いつもの朝がくる。通学電車に揺られ、車窓の風景を眺める。
(まあ、別に)
 友達の定義ってのはなんだか知らんが、俺はハッキリ友達といえるほど囲夫と近い関係じゃない。朝の通学電車で、気がついたら会話を交わす仲になっていた。そんだけだ。
(嫌いってわけじゃないんだがな)
 ミステリ、ね。思いだしてみると、まだ囲夫と会話するようになる前の頃、何度か電車内で本を読んだ。ノベルスをカバー無しで読んでいたこともある。囲夫は多分、それをみかけて俺がミステリを読むと知ったんだろう。もしかすると、話しかけてきたのもそれがきっかけだったのかもしれん。
 別に、ミステリが嫌いってわけじゃない。ちょっと前は、確かに読むのも嫌だった。受験で読書から遠ざかったのも、むしろ幸いだった。いまはもう、読む分には構わない。
(読む分には、な)
 自分の考えを、話すのが嫌なだけだ。
 犯人は誰だとか、こんな可能性もあったんじゃないかとか。そういう、自分の頭の良さをひけらかすような会話。
(……やれやれ)
 そして電車はその駅に止まる。おっはよー。ああ、おはよ。
 昨日のことなどなにもなかったように、俺達はまた向かい合う。
「で、どうだったんだ?」
「なにが?」
 きょとんとした目で囲夫が俺を見下ろす。こいつ、いま、絶対わかってて訊いたな。
「図書部だ」
「ああ、あれね。ウーン……」
「なんだ、理想と違ってたか?」
 そもそも、どういう理想があるのか自体、知らんが。
「橘先生、休みだった」
「おやおや」
「季節はずれのインフルエンザだってさ。今日の六限目も、自習になるかもね」
 そういえば、六限目は物理だった。第二理科室で実験のはずだったな。
 囲夫が、スポーツバッグを反対側の肩にまわした。
「ん? 今日は体育あったか?」
「無いよ。それで図書部だけど、まったく進展がなかったわけでもなくてね」
「橘は休みだったんだろ?」
「それが職員室、殿村先生がコーヒー飲んでてさ」
 殿村は国語教師だ。一年生の学年主任でもある。生徒に厳しく、全校集会などでは喜んで説教役を務める。同じ話を五回くらい繰り返すことで生徒の意識を飛ばすという必殺技を持っている。
「国語の先生だから、なにか知ってるかと思って訊いてみたわけ。そしたら」
「本当にあったわけか」
「部長って人にも会えたよ。面白い人だった。ね? 知ってる?」
 俺はそのとき、少しだけ視線を逸らした。囲夫の右横、二人ほど隣に、その子がいた。昨日の朝、初めて正体を知った女子。囲夫の双子の姉。吊革につかまり、あいかわらずの仏頂面で文庫本を手にしている。全然動かないんだが、いつページをめくってるんだ?
 文庫の表紙には、白いスカーフをしたセーラー服の少女。日本の伝統色と、水彩の色のにじみが効果的なイラストだ。少し距離があるので、タイトルまではわからない。一部分、ひらがなの〈きんとん〉という文字だけ読めた。
「玖乃杜にはビショージョタンテーがいるんだってさ」
 囲夫の声に、引き戻された。ん? なんだ?
「びしょ……なんだって?」
 美少女探偵。
 黒目がちな瞳に星を輝かせながら、囲夫はニンマリ笑ってそう言った。

 図書部の部長とやらの話によると。
 玖乃杜には、校内の揉め事を秘密裏に解決する組織がある。それは生徒による自治組織で、教師でも存在を知らない。数十年の歴史を持ち、卒業生の一部は政界や警察組織に進んだ。おかげで、一般人には極秘の情報をもらったり、なにかと超法規的に融通をつけてもらえる。
「ほほう、それは面白そうな小説だ。作者は誰だ?」
 棒読み口調で俺がそう告げると、囲夫はニャハハと笑った。
 校門を過ぎる。同じような制服の群がぞろぞろと玄関へ向かう。バカ話にふさわしい、清々しい朝だ。
「図書部ってのは、創作もやるのか? その妙な設定は、部長さんのネタなのか?」
「かもね。でもさ、ホントにそんな秘密組織あったら、面白いと思わない?」
「そこまでは認めたとしても、美少女探偵はねえな」
 校内問題隠蔽秘密自治組織。
 とやらには、よっぽど頭の切れる女生徒がいるらしい。
 生徒の不登校、貴重品の盗難、果ては殺人事件まで、ありとあらゆる事件を切れ味鋭い推理でバッサバッサと解き明かしてきたとか。
 まったく、馬鹿馬鹿しい。美少女探偵だと? 健全な高校生の日常会話にあるまじき不埒な単語だ。実にけしからん。
「本当にそんなヤツがいたら、校内の有名人だな。制服で、学年くらいはわかるだろ」
 ツッコミながら、玄関に入る。囲夫はフラフラと頭を左右に振った。
「それがねー、白いスカーフをしてるから、学年はわからないんだってさ」
 セーラー服のスカーフは、学年によって違う。今年は、一年生がレモン色、二年生が水色、三年生が赤だ。白はいない。
「だとしても、三年経てば卒業だ。その頭脳明晰な名探偵は、どんだけ留年を続けてるんだ?」
「後輩が継ぐんじゃないの? いまごろ先代探偵に見込まれた子が、朝練に励んでるかもよ」
「虫眼鏡で足跡を調べる練習でもしてるのかねえ」
 フフ、と囲夫が笑う。なんだか、みょうになまめかしい笑いだった。
「やっぱり花ちゃん――こういう話、好きなんだね」
 俺は、なにも答えなかった。
 ていうか、答えられなかった。
「知るか」
 詰まった喉をこじあけたのは、そんな捨て鉢な言葉だけだった。囲夫のほうを見ないようにして、靴を脱ぐ。下駄箱の蓋を開ける。白い封筒があった。
 なんじゃらほい。深く考えず、手にとった。普通の事務用っぽい薄手の封筒だ。
 納められていたのは、四つ折りの紙だった。味気ないコピー用紙。広げ、紙面に目を落とす。

【挑戦状】

 みんなが君を疑っても、私は君を信じるだろう。
 だって、本当の犯人は私だから。
 盗難にご用心。
 しっかり鍵をかけましょう。

 なにそれ。いつの間にか囲夫が、隣に立っていた。