囲夫はどこへ行ったんだろうな。
第二図書室。窓側の机に座り、俺はぼんやりしていた。
廊下側の机には、未緒と湯船がいる。昼休みに俺がここに来て以来、未緒は黙々と本を読んでいた。湯船はなにやらノートを広げ、携帯電話を耳にあてて長電話だ。
俺はパンと牛乳を買ってきていた。あいつら、昼メシはいいのか?
「うーん……」
俺の向かい側、水影が伸びをした。
「ひまね」
ひまだな。
「花房君、なにか面白い話はない?」
「そうですね」
いいのか? まあ、いいか。
あいつらはあいつらでやってるんだし。俺は俺で、やっつけちまおう。
「推理ごっこでもしてみますか」
「面白そうね」
アンパンを一口囓り、牛乳で流しこむ。
「じゃあ、まずはイタズラ者の話を……あの日の午後四時四十分、俺は囲夫に電話しました。野球部の試合が気になったんで。囲夫はスコアを見て、三対二で上級生チームが勝っていると言いました」
「花房君が手をふってたときね」
「事情聴取の後、保健室で湯船から聞いたんですがね。スコアが読めないからって囲夫が湯船に得点を訊いたんだそうです。俺が電話したときは自分でスコアを答えたってのに」
「あら、どうしてかしら」
「どうしてでしょうね。まあ、ひょっとすると俺が電話したときも、湯船に小さな声でスコアを訊いたのかもしれない。だがそもそも、いつだったか囲夫は視力が二・五だとか言ってました。そんな目のいいヤツが、なぜ湯船にスコアを訊いたのか……更に、もうひとつおかしなことがありました。電話の向こう、トランペットで校歌を練習している音が聞こえたんです。スチャの資料では、吹奏楽部の部員が体育館と特別教室棟の間にいたとありましたね」
「まあすごい。体育館を超えてグラウンドまで聞こえるなんて。すごい肺活量ね」
「二階にいた俺達には全然聞こえなかったですけどね……この二点から言えることはハッキリしてるでしょう。理由もなく視力が突然悪くなるわけがない。俺が電話したとき囲夫は、グラウンド以外の場所、トランペットの演奏が聞こえるどこかにいた。そしてグラウンドには、囲夫によく似ているが、視力が悪い誰かがいたんです」
補足すると、文庫本のこともある。
朝の電車で未緒は、表紙にセーラー服が描かれた文庫本を読んでいた。ところが放課後、図書準備室へ入った未緒は、学生服の男子が描かれた文庫本を持っていた。
携帯電話のフルブラウザで、書影を調べてみた。二冊の本は上下巻で、男子が描かれたほうが上巻だった。
朝は下巻を読んでいたのに、放課後は上巻を手にしていたわけだ。もちろん、上巻を読み直してみたくなったなんてこともあるだろうから、スコアやトランペットの演奏ほど決定的な手がかりではないが。
「ここから結論できることは」
「双子の入れ替わりね」
顔は同じだから、制服を交換すれば入れ替わりができる。
だが、ひとつ困ったことがあった。囲夫は目がいいが、未緒は眼鏡をしている。入れ替わりの間、囲夫に変装した未緒は眼鏡をかけるわけにいかない。だから、スコアが読めなかった。
文庫本は、ケアレスミスだろう。未緒が上下巻とも持ってきていたのか、それとも図書室にあったのか。とにかく囲夫は準備室に入るとき、うっかり間違えて上巻を選んでしまった。もしかすると、ヒントのつもりでわざと上巻を選んだのかもしれんが。
事件当日の朝、通学電車で囲夫はスポーツバッグを肩にかけていた。体育の授業は無かったから、体操着を詰めていたわけじゃない。入れ替わりのための着替えなんかが入っていたんだろう。
ところが、双子の入れ替わりを前提にすると、おかしなことがある。
「おかしなこと?」
「二人は、いつ入れ替わったのかってことです」
顔は似ていても、声は男女だからごまかせない。
水影先輩との話が終わった午後四時半、少しだけではあるが声を聞いた。先生の用事は済んだかという水影の問いに、未緒は「はい、すみました」と返事をしていた。だから、そのときの未緒は未緒で間違いない。
午後四時四十分、携帯電話でスコアを聞いたときには入れ替わっていた。従って、その後で図書準備室に入ったのは未緒に変装した囲夫だろう。
ところが、野球部員らの証言によれば、囲夫はずっとグラウンドにいた。一度だけトイレのため特別教室棟に戻ったが、それは午後五時過ぎだったという。
時間があわない。
「ここでどうやら、イタズラ好きがもう一人いたと気づきました」
「あら、誰かしら?」
手の平に顎をのせ、澄ました笑顔。
「南棟の三階で俺が目を覚ましたとき、ケータイの時計が午後四時一分を差してました。で、先輩と一緒に図書室へ行った。パソコンのことを教えてもらった後、チャイムが鳴ったの覚えてます?」
「ウーン、そうね。鳴った気もするかな」
「暗黒史を見せてもらった後、宿題をやり始めたとき、四時半でした。つまりチャイムは、午後四時から四時半の間に鳴ったことになります」
「そうね」
「でも、それはおかしい」
「どうして?」
「鳴るわけがないんですよ。その時間帯、チャイムが鳴るわけがない」
玖乃杜高校では、補習授業のため七限目と八限目にもチャイムが鳴る。午後五時半が、八限目の終わりだ。
授業は五十分単位、そして十分の休み時間。逆算すればすぐわかる。七限目が午後三時四十分から四時半。八限目が四時四十分から五時半。
午後四時から四時半の間に、チャイムは鳴らない。
「考えられる可能性はひとつだけ。俺のケータイは、時刻表示がずらされていた。なら、ずらされたのいつか? そしていつ戻されたのか?」
あの日、俺は二回だけ携帯電話を手放した。
南棟で昼寝をしていたとき。携帯電話が押し潰れないよう、内ポケットからだしていた。水影はそのとき、時刻の設定をいじったんだろう。
午後五時半前、未緒が話しかけてきたとき、水影に頼まれ携帯電話を貸した。時刻を元に戻したのは、そのときだ。
「あのとき、未緒の様子はどうもおかしかった。話しかけるネタがないのに、無理に話しかけようとしている雰囲気だった」
「私が未緒さんに頼んだってことね?」
「借りたり返したりするとき、時刻表示を確かめられるとまずいですからね。未緒は俺の気をそらせるおとりだった」
ん? 俺、未緒のこと呼び捨てにしてるな。
そっと廊下側の机をうかがう。大丈夫、席を外していたようだ。
……ていうか、湯船もいない。どこ行ったんだ?
「じゃあ、どれだけずらされていたのか。時間の関係からして、パソコンの説明を受けた後に鳴ったのは八時限目の開始、午後四時四十分のチャイムだ。てことは、俺が目を覚ましたのは四時ではなく、四時半。時計は三十分だけ早められていたわけです」
アンパンの、最後の一口を放りこむ。
「時計をずらしのは、アドリブだったんですか?」
「どうしてそう思うの?」
「いろいろ、ハプニングがあったみたいですから」
未緒は、教師に用事を頼まれ、図書室に来るのが遅れた。恐らく、それで時間つぶしに囲夫と湯船はバドミントンの誘いにのった。
ところが、今度は殿村にみつかり、説教が始まってしまった。結果的に水影は、南棟でずっと待たされることになった。
「で、放置されてる俺のケータイを見て、イタズラを思いついたのかな、と」
「想像にお任せするわ。続けて」
目の前にある、いまにも吹きだしそうな顔を見れば、答えは決まったようなもんだがな。
「こう考えると、さっき問題になった時間の矛盾も解消する。午後五時過ぎ、グラウンド脇にいた囲夫はトイレを口実に特別教室棟へ戻った。そして、未緒と入れ替わった。囲夫に変装した未緒は、外へ行き湯船と一緒に野球観戦。午後四時四十分ではなく五時十分、未緒に変装した囲夫は、どこかで俺からの電話を受けた」
「スコアを訊いたときの電話ね。でも、それだとおかしくないかしら? 花房君が窓から手をふったとき、ちゃんとグラウンドの囲夫君と湯船君は手を振り返したんでしょう?」
「どこかの誰かが、教えたんでしょうね。俺が話してるのを横で聞いて、外の未緒か湯船にケータイで知らせたんでしょう」
はにかむような笑顔で、水影はなにも答えない。
俺が囲夫との話を終えたとき、水影も同時に通話を終えて、携帯電話を机の上に置くところだった。
「どこでなにしてたか知りませんが、それから囲夫は図書室へやってきた。文庫本をぶらさげて、未緒に変装したまま図書準備室に入った」
そして午後五時半前、野球の試合が終わった。ここで未緒と囲夫は変装をとき、元の姿に戻った。着替えはトイレか、図書室の書架の奥ってとこか。
それから未緒は俺に話しかけた。水影が携帯電話の時刻表示を戻し、そこへ囲夫と湯船が戻ってくる。
なにからなにまで、憎たらしいばかりの連係プレイだ。
ややこしい話ねえ。楽しそうに水影は微笑んでいる。
「まったくですよ。これを見てください」
生徒手帳のメモ欄を示す。
貴重な十分間の休み時間に、書き直したタイムスケジュールだ。
フンフンと、楽しそうに水影はそれを眺めた。
「それで?」
「なんですか?」
「この労作から、花房君はなにがわかったの?」
「先輩のほうに、なにかご意見は?」
「ぜんっぜん。さっぱり。なんっにもわかんない」
俺は、苦笑いしながらストローに口をつけた。
とっくに空になっていたそれは、プヒッと変な音を立てた。
「まず、未緒が最有力容疑者から外れます」
「それはよかったわ。でも、どうして?」
「俺と先輩のアリバイがなくなるんでね。俺が目覚めたのは午後四時じゃなく、四時半。死亡推定時刻に俺は寝ていたし、それを眺めてるだけで起こそうとしなかった先輩にも、アリバイがない」
「あら大変」
「他のヤツらは大丈夫ですけどね。ていうか、むしろアリバイが強固になる」
初めは、美術部員の甘宮や楠木にも、犯行が可能なように思えた。
甘宮はバドミントンが説教で終わった後、図書室へ来て水影と会話したり、美術室へ戻ってくるまでの時間に間隙がある。楠木は、何度か美術準備室に入ったという。バドミントンの間はともかく、美術準備室の廊下側の入口からでれば、姫百合に知られずに理科準備室へ行けたはずだ。
しかし、時間のズレを見直すと、話は変わる。南棟で俺が目を覚ましたのは午後四時ではなく四時半だった。水影と特別教室棟へ移動しようとしたとき、階段の踊り場から殿村に説教を受けている囲夫達が見えた。
「つまり、囲夫、湯船、甘宮先輩は死亡推定時刻の間ずっとバドミントンをしていた。おまけに、美術部の楠木や姫百合が外にでてこなかったと証言している。五人もの容疑者が、おたがいにアリバイを確かめてるってことです」
「残念。私達だけ、仲間はずれになっちゃったのね」
「ここまで状況を整理すると、次に、思いっきり頭の痛い問題がみつかります」
「問題。まだ問題があるのね」
「ええ、それもとびきりの難問が。さっきも言いましたが、午後五時十分、試合の状況が気になった俺は、囲夫にケータイでスコアを訊きました。ところでこの時間、囲夫は未緒と入れ替わっていたはずです。といっても、入れ替わりはできても声まではごまかせませんから、電話の相手は間違いなく囲夫だったはずです」
そのき、囲夫はどこにいたのか? トランペットの演奏が聞こえた。だから、特別教室棟の中だ。外にいたら他の生徒にみつかっただろう。
電話で、囲夫はスコアを見て得点を答えた。当然、スコアボードが見える場所にいたはずだ。
特別教室棟で、スコアボードが見える部屋。それは、理科準備室しかない。
「午後五時十分、囲夫は理科準備室にいた。これはもう、間違いない」
「そうね、そう考えるしかなさそう」
「ところが、それだとおかしなことになる」
「理科準備室は、鍵が閉まっていたのね」
「そう……他ならぬ俺が、それを確認しています。南棟から先輩と一緒に図書室へ移動するとき、理科準備室は確かに施錠されていた」
「橘先生が、ちょっと席を外したときに用心でかけただけじゃない?」
「いや、施錠を目撃したのは午後四時半過ぎ。死亡推定時刻より後ですよ。橘は、すでに理科準備室で死体になっていた。となれば、施錠したのは犯人です」
「密室ね」
「そうです。逆密室ですね。ロッカーの南京錠なら、囲夫が持ってきたんだから、スペアキーを疑うこともできる。でもこっちは、学校の鍵だ。鍵を持ってないはずの囲夫が、どうやって施錠された理科準備室に忍び込むことができたのか?」
「こっそり鍵を持ちだして、どこかのお店でコピーを作ってもらったなんてどう?」
「じゃあ、仮にそれを認めましょう。でも、まだ別の問題があるんですよ。囲夫はスコアを見るため窓際に近づいたはずなんだ。その時刻、準備室には橘の死体があった。血に弱い囲夫が、どうして気を失わなかったのか?」
「血に弱いのは心理的なものだし、なんとか頑張ったんじゃない?」
「二回も失神してますけどね。しかも、二回目は凶器についた少量の血で」
「ウーン、そうねえ……」
「いわば、二重の逆密室ってわけです。囲夫が理科準備室に入ったことは間違いない。でもそこには、南京錠という物理的な壁と、血に弱いという心理的な壁があった。囲夫は、それをどう克服したのか?」
「二重の逆密室――いいわね、いい響きね」
軽く腕組みをし、ぞくぞくしてきたとばかりに水影は震えてみせた。変態だ。
「正直、ここで少し悩みました。でも、肝心なことを忘れてましたよ」
「なあに?」
囲夫が、大馬鹿野郎ってことをですよ。