美術部員をがっかりさせるのは、簡単だ。書きあげたデッサンを裏返して、陽の光に透かすだけでいい。
(うわあ……)
裏向きにしただけで、バランスの崩れがわかってしまう。世の中のどんなものだって、鏡に映しても本物そっくりなのに、僕が描いたものはあっという間に偽物だとバレてしまう。
チャイムが鳴った。教室の時計を見上げると、午後五時半。八時限目の終わりを告げるチャイムだ。
(……帰っちゃお)
イーゼルを持ち上げ、運ぶ。美術準備室に片づけないといけない。
美術誌をめくっていた楠木先輩が、顔をあげた。
「今日はこれで終わり?」
「きりがいいですしね。帰ります」
ガバッ。甘宮先輩が跳ね起きた。
「大判焼きおごって!」
「………………」
「………………」
多分、僕も楠木先輩も、同じことを考えている。
一、この人は寝ていたんじゃなかったっけ。
二、この人は寝ぼけてるんだろうか。
三、でも普段の言動そのものが寝ぼけてるしなあ。
「いいですよ」
いろんなことが面倒くさくなった僕の口から、そういう返事が転がり落ちた。
「ほんと? わーい、やったー!」
「あ、ごめん。私は、もう少し残ろうと思うの」
楠木先輩が、両手をあわせて小さく拝むようにした。次の絵のモチーフに悩んでいるらしい。今日は何度も準備室をでたり入ったりしては、いろんな本を眺めていた。
しばらく甘宮先輩は、さまざまなジェスチャーをまじえ甘言を弄して誘惑していた。でも、創作モードに入った楠木先輩の考えを変えるのは無理だった。僕はイーゼルを片づけ、甘宮先輩と一緒に玄関をでた。
自転車を押しながら、駅の方へ向かう。普段は自転車通学なので、あまり駅周辺は行ったことがない。日没には間があるけれど、空の色は変わり始めていた。甘宮先輩は、少し先を歩いてる。
「そういえば先輩。フィルム、なんに使ったんです?」
「ふぃるむぅ?」
聞きなれない外国の地名を口にするように。
「ポラロイドカメラの。枚数が、ゼロになってましたよ」
「アー、うん、そっか」
「いいんですか? ほら、花見のとき、宮地先生に怒られてたじゃないですか」
そういえば、おソメさんを初めてみかけたのも、あのときだった。
四月、新学期が始まったばかりの頃だった。僕の歓迎を兼ねて、河原の桜並木で花見をしてくれることになった。美術部員らしくスケッチブックを片手に、なんてことにはならず、そのかわり甘宮先輩が持ってきたのがポラロイドカメラだった。
子犬をみつけ、なにこの可愛い生き物うははバシバシバシと無駄にシャッターを押していた。
(おまえは染井川でみつかったUMAじゃ!)
と、甘宮先輩は宣言した。
(じゃから名前はおソメさんじゃ! 決定!)
後で知ったけど、ポラロイドカメラのフィルムは生産が中止されてしまったので、入手が難しいらしい。甘宮先輩は宮地先生にこってりと叱られた。
あなたたちがずっと思い出に残したくなるような、そういう大切なときまで使っちゃダメです! と、宮地先生は命じた。
「う~、そんなこともあったねえ」
「遅かれ早かれ気づかれるんですから、フィルムまた使ったこと、早めに謝ってくださいよ」
「短い間に姫百合君、こんなに成長してくれて……」
「話をそらそうとしても、ダメですよ」
「育てすぎた……」
自転車の向こう側から、甘宮先輩が鞄を荷台に乗せた。運んでいけということらしい。
「そもそも、先輩はどうして美術部にいるんです?」
「エーとね」
身軽になった甘宮先輩は、頭の後ろで手を組んで、斜め上をみつめた。
「宮地先生って優しいから、別になにもしなくていいし。紅茶飲めるし。あと文化祭、クラスの企画とかさぼれるよ!」
ああ……。
やる気をだすと凄い作品を創りあげる天才肌なタイプとか期待していた自分がバカだった……。
「だったら、帰宅部でもいいじゃないですか。学校でひまつぶししてるくらいなら、家に帰るか、街で遊んだほうがいいんじゃないですか?」
「家に帰ってもつまんないし、街で遊ぶお金ないもん。亜里砂ちゃんとか姫百合君とひまつぶししてたほうが楽しいよ」
それがすんごく迷惑なんですけどね。僕はムッツリ唇を閉じて、不機嫌そうな顔をした。まあ、本気でそれを告げても、甘宮先輩は笑って僕にごめんごめんと言うだけだろう。どっちにしろ、明日もこりずに美術室へ来てくれる。
「なに、姫ちゃん、なに笑ってるのさ」
「笑ってなんかいませんよ」
だから明日。
楠木先輩と二人で、甘宮先輩に大判焼きをおごってもらおう。普段の迷惑料代わりに。
それくらいは、してもらわないとなあ。