相沢沙呼は『午前零時のサンドリヨン』で第一九回鮎川哲也賞を受賞し二〇〇九年にデビュー。ミステリに限らずライトノベルや漫画原作、青春小説と多方面に才能を発揮してきた。『小説の神様』(二〇一六年)は実写映画化、手名町紗帆の作画によるコミカライズがされ、『マツリカ・マトリョシカ』(二〇一七年)は第一八回本格ミステリ大賞小説部門の候補に選ばれた。
そんな数々の活躍の中でも『medium』のインパクトはひときわ大きかった。『本格ミステリ・ベスト10』(原書房)首位など年末ミステリランキングを席巻、第二〇回本格ミステリ大賞小説部門を受賞、後にテレビドラマ化され、清原紘の作画によるコミカライズが進んでいる。相沢沙呼の出世作、あるいは代表作と呼んでも過言ではないだろう。
そんな『medium』について次のことを問いたい――これは叙述トリックを使った作品だろうか?
どれほどの比率か想像しがたいが、人によってイエス/ノーは分かれるだろう*1。これは叙述トリックとはなにか原理的な考察をし、厳密な定義をしなければ答えをだせない類の疑問だ。そしてこの疑問が、構成された現実という概念について私が考える出発点となった。
粗筋を説明していこう。この作品はおおむね四つの話から構成されている。推理作家の香月史郎は大学の後輩から霊媒に会うため付き添ってほしいと頼まれる。城塚翡翠と名乗る人物に初めは懐疑的だった香月だが、職業を見抜かれ唖然とする。殺人事件の発見者となった香月と翡翠は二人で協力して犯人を突きとめようとする。
翡翠は死者の魂を呼び寄せることができるという。しかし当然、霊媒の力で真相を知っても警察には証拠として認められない。香月は推理作家としての頭脳を以て、翡翠の霊視に論理の力を組み合わせることで真相にたどり着こうとする。
第一話から第三話まで二人が力を合わせ事件を解決していくさまが描かれる。だが最終話で、この協力関係がまやかしだったことが明かされる。
関東地方を騒がせる連続死体遺棄事件について香月は犯人を見つけだしてほしいと被害者の遺族から依頼される。死体の遺棄現場を巡り翡翠が霊視を試みるも失敗する。帰りに香月は翡翠を別荘に案内し、そして正体を現す。殺人鬼の正体は香月だった。
香月は幼い頃に年の離れた姉を強盗に刺されて喪った。今際の際に姉はなにを言おうとしたのか。ナイフを手にした香月は姉の霊を呼ぶよう懇願するが、翡翠は笑いだす。ほんものの霊媒だと、ずっと信じていたのかと。
そして翡翠は種明かしを語る。香月の職業を当てたのは盗聴のおかげだった。霊視とみせかけていたものはすべて翡翠自身が推理によって見抜いたことだった。シャーロック・ホームズのごとく、あるいはエラリー・クイーンのごとく、些細な手掛かりから論理的な推論を経て、極めて短い時間で翡翠は真相に到達していた。
超常的な能力の持ち主に思えた城塚翡翠は、実は名探偵だった。この作品の中核的な仕掛けを簡潔に言い表すとこうなるだろう。
実のところ、必ずしもこの真相は見抜き難いものではない。本格ミステリ大賞の選評にて青崎有吾は〝真相自体は予想可能というか、「この設定に対して読者が思い浮かべるもの第一位」という感じ〟と、酒井貞道は〝真相を見破りやすい点は問題ある〟と述べている。
では大多数の読者が見抜けなかったのはなぜなのか。主に二つの理由が挙げられるだろう。
ひとつは香月こそ殺人鬼だったという真相が予想しやすいこと。真相を見抜いたと早合点することで、まだ奥行きがあることに気づけない。このミスリーディングは意図的なものだったことを作者自身が『円居挽のミステリ塾』にて語っている*2。マジックにおける、あえて客にタネを悟らせた気にさせて、そのようなタネは存在しないことを示す「偽の解決の方法論」を参考にしたという。
もうひとつは当時の国内本格ミステリを巡る状況がある。『medium』が刊行されたのは二〇一九年だが、二〇二一年には複数の文芸誌で特殊設定ミステリに関する特集が組まれた*3。前述のとおり『本格ミステリ・ベスト10』で『medium』は首位を獲得した。このとき二位の今村昌弘『魔眼の匣の殺人』と八位の澤村伊智『予言の島』は予言を、七位の方丈貴恵『時空旅行者の砂時計』と二〇位の古野まほろ『時を壊した彼女』はタイムトラベルを、一三位の浅倉秋成『教室が、ひとりになるまで』は特殊能力を扱っていた。超常現象が物語内現実として実在する世界を描く特殊設定ミステリが流行していたことで、読者の心には翡翠の霊能力をなんの疑念もなく受け容れてしまう下地ができていた。
数え切れないほど多くのミステリ作品に用いられてきた叙述トリックだが、本質的な技法はたった二つしかない。語り落としと印象操作だ*4。
いわゆる性別誤認トリックで説明してみよう。薫という人物がいて、本当は男性だが、読者には女性と思わせたいとする。叙述トリックとしてはたとえば「薫はブレスレットを撫でながら溜め息を吐いた」という文章が考えられるだろう。「薫は男性だ」とは決して書かず、意図的に語り落とす。その上で「ブレスレット」「溜め息」といった言葉で薫は女性であるかのように印象を操作するわけだ。
我孫子武丸は「叙述トリック試論」にて次のように叙述トリックを定義している*5。
この定義における〝作者と読者の間の暗黙の了解〟とはなにか、誰にもわかるようでいて言葉にすることが案外難しい。我孫子はこの定義を示した後、暗黙の了解について二つの側面を示している。ひとつは叙述上の規則、もうひとつは標準的な読者なら知っていて当然と期待できる常識、社会/文化的な知識だ。
たとえば前述の例なら、もし一人称の小説なら「紛らわしいことを書いてしまったが、薫は男だ」などと語り手に補足させるだろう。読者に誤解を与える文章をそのまま放置するなど、一般的な小説としてはただの作者の怠慢だ。
くわえて、そもそも「ブレスレット」「溜め息」といった言葉から私たちはなぜ薫を女性だと想いこんでしまうのか。社会/文化的な慣習があるからこそ、このような印象操作が可能になる。
ここまで述べたことを踏まえて私なりに叙述トリックの定義を整理するなら、次のようになるだろう。
- 叙述上の規則をあえて破ることで決定的な記述をあえて語り落とし、
- 常識や慣習、社会/文化的な知識を利用して印象を操作することで、
- 物語内事実について読者になんらかの誤認をさせるトリック。
余談だが、いわゆる「信頼できない語り手」の技法と叙述トリックはまったくの別物、正反対の代物だとわかるだろう。信頼できない語り手は、視点人物が精神的に不安定だったり薬物や飲酒で混乱しているといった事情から、客観的事実を正しく語っているのか疑わしい効果がある。
自然主義文学からすれば描写を信頼できないことは叙述上の規則を破っていると云えるだろう。しかし印象の操作によってなにか誤認させているわけではない。誤認以前に信頼すらできない状態にすることが「信頼できない語り手」の目的だ。叙述トリックは少なくとも謎解き場面の直前までは語り手を信頼してもらわなければならない。
この定義に即して『medium』が叙述トリックを使った作品かどうか検証してみよう。結論から先に述べれば「使っている」と云える*6。
城塚翡翠が霊媒ではないことが意図的に言い落されている。香月の視点から描くことで、翡翠が実は推理によって瞬時に真相へ到達していたことを隠している。
くわえて翡翠が本物の霊媒であるかのような印象操作をしている。香月の職業を見抜き、犯行現場では死者を代弁するような言葉を口走り、特異な才能に秀でた者として生まれたことの苦しみやつらさを切々と語る。前述のとおり、特殊設定ミステリの流行という小説外部の事情も印象操作の助けとなった。
判断を急ぎすぎたようだ。本当に『medium』は叙述トリックを使った作品と云えるだろうか? なぜ一部の読者は「叙述トリックを使っていない」と判断したのか?
作者は、翡翠が霊媒ではないことを隠すため香月の視点から描く手法を採った。これは叙述上の規則をあえて破ったとまで云えるだろうか。
隠し事をしている人物を視点人物から除外してはならない、などというルールができたならミステリ作家は大変なことになるだろう。なぜなら犯人はたいがい自分が犯人であることを隠しているのだから。
では、作者がたくらみを隠しているならば、叙述上の不自然さがなくとも叙述トリック作品だと認めてしまってはどうか。それも難しいだろう。誰が犯人なのか、どんなトリックを使ったのか、なにが探偵役にとって真相を知る手掛かりとなったのか。どれもこれも作者のたくらみには違いない。あらゆる作品が叙述トリックを使っていることになってしまう。
印象操作のほうはどうだろうか。たとえば前述の性別誤認トリックであれば「ブレスレット」「溜め息」という女性らしさを覚えてしまう要素に絞って描写することに不自然さ、作者の直接的な介入を感じさせる。だが『medium』において翡翠は初めから香月を騙すつもりだったことが明かされており、霊媒としてのふるまいが描写されることに違和感が無い。
端的に言えば、これは翡翠が香月を騙した物語でしかない。読者は香月の視点を通して、霊媒を騙るペテン師に騙される疑似体験をしたことになる。それは極めて現実的なことだ。超常現象が実在しなくとも、人はマジシャンの手業に翻弄され、詐欺師に大金を払い、美しい女に耳元でささやかれる甘い言葉に魅了される。そんな当然の現実を描いている。
ひとつ補足しておこう。翡翠は霊媒ではなかったという騙しに叙述トリックは使われていない。かといって『medium』に叙述上の不自然さが皆無というわけではない。最終話で翡翠はどのような手掛かりに着目して推論を進めたのか語る。その手掛かりがことごとく第一話から第三話にそれとなく描写されている。本作の帯には〝すべてが、伏線。〟という惹句が記されていた。コアな本格ミステリファンたちが喝采の拍手を送ったのも、この美点があればこそだろう。
物語は香月の視点から語られているのだから、手掛かりが漏れなく描写されるのは明らかに作者の意図を感じる。しかし、それは翡翠が名探偵であることの隠蔽には寄与していない。むしろこの不自然さに気づいたなら容易に(ほんの少しクイーンのごとく頭を働かせるだけで)真相に気づいてしまう。作者にしてみれば、翡翠が名探偵であることを証明するための伏線だったろう。
便宜上『medium』において翡翠は霊媒だと信じこませた類のトリックを「詐欺師トリック」と呼ぶことにしよう。登場人物が密かなたくらみをしていた、他の登場人物や読者を騙していたというトリックだ。本格ミステリとしてはもちろん、それを事前に推理するための手掛かりが提示されていることが望ましい。
人が人を騙す。作者はただその人物が詐欺師であることを注意深く隠し、それ以上は叙述上なにも不自然なことをしない。詐欺師が人を騙すとき、自分は詐欺師だと名乗ることはない。作者はただ騙された側の視点から物語を綴れば良い。
当然、ミステリの歴史において初めて詐欺師トリックが用いられたのは『medium』ではない*7。恐らくサスペンスやコンゲームを扱った作品から数え切れないほどの事例を挙げられるだろう。『medium』の新規性は詐欺師トリックを名探偵の推理行為と結びつけたこと、本来なら読者を驚かすちょっとしたギミックに過ぎなかったものを本格ミステリの本道に据えたことではないか。
叙述トリックはサスペンスと本格ミステリどちらにも用いられるが目的は異なる。サスペンスにおいては読者を驚かせることが主眼となり、フェアネスへの配慮は薄くなる。鮎川哲也や綾辻行人らの犯人当てでは真相を見抜かせないこと、稚気によって挑戦者たちを煙に巻くことが目的だった。
詐欺師トリックはどうだろうか。読者には城塚翡翠が名探偵だという真相を見抜くための謎が提示されておらず、謎解きの動機がない。前評判や物語構成、残りページ数の厚さから「なにかあるはずだ」と頭を巡らすのがせいぜいだろう。詐欺師トリックは謎解きに寄与していない。
だからといって「読者を驚かせただけだ」と切り捨てられないのは、数多くの手掛かりが示されているからだろう。読者はただ物語内に示された手掛かりを注意深く観察し、論理的に思考していれば翡翠も真相に到達できることを推理できた。
前述の我孫子武丸「叙述トリック試論」でも言及されているが、叙述トリックを用いることはアンフェアだとよく云われる。真相を推理するために必要な手掛かりを語り落としによって隠蔽できるからだ。さきほどの性別誤認トリックなら、犯人の性別は男だという条件を示しておく。叙述トリックによって薫を女性だと思いこんでいると犯人を特定できない。
整理するとこういうことだ。本格ミステリは読者に謎を提示し、それを解くために必要な手掛かりを充分に示すという二つの条件がある。
叙述トリックが用いられた作品では、謎を解くためには叙述トリックの存在を疑わなければならない。謎と叙述トリックが有機的に結びついているという意味で前者はクリアしている。その一方で読者との暗黙の了解を破り、語り落としによって必要な手掛かりを隠蔽しているという意味で後者をクリアしていない。
詐欺師トリックはその逆だ。謎として提示されないため前者の条件をクリアできない。一方で、詐欺師だと見抜くための手掛かりは提示されており後者をクリアしている。
次に、トリックの効果がもたらす質感に着目してみよう。謎解き場面において叙述トリックが用いられていたと明かされたとき「まるで世界が崩壊したような驚き」という類の形容がよく用いられたものだった。
一般的にトリックといえば犯人が探偵役に仕掛けるもの、自身が犯人であることを知られることを防ぐための工夫を指す。ところが叙述トリックは(日記や手紙といった作中作の形をとるケースを除けば)作者が読者に直接仕掛けることができる。叙述の透明性という自然主義文学として根幹の性質が揺らぐ。
再び前述の性別誤認トリックを思いだしてほしい。読者は薫を男性だと思いこむ。謎解きによって客観的事実としては薫は女性だと知る。ページをめくり文章を読み進めながら読者は物語世界を脳内に構築していく。物語内の客観的事実と信じたことが幻影に過ぎなかったこと、いわば仮想現実だったことが明らかになり崩壊する。
詐欺師トリックはどうか。翡翠が名探偵だったからといって、第一話から第三話の真相がなにか変化するわけではない。真相を見抜くに至った手段が「翡翠の霊視」から「翡翠の推理」に代わるだけだ。客観的事実は客観的事実のまま、ただそこに城塚翡翠の意図が関与していたことを知る。ハサミはかつて名も知れぬ人が発明したという当然の事実にふと気づくように。夢中になって物語を読み終えた後にこれはどんな人が書いたのだろうと想像してみるように。客観的事実として受けとめていた現実は構成された現実だったことを知る。
ここまで眺めてきた叙述トリックと詐欺師トリックとの関係を整理すれば次のようになる。
項目 | 叙述トリック | 詐欺師トリック |
---|---|---|
騙しの構造 | 作者が読者を騙す | 登場人物同士が騙す |
謎との関わり | 謎を解くために叙述トリックを疑うことが必要 | 謎として提示されない |
手掛かり | 語り落としで手掛かりを隠蔽 | 手掛かりを明示 |
読者体験 | 客観的現実として理解したものは仮想現実だったと判明 | 客観的現実として理解したものは構成された現実だったと判明 |
補足すると、上記はあくまで本格ミステリとしての見地からシンプルな整理をしたに過ぎないことに留意してほしい。サスペンスやコンゲーム作品ならば、ある人物がたくらみを隠していたことをほのめかす伏線を忍ばせるくらいは配慮しても、確実にそう断言できるほどの手掛かりを提示するとは限らないだろう。
叙述トリックを謎解きとは関係しない形で用いた作品もある。また叙述トリックを用いつつもフェアプレイを実現する技巧も無くはない。たとえば実に下手な例だが、薫は男性と結婚しており、かつ同性婚が認められた国ではないことを推理できる手掛かりを散りばめておく。こうして明らかな矛盾を示すことで読者に叙述トリックを見抜く手段を与える。同じように、なんらかの工夫で詐欺師トリックを謎と有機的に結びつけることも不可能ではないだろう。