ここまではいい?
 名前も学年もわからない女生徒が、僕のほうを見た。
「エートですね……」
 なにか、言ったほうがいいな。楠木先輩は押し黙ってるし、甘宮先輩は……瞳を輝かせてる。いまにも「私も図書班に入る!」とか言いだしかねない顔だ。
 双子の入れ替わり。携帯電話の時刻の改ざん。二重の逆密室。なんだかもう、現実にそんなバカなことする人達がいるってのが、そもそも信じられないのだけど。
「あの、とりあえず、僕らはあなたのこと、なんて呼べばいいですか? ていうか、何者なんですか?」
「初めの質問については」
 まっすぐ、人差し指を垂直に立てる。
「そうですね、山田花子とでもしましょうか」
「いや、本名を名乗ってくださいよ」
「では……花水木迷子で」
「わかりました。それじゃあ、花水木さん」
「美少女探偵、花水木迷子!」
「………………」
 響きがいまいちだからだろうか。花水木さんは、しきりに首を傾げた。
「ごめんなさい、やっぱり山田で」
「エート、身分のほうについては?」
「美少女探偵」
「………………」
 おなかすいたなあ。
 お昼ご飯が食べたいなあ。
「じゃあ、山田さん」
「いま、いろいろスルーしましたね」
「さっきから、なんのためにこんな話をしてるんですか? 双子の入れ替わりとか、密室とか、確かに図書班の人達が下でそういうことをしてたかもしれないですよ。でも、どちらにしろ僕ら美術部員はみんなアリバイがあるわけですから、橘先生の事件には関係しないじゃないですか」
「ええ、ここまでの話はそうでした。ですが、ここからは違います。いよいよ、本論です。寒桜囲夫は、どうやって二重の逆密室を突破したのか? いま、ここに真実の扉を開けてみせましょう――」
 ぷるるるるるるる。着信音がした。
「失礼」
 山田さんが、携帯電話を手にとった。教室の隅っこに行って、長々と会話。なにやら、状況報告をしているらしい。
「失礼しました。もう! 上司がうるさくて!」
「どうでもいいのでサッサと片付けてください……」
 力を失ってる僕に、山田さんが両手をあげてオーマイガッと言った。
「ではさっそく、逆密室の謎について。鍵は、職員室で管理されていました。ここから盗んだり、コピーを作った形跡はみつかってません。では、犯人が囲夫に渡した? 死体が中にあるのに、そんなバカなことはしないでしょう」
 イー、と山田さんは前歯を剥きだしてみせた。
「そもそも六限目の後、囲夫は花房に手伝わせ、わざわざ施錠をさせてます。ちゃんと鍵をかけたか、しつこく確認しています。それにもかかわらず、囲夫は理科準備室に侵入できた……つまり囲夫は、南京錠で施錠をされても、それをなんなく解錠できるトリックを、初めから用意していたと推測できます」
 わけがわからない。僕は溜息をついた。
「そんな凄いトリックがあるなら、南京錠なんて意味がないじゃないですか。誰でも簡単に泥棒名人ですよ」
「いいえ、これはある条件を満たすときだけ使える、応用性の低いトリックです」
「条件? なんですか?」
「二つあります。ひとつ、目的の南京錠と、よく似た南京錠を自前で用意できること。ふたつ、目的の南京錠が、しばらく解錠されないこと。みっつ、南京錠のほうの監視が緩いこと」
 あ、三つでした。山田さんが自分でつっこんだ。と同時に、楠木先輩がハッと顔を起こした。
「南京錠のすりかえ……」
「その通り! ブラボ!」
 パチパチ。無表情の山田さんが、一人で拍手。
 少し遅れて甘宮先輩が拍手。
「あの……すみません、意味がわからないです」
 僕はそっと手を挙げた。
 少し遅れて甘宮先輩が挙手。
「難しくはありません。そのままの意味です」
 握り拳を口元にあて、山田さんはこほんと咳払いした。
「囲夫の家には、学校のと似た南京錠が複数ありました。そのうちの一個を、六時限目の終わり、理科準備室の本来の南京錠とすりかえたのです。南京錠はフックにかかってるだけですから、誰でも手にとれたでしょう」
「はあ」
「花房は、そんなこととはつゆしらず。理科準備室の南京錠だと思いこんで施錠しました。南京錠なので、施錠に鍵は要りません」
「はあ」
「さて、放課後。未緒に変装した囲夫が、理科準備室にやってきます。そこにかかっている南京錠は囲夫が自宅から持ってきたほうです。当然、囲夫は鍵を持っています。これで、逆密室破れたり」
「はあ」
「もちろん、そのままにしては翌日、理科準備室の鍵とあわなくて橘先生にバレてしまいます。囲夫は六時限目に盗んでおいた、理科準備室の本来の南京錠をとりだし、施錠します。家から持ってきたほうの南京錠は用済みなので、持ち帰ります」
「はあ」
「これで終わりです」
「はあ……」
 あれ? なんだか、スゴクあっさり解決したような。
「さて、ここでひとつ、考えないといけないことがあります。橘先生は、季節外れのインフルエンザで休みのはずでした。ところが実際は、思いがけず回復した先生が登校してしまいました。理科準備室を開けようとした橘先生は、どんな目に遭うでしょう?」
「……鍵が、開かない」
 六時限目が終わった後、囲夫という生徒が南京錠を交換した。
 放課後、橘先生が職員室で鍵を借りて、理科準備室にやってきたとき、そこにかかっていた南京錠は本来の錠ではなかった。
 だから、開かない。開けられない。
「橘先生は、どうしたでしょうか。困った、鍵が開かない。壊れたのか。しかたないな……職員室へ鍵を返しに来ることもなく、橘先生はどうしたのか?」
「他の部屋へ……行った」
「でしょうね。つまり、殺害現場は理科準備室ではなかった。午後五時十分頃、囲夫が忍びこんで南京錠を戻すまで、理科準備室は密室でした。理科準備室は囲夫にとって密室だったのではなく、囲夫以外の者にこそ密室だった。橘先生は他の場所で殺され、午後五時十分以降に死体が運びこまれた」
 くい、と山田さんが首をひねった。肩が凝ったとでも言わんばかりに。
「これによって、自動的に第二の密室も消え失せます。囲夫が流血を目にして失神する恐れなんて無かった。初めから、そこに死体なんて無かったんですから。もはや問題なのは、次の疑問です。理科準備室に入れなかった橘先生は、どの部屋に行ったのでしょう?」
「……図書準備室?」
「そうですね。顧問ですし、二階のほうが近いですものね。鍵が開かず、橘先生は少し迷ってから二階へ行った、としましょう。図書室に一人でいたのは、寒桜未緒。なにがあったのか知りませんが、未緒は橘先生を殺害」
「そして死体を図書準備室に隠して……」
 ダメだ。
 午後五時十分から、六時に死体がみつかるまで、図書室には花房や水影がいた。図書準備室に死体を隠していたとしても、理科準備室へ運ぶ隙が無い。
「ほ、本棚の奥とか、トイレとか……」
「隠すのは死体ですよ? そんな、誰かがフラリと来るところへ隠しますか?」
「で、でも……」
 そうだとすると。
 残った場所は、ひとつしかない。
「私がここへ来た理由は、もうおわかりですね?」
 人形のように瞳を動かさず。
 山田さんは、まっすぐ僕をみつめた。
「死亡推定時刻、午後四時から四時半の間。美術準備室に入ったのはどなたですか?」
 わたしです。
 楠木先輩が言った。