職員室へ行き、忘れ物をしたという理由で図書室の鍵を借りた。駆け足で階段を二階へあがる。
「ほ、放課後でもよかったんじゃない?」
「そう、だ、な」
俺は切れ切れに答えた。さすがに息が荒い。
「スチャって、図書班の、元部員?」
「知らん。本当に、知らん」
まあ、確かにそうでなければ、ロッカーの存在など知らないはずだしな。
(……そうか?)
水影はなんて言ってた?
鍵をつけたのは、昨日からだとか言ってなかったか?
(どうして、スチャが……)
二階に到着。図書準備室の扉へ駆けつける。
「あ、ムリムリ。花ちゃん、そっちはダメ」
「ハ?」
「そこ、開かずの扉だから。扉を開けても本がぐっちゃぐちゃで、入れないから」
昨日の光景を思いだす。そうだった、床まで本が山積みで、足の踏み場も無かったな。
「そもそも、図書室と図書準備室とで、鍵って違うしね」
「了解」
図書室のほうの入り口へ向かう。南京錠を解錠し、室内へ足を踏み入れる。カウンター奥の扉から、準備室へ。
囲夫が、カーテンと暗幕を手早くたぐった。俺は、水影から借りた鍵をとりだす。黒猫のキーホルダーが揺れた。昨日の放課後、すぐには図書室に来れないからと渡された鍵だ。
ロッカーの南京錠に差し込む。苦もなく、回転。U字形部分が外れた。
「――開けるぞ?」
「うん」
扉を引く。
下の段は、昨日と同じ。薄い本が詰まっている。
上の段は――。
「ハア?」
シガニー・ウィーバーがいた。
「……あれえ?」
囲夫が、間の抜けた表情になる。俺は、写真立てを手にとり、ためつすがめつした。
「それって、橘先生の机にあったやつだよね?」
「多分、そうだな。理科準備室のやつだ」
あ、ひょっとして、素手で触っちゃまずかったか?
今更ながら、写真立てをロッカーに戻す。
「うん、昨日、宇美音さんと理科準備室に入ったときも、机に無かったから、おかしいと思ってたんだ。これって、どうしよ。警察に言う?」
「それはまあ、伝えるべきじゃないか?」
「言わないほうがいいんじゃない?」
「いや、なにが殺人に関係してるか、わかったもんじゃない。素人があんまり……ん?」
伝えると、どうなる?
昨日、ここを施錠したのは誰だ?
「疑われるのは、俺か」
「あるいは、僕だね。スペアキーとか持ってんだろって」
「あるのか?」
「無いよ」
薄く、囲夫は笑っていた。こいつ、状況を楽しんでやがる。
そのときだった。内ポケットで振動がした。
携帯電話をとりだす。番号は、非通知だった。誰だ?
「はい」
「やあ」
ぎょっとした。
合成音だ。ボイスチェンジャーかなにかで作った声。性別さえ、わからない。
「ロッカーは、みてくれた?」
「見た。スチャ、おまえか?」
「うん」
「なにを考えてんだ? まさか、おまえ……」
「次は、引き出し」
「引き出し?」
「パソコンのとこ。左側」
囲夫が、動いた。作業机の上のデスクトップパソコン。確かに、天板の下に、引き出しがあった。
これ? 取っ手に指をかけ、囲夫が振り返る。俺はうなずいた。
囲夫が、引き出しを開ける。
「引き出しが、どうしたって?」
スチャは答えなかった。
囲夫が、ゆっくりこっちを振り向いた。
今にも泣きだしそうな、そんな表情で。
「なにがあった?」
「まずいよ……」
一歩、足を踏みだす。囲夫が立っている位置へ。
俺にも、中が見えた。
そこには、木槌が転がっていた。ただの、木槌が。
「これ……絶対まずい……」
強いて特徴をあげれば。
その打撃面には、べったり赤黒いものがついていた。
その赤はどうみても――血としか思えない。
「どうしよ……」
スーッと囲夫の顔が蒼白になり。
ふらりと揺らいだ。
「囲夫!」
携帯を耳から離し、あわてて腕を伸ばした。囲夫の身体を支える。
「くそ!」
片腕で囲夫をゆっくり床に下ろしつつ、もう片方の手で携帯電話を耳に当て直す。
「スチャ! どういうことだ!」
「ぼくが、ころしたと、おもってる?」
「………………」
「もう、わかってるだろ? ぼくは君のすぐ近くにいる。そしてすでに、ぼくはきみを知っている。きみもぼくを、知っているかもしれない……べつの名前でね」
「なにがしたい? スチャ、ハッキリ言え!」
「あそぼうよ」
ざらついた音がした。短く、断続的な。
それは、抑えかねた笑い声だった。喉の奥で鳴る息が、機械によって歪められ、不気味な音に変貌していた。
「たのしかったじゃないか、はなぶさりつくん。ふたりでした探偵ごっこをわすれたわけじゃないよねえ? あんなにたのしくあたまを悩ませあったじゃないか。 かんがえろ! かんがえろ! かんがえろ! たちばなが死んだことなんて、きみはどうせかなしくもなんともないんだろう?」
風のうなりにも似た笑い声が、ひとしきり続いた。
「スチャ、俺はもう――」
「きをつけたほうがいい。さくやの捜査会議で、内部犯もうたがうことになったからね。あしたのあさ、またここにおいで。メールをおくるよ」
じゃあね。
その一言を最後に、通話が切れた。