とゆうわけで。
 犯人は、楠木亜里砂です。
 牛乳パックをつぶしながら俺は水影に言った。
「それはいいけれど、花房君」
「なんですか」
「もう少し、かっこよく言えない?」
 スチャの資料によると、午後五時半過ぎ、美術部員の甘宮と姫百合だけ先に帰っている。残された楠木は、一人でゆっくりと美術準備室から理科準備室へ死体を運ぶことが可能だった。
 死体を運んだ方法はよくわからない。まさか、成人男性を背負っていったとは考えにくい。でかい布で包んでひきずったのか、いっそソリでもあれば楽だったろうが。まさか、美術準備室にそんなものはないか。
 死後一時間から二時間というと、手足の死後硬直はそれほど始まっていない。死斑も、身体の向きが変わると出現位置が移動する。
 ただ、現代の検屍技術なら、少しは死体が移動した可能性を疑われてそうなもんだ。スチャのヤツ、推理しにくいように省略したんじゃないだろうな。
「どうも、一度も会ったことがない上級生を、犯人呼ばわりするってのがしっくりこないんですよね。現実味がないというか」
 つぶして小さくした牛乳パックをもてあそぶ。
 動機もさっぱりわからんしな。そもそも、なんで橘は三階まで行ったんだ?
「まあ、犯人としての楠木の行動は妥当なところです。死体が美術準備室でみつかれば、あっという間に自分が犯人だとわかっちまう。どうにかしなければと焦った楠木は、橘のポケットから理科準備室の鍵をみつけた」
 入口を南京錠で施錠したのは、少しでも発見を遅らせるためだろう。痕跡は風化する。遅れたほうが、証言者の記憶があいまいになって好都合だ。
 死体を窓際へ運んだのも同じ理由だ。扉の上部にはガラスが嵌っている。磨りガラスとはいえ、ぼんやりとはわかるから、死体が転がっていれば気づかれる恐れがあった。
 そして、書類鞄。いかにも理科準備室で殺されたように、適当に書類を広げ、仕事中だったようにみせかけた。
「フーン。花房君の推理は、これで終わり?」
 水影が、小さく首を傾げる。
「まさか」
 俺は、鼻で笑った。
「肝心なのが残ってるじゃないですか」
 そもそも囲夫は、なんのため理科準備室へ忍び込んだのか。
 そして、スチャは誰なのか。

 楠木は、囲夫の行動には気づいてなかっただろう。
 気づいていたら、理科準備室以外の場所へ死体を運んだはずだ。危険を冒してでも、特別教室棟の外へ運んだかもしれない。
 死体が理科準備室で発見されることは、むしろ死体がどこか別の場所から運ばれたことを意味してしまうのだから。
「ロッカーは俺が南京錠で施錠しました。だが、囲夫なら理科準備室と同じトリックで破れます」
 午後五時過ぎ、囲夫は未緒と入れ替わった後、理科準備室に忍び込んだ。午後五時十分、思いがけず俺から電話がかかってきたので、窓辺によってグラウンドのスコアボードを確認し、得点を俺に教えた。そして写真立てを盗みだし、図書準備室へ未緒の格好のまま入ると、ロッカーに写真立てを収めた。
「それが、囲夫のたくらんでいた悪ふざけだったわけですよ。理科準備室は俺が施錠した。ロッカーも俺が施錠した。ところが、理科準備室から写真立てが盗まれ、それがロッカーのほうから発見された。さあ、どうやってこの不可能犯罪をなしとげたのかってわけです」
 こう考えると、下駄箱にあった挑戦状も意味がわかる。あれは、俺からなにか盗むという意味ではなかった。理科準備室から写真立てが盗まれ、最後に施錠した俺が犯人として疑われることになるだろうという予告だった。
 囲夫のやつ、忍び笑いしながら作ったんだろうなあ。
「では、木槌はどうか? ロッカーと違って、こっちは鍵がいらない。楠木が橘を殺害した後に持ち込んだのか?」
 それは、ありえない。
 事件の翌朝、ボイスチェンジャーで話しかけてきたスチャは、ロッカーに写真立てがあることも、引き出しに木槌があることも、どちらも知っていた。
 しかし楠木は、囲夫の悪だくみに気づいていなかった。ロッカーに写真立てがあることを知らなかったはずだ。
「殺害現場は理科準備室だと偽装したかった楠木は、死体と一緒に木槌を置いてきたはずです。ところが、いつの間にかそれは消えていた……」
 水影が、ニンマリ笑っている。
 唇の端をあげて、ひきつるように。
「殺害現場は美術準備室、そして午後五時半に楠木が一人になるまで、凶器はどこにも持ちだせなかった。言い替えれば、図書準備室へ凶器が持ち込まれたのは、五時半以降でなければならない。五時半以降、理科準備室から木槌をもちだし、かつ図書準備室へ持ち込む機会のあった人物」
 用務員の宇美音さんが、職員室へ知らせに行った。
 囲夫が失神し、湯船が保健室へ運んだ。
 俺と未緒は、特別教室棟に誰か残っているヤツがいないか見て回った。
 そして水影はひとりきり、理科準備室の見張り番をしていた。
「先輩、さしつかえなければ教えてください」
 顔を低くし、上目づかいで水影の顔を見る。
「職員室から教師達が来て、見張りが不要になった後。保健室へ来るまでの間、先輩はなにをしてました?」
 貼りつけたような笑顔のまま。水影は、沈黙している。
「ていうか」
 俺は肩をすくめた。
「名前が安直すぎるぞ。スター・チャイルド先輩」
 顔を机に伏せて。
 水影が笑いだした。

 やっと顔をあげた水影は、目頭を拭った。
 そんな、涙がこぼれるほど笑わんでも。
「うん、安直だった。そろそろ別の名前にしようかな」
「スチャ」
 膝の上で、軽く指を組み合わせる。
「おまえが、ケータイの時計をいじった気持ちはわかる」
「ごめんね」
「囲夫の悪だくみにのったことも」
「面白かったでしょ?」
「凶器を盗んだことは……犯罪だ。社会的には許されない。だが、俺は共感できる。同じ立場なら、俺だってやったかもしれない」
 むしろ、俺のほうがやりかねない。橘とのつきあいはほとんど無かったから。
 だが、水影はやった。顧問教師として、それなりに会話もあっただろうに。その死体を前にして、それをやった。
「ホント、あのときは頭の中、真っ白になった」
 瞳をうるませ、水影はあらぬ方向をみつめている。
「ううん、違う。火花がいくつも飛んで、まぶしくて目を開けられない感じ。本当の殺人事件に、私、関われるんだって――」
 ここが、違う。
 水影と俺は……ここが、決定的に違う。
 絶望的なくらい深い谷間があって、俺も水影も、たがいにそれを渡ることができない。飛び越えることができない。
 それでも――。
「だがな」
 低く、喉から声を、押しだす。
「囲夫を傷つけたことは、許せない」
 スチャが、俺のほうを向いた。
「図書室へ二人以上で行けってのは、俺が自作自演したと疑われないようにするためだな? だが、俺が囲夫と一緒に行くことは予想がついたはずだ。死体を発見して囲夫が気絶したとき、おまえは一緒だった。囲夫が血に弱いことを既に知っていたはずだ」
「えっと、だって」
 きょどきょどと、視線をまどわせる。
「あのときは死体だったし――凶器についた血くらいなら、大丈夫かなあって……」
「それが、おまえの間違っているところだ。悪だくみの楽しさに目がくらんで、別の大事なことを忘れる」
 指が痛い。
 膝の上、指に力をこめすぎていた。ああ、俺は怒ってるんだな、と自覚する。
「二度とするな」
 しょんぼりと目を伏せ、それから、スチャは上目遣いに俺を見上げた。
「だれもきずつけないなんて、むりだよ?」
 あどけない笑み。
 いたずらっ子のような、微笑み。
「俺を傷つけろ」
 指を解く。
 力を抜いて。
「俺は、それを楽しめるから。だから――頼む、反省してくれ」
 虚を突かれたように、スチャは表情を変えた。
 唇を閉じ、じっと俺を見上げた。
「ごめんなさい」
 つぶやくようにそう言って、水影は深く頭を下げた。そして小さく、つけたした。
 ありがとう、と。