チャイムの音が聞こえた、気がした。
 錯覚かもしれない。目が覚めた俺は、顔を起こした。
 放課後だった。理科準備室を施錠したあと教室へ戻り、ホームルームを終えた。俺は囲夫に声をかけられる前に、ダッシュで教室を飛びだすと南棟の三階へ来ていた。なんのため? 寝るためだ。俺は! 俺の昼寝部を死守するぞ!
(ん――)
 窓が開いている。一人の女生徒が、外を眺めていた。
 腰までとどく黒髪が、外から吹きこむ微風に揺れている。ちょっと、美人だ。横顔だけじゃよくわからんが、古い日本映画にでてくる女優みたいな、清楚で落ち着きのある感じの人。
 水色のスカーフ。二年生だ。
(――誰だ?)
 ロの字型に組んだ長机。右腕を枕に、さて、どれだけ眠ったことやら。長机に置いていた携帯電話を手にとる。午後四時一分。
 携帯電話を内ポケットに戻す。なぜポケットから出していたのかというと、寝るとき胸の辺りが机の角にあたって、つぶれる可能性があったからだ。
「おはよう」
 窓際の上級生が振り返る。逆光で、顔が判別しがたい。肩に緩やかな巻き髪が垂れている。アールヌーボー調の優雅な描線のように。
「花房君?」
「そうだが」
「二年A組の水影です」
 窓際を離れ、ゆっくりした足取りで歩く。手近な椅子を引き寄せ、座った。
「図書班の、班長をしてるの」
 ……来やがった。
 そういうことか。囲夫を経由して、俺が放課後はここで昼寝部をしていると知ったのだろう。
「なにか用ですか」
「目的は勧誘。でも、勧誘はしません」
 なんのこっちゃ。
 水影、と名乗った人物は、軽く足首を組んでいる。膝の上で軽く両手を重ね、薄く微笑んでいる。
 はて、おかしいな。
 目の前にあるのは、近所の気になるお姉さんタイプな上級生の、優しい微笑みのはずなんだが――みょうに、不穏だ。
「なぜなら、図書班は〈班〉であり、〈部〉ではないからです」
 俺は口を開きかけ、そして閉じた。そういえば、確かスチャのメールにも、図書部ではなく〈図書班〉とあった。
「正式な名称は図書環境整備班。部活動ではありません。だから、勧誘は認められてないの。入学案内には載らないし、ビラを貼るといった活動もできません」
「アー、待ってくれ。話についていけん。そもそも部と班で、なにが違うってんです?」
 音もなく、水影は立ち上がった。
「少し歩きませんか? 見せたいものがあります」
 こいつ、やばい。
 なんとなく、やばい。
 話の運び方がうますぎる。いきなりわけのわからんことを言い、すかさずそれを説明し、そして今度は俺を立たせ、歩かせ、後戻りできないほど話に関わらせようとしている。ここはひとつ、デタラメな言い訳して逃げ帰ったほうがいいな。
 と、結論したときには、俺は学生鞄をぶらさげ、水影とともに廊下へでてしまっていた。