりしていたら各務原くんから電話がかかってきて、助けを求められました」
 素尚はアッと声をあげそうになった。考えてみれば、ただのクラスメイトなら電話番号を知っているはずがない。二人は恋人同士だから電話番号を交換していたわけか。
 一周目が始まる直前、千笑美はなぜか家彦にだけ「よろしくお願いします」と頭を下げた。あれは二人が物語の設定上、親密な関係だからだったわけだ。
(ということは、)
 家彦は千笑美に助けを求めた理由として、たまたま夕貴の口から「日庭神社」という名前がでて連想したからと言った。これは嘘だったことになる。
(シナリオがずれてる?)
 恐らく家彦のほうのシナリオでは、交際関係を恥じていて周囲に隠す記述となっているのだろう。千笑美のほうにそんな意識はなく、堂々と口にできた。
(これがマーダーミステリーなんだ)
 演劇なら、台本の理解や解釈に役者たちの間でズレがあれば拙い劇になるだろう。マーダーミステリーではむしろ味わいになる。思いがけない綻びに焦るプレイヤーの姿に、キャラクターが生きいきとしてくる。
「登校してみたら校舎は真っ暗で」千笑美がシナリオに目を落として続ける。
「いつもなら職員室から鍵を借りてくるんですけど、もう玄関は開いてなかったんです。しょうがないから何度も石をぶつけて南京錠を壊しました。各務原くんに自販機でジュースをおごってもらって、大変だったねみたいな会話をして帰りました。終わりです」
 シナリオから顔を上げた千笑美に目で合図され、兜斗が口を開いた。
「唐馬中学三年の三浦兜斗だ。姫白夕貴は従姉にあたる。親戚の集まりで顔を合わせるくらいで、たいした付き合いはない」
 とうてい中学生とは思えない口調で兜斗は話していく。
「愛季は友達だ。一緒に学校説明会に参加した。そこの辰木さんを二回見かけた」
 目を向けられ、素尚は思わず小さく首をすくめた。別に兜斗は怒っているわけではないと理解しているが、無表情なので委縮してしまう。
「一回目は階段、ゴミ箱を両手で抱えて下りてきた。ソフトクリームみたいな髪形が印象に残った。二回目は図書室、案内を頼んだ。さっき階段ですれ違った人だと気づいた。午後三時に説明会が終わった。さっきの各務原さんの説明によれば、第一部のほうだ」
 顔を伏せると、兜斗はシナリオをしばらく確認してから言葉を続けた。
「説明会の後は姫白神社へ挨拶に行くよう、親から言われていた。それで愛季とは別行動になった。ところが道に迷った。紫ヶ森公園に迷いこんで、出口がわからなくなった」
 素尚は基本情報の紙を手にとった。地図を確かめると、紫ヶ森公園は湖の北西にあるらしい。さらに北上すると姫白神社がある。
「姫白神社に着いたのは五時近くだ。挨拶を済ませて、愛季に電話した。愛岐高校にいるとのことだった。高校まで歩き、校門前で愛季と五時半頃に合流して家に帰った」
 どうぞ、とばかりに兜斗が隣へ顔を向けた。
「愛季です。唐馬中学の、」
「下の名前は?」美月が口を挟んだ。
「基本情報に書いてあるでしょ」小衣が唇を尖らせる。
「そうだね、うん、ごめんね……」美月は顔をうつむけ、ハアと溜め息をこぼした。
「こころちゃん、自分の名前を言うのが恥ずかしいのに無理をさせちゃってゴメンね……気にしてるよね、私がしつこく名前いじりしてくるの……」
「まなき! こころです! 唐馬中学三年!」
「よくできました!」パチパチと美月がうれしそうに拍手をする。
 万慈のほうに恨みがましい目を向けながら小衣は言葉を続けた。
「ボクは姫白さんのこと、なんか有名な人くらいの認識しかないです。そういや親戚から顔が似てるって言われたことあるね。眼鏡を外すと、けっこう美人なんですよ……?」
 ふくみのある笑顔で小衣がテーブルを囲む面々を見渡した。
 素尚はハッとした。冗談めかした言い方だが、これは重要なヒントではないか。混乱するが、現実の小衣は眼鏡などしていない。しかし基本情報のイラストを確かめると、たしかに小衣は眼鏡をかけている。それを外せば夕貴と顔が似ているようにも感じる。
(これが罠?)
 辰木家での検討会を思いだす。現実の事件のほうでも、死亡推定時刻をごまかすため誰かが夕貴の替え玉を演じたのではないかと推理した。それと絡んでくるのではないか。
「えーと、他のキャラとの関係は……兜斗くんと小さい頃からの友達、それだけ。さて、午後三時まで兜斗くんと一緒に行動してました。だから証言も同じ。学校説明会に参加して、辰木先輩かっこ予定かっこ閉じるを二回見かけました。姫白神社へ挨拶しないといけない兜斗くんと別れて、じゃあボクは観光でもしようかなって。お寺には興味ないけど、湖の向こうにある三羅寺って有名なところで参拝客が多くてさ、土産物屋さんが並んでるのね。それで駅前に移動して、三時半に遊覧船に乗ったの」
 基本情報の紙を裏返し、再び素尚は地図を確認した。愛岐高校は湖の東に、紫ヶ森駅が南東にある。駅前から湖を斜めに横断する曲線は遊覧船の渡航ルートということだろう。高校と湖を挟んで反対側、西のほうに三羅寺があった。
「このときアクシデントがあったんだよね。けっこう人混みがあって、知らないおばさんにぶつかったはずみで眼鏡が吹っ飛んじゃって」
 ほら来た。素尚は心の中でガッツポーズをした。
「ブリッジが折れちゃって、どうしようもないんで眼鏡なしでいたんだ。まあ普通の生活に困るほど悪い視力でもないから。けっきょくなにも買わずに遊覧船で戻った。学校に着いたのは四時半頃。図書室で時間を潰して、後は兜斗くんの証言どおり。五時前に電話もらったんで学校にいることを伝えて、五時半頃に合流して帰宅しました。終わり!」
 隣に座る小衣に、ちょいと肘で突かれた。さっと視線が自分に集まるのを素尚は感じた。
(緊張しなくていい)
 自分に言い聞かせる。それから、自分に言い直す。
(緊張するくらいで、ちょうど良い)
 シナリオを細めに開き、素尚は口を開いた。
「僕は辰木素尚、愛岐高校の一年生です。姫白夕貴さんは郷土史クラブの先輩で――」
 他のキャラクターとの関係、学校説明会のため図書当番として登校することになったいきさつ、そして「昨日の午後」の出来事を話していく。
 他のプレイヤーの話しぶりにならって細かいことは省略した。恐らくこれは、自分に都合の悪そうなところや戦略上の決め手になりそうな細部は隠せ、という意味もあるのだろう。たとえばゴミ捨てに関する細かい記述が多すぎるように感じる。このあたりでなにか手掛かりカードで矛盾を指摘されるのかもしれない。
「――深川先生にバトンタッチして、四時半頃に学校をでて帰宅しました。以上です」
 ゴミ捨てに関しては細部を省略し、素尚は説明を終えた。
「最後に私ですね」誕生日席に座る美月が口を開いた。
「愛岐高校で国語教師を務めさせていただいております、深川美月です」
 みなさん、よろしくお願いします。あまりに深々とお辞儀するので、小衣を除く全員がつられて頭を下げた。明らかに声の調子が違う。ゆったりした口調がいかにも教師らしい。
「姫白夕貴さんは郷土史クラブの活動に大変熱心に打ちこんでいました。実はこの高校では、国語教師の誰かが郷土史クラブの顧問になることが不文律となっています。いちばん若い私が貧乏くじ……校長先生からぜひと頭を下げられ、役不足ながら務めています」
 力不足と役不足を間違えたのか、国語教師らしい皮肉を口にしたのか、どっちだろう。
「私の行動は辰木くんの説明と大きく重なるので軽めに話すとしましょう。図書当番のあれこれについて辰木くんにレクチャー、その後は職員室で業務をしていました。そうですね、図書室へ様子を見に行ったのは二時頃だったと思います。たまたまゴミ箱が目について、素尚くんにゴミ捨てをお願いして職員室へ戻りました」
 いったん美月はシナリオに目を落とし、また唇を開いた。
「四時半頃に辰木くんが職員室に来て、そろそろ帰りたいとのことでしたので図書当番を替わりました。図書室の利用時間はいつも六時までですから、六時に図書室を施錠して、駅前商店街の『呑兄弟のみきょうだい』というお店で夕食を頂いて帰りました。以上です」
「何時に帰ったの?」小衣が声をあげた。
「時系列表だと午後九時過ぎに店をでたことになってるよね? しかも居酒屋って書いてある。ご飯だけじゃなくて、お酒飲んでたんじゃないの?」
「質問は自分の手番が来たときにどうぞ」にこやかに微笑みながら美月が言った。
「これで全員の〈申し開き〉が済みましたね」
 なおも言い募る小衣を遮るかのように万慈が口を開いた。
「じゃあ、二周目といきましょう」
 まあ、ここからが事実上の本番ですね。万慈は小声で言い添えた。