夕暮れが近い。高校生カップルがいた遊歩道を、今度は俺達が歩いていく。
「例えばですね」
 古泉が隣にいた。さっきは後ろをついていったが、帰りは行き先がわかっているので肩を並べている。こいつの背中を見ながら歩くのは、気分が悪いからな。
「僕がこの後、あなたと別れ家に帰ってから、急にイタズラを思いついたとします」
 ろくなイタズラじゃなさそうだな。
「朝比奈さんの助けを借りて過去に時間移動し、そうですね、いままさに、あなたの後ろから――」
 俺は飛びすさった。
 踊るように百八十度転回。目についた小石を拾うと、迎撃体制に入った。
「仮定の話ですよ」
 誰もいなかった。一人きりの古泉が、あきれた顔をしている。
「もしもそういうことがあったらの話です」
 小石を捨て、俺は古泉を睨んだ。気持ちの悪い絵を想像させるな。
「それはつまり、僕が二人いる絵ですね」
 これまでさんざん(大)だの(小)だの話してきて、いまさらなにを言ってるんだ。
「それではこう考えてください。未来からやってきた僕(大)が、突然おかしくなってしまったとします。そして僕(小)にアーミーナイフを突き刺し、殺してしまうんです。そんなことはありえるでしょうか?」」
 ……無いな。古泉(大)の存在は、古泉(小)あってのものだ。
「そうです。いわゆる親殺しのパラドックスです。時間移動による過去の改変があった場合、それはつじつまがあわなければならない。時間移動者は自由意志で行動しているつもりでも、いったん確定した出来事、既定事項は変えられないわけです。しかし、別の考え方もあります」
 説明の仕方を考えているのか、古泉は少し黙った。
「もうひとつは、時間移動によって分岐が発生するという考え方です。僕(大)が過去へ移動した時点で、本来あるべきだった世界Aと、影響を受けた世界Bのふたつにわかれるんです」
 よくもまあ、飽きずにややこしいことを考える奴だ。
 世界Aは、未来から古泉(大)がやってくることはない。古泉が二人出現するなんて不気味なことは起きないわけだ。過去に時間移動した古泉は、この世から消え去って戻ってこない。めでたしめでたしだ。
 世界Bのほうは、暑苦しくも古泉が二人になる。世界Aから来た古泉(大)が、古泉(小)を殺しても構わないわけだ。
「そうです。立体交差する道路のようなもので、過去に時間移動してもそれはまったく同じ世界ではなく、ずれがあるわけです。さっきのを運命説、こちらを分岐説と名づけましょうか*1。運命説は理屈にうるさいハードSFや本格ミステリのようなもので、ある瞬間における世界の物理的状態は一通りしかありません。分岐説のほうは、そうですね、一時期流行したゲームブックのようなものでしょうか。シーンごとに選択肢がでてきて、こうしたいならこのページに飛べ、ああしたいならあっちのページに飛べ、というやつです。読者は自由にストーリー展開を選ぶことができます」
 エ……ノベルゲームみたいなもんだな。
「最近はそういう名前なんですか? 恥ずかしながら僕は、ゲームブックというものは情報として知っているだけで、現物を手にしたことは無いんですよ」
 ………………*2
「さて、実際はどちらなのか。僕は、運命説が正しいのではないかと考えています。なぜなら、もし分岐説が正しいとすると、未来から一郎さん(特大)が一郎さん(大)を助けに来るなどということはありえないからです」
 そうだな、過去に戻ると世界が分岐するんだから、一郎(大)が誰にも助けられずに死ぬ世界Aと、一郎(特大)に助けられ生き残る世界Bに別れて……というか、一郎(特大)なんてありえない……のか?
「後でじっくり図でも書いて考えてみてください。名づけるとしたら、自己救済のパラドックスでしょうか。未来の自分に助けられたから、未来の自分が存在し、過去の自分を助けにいく。原因と結果がループしてますよね。運命説では因果関係が時間の流れに逆らっても問題ないため、このような原因と結果のループが発生しえます。それに対し分岐説では、新しい世界の発生という不可逆過程が生じます。通常の時間の流れとは異なるメタ時間があるため、原因と結果のループは発生しないわけです」
 ……さっぱりわからん。
「結論としては、運命説が正しいということです。さて、これを踏まえた上で考えてみましょう。年明けに一郎さんに聞いた話ですが、一郎さん(特大)らの働きで、殺人鬼の朝倉さんは消滅、エラー長門さんは短針銃を撃たれて正常化しました*3
 不意に言葉を途切らせ、古泉は小さく首を傾げた。
 どうした。おかしなことでもあったか。
「ええ、まあ。一郎さんの話によると、長門さんはエラー長門さんを正常化させた後、同期を拒んだらしいんですよ*4
 同期?
 ああ、未来の自分と通信するとかなんとかいうアレか。
「この場合、未来の長門さんはエラー長門さんのすぐ目の前にいたわけですけどね。その上で、長門さんは再改変、つまり世界を元に戻すことを自分主導でやる、と言ったそうです。そして正常化した長門さん……わかりにくいのでエラー長門さんという呼び方を続けましょう。エラー長門さんに告げたそうです。あなたはあなたが思う行動を取れと」
 好きにしろってことか?
 まあ、そもそも運命説ならどう行動したって既定事項は覆らんのだから、よけいなことは知らないほうがいいのかもな*5
「そうですね。とりあえず話を続けましょう。世界は未来から来た長門さん主導で元に戻されました。さて、もしあなたがエラー長門さんの立場なら、どうします?」
 運命説なら、既定事項は変更できない。てことはだ、そもそもの根本原因である一郎の階段落ちは無かったことにできない。
 一郎(小)はいつも通り登校する。もちろん、ハルヒは消えていない。そして昼過ぎ、階段から転げ落ちる。
 ショックを受けたハルヒが世界を改変し、大騒ぎのうえに二十日、一郎(小)は三年前の七夕へ時間移動だ。
「はい。朝倉さんに刺された一郎さん(大)のほうは、その間どこかでエラー長門さんによって保護されていたことでしょう。そして十二月二十日、一郎さん(小)がエンターキーを押して三年前へ時間移動した後、世界はまた元に戻ります」
 エラー長門が再改変したんだな。
「もう少し厳密に考えてみましょう。そもそも、短針銃で再修正プログラムを撃たれ、文学少女の長門さんはいなくなったはずです」
 いや、ハルヒが一郎の階段落ちを目撃すると世界が改変されて、文学少女の長門ができるだろう……ややこしいな。
「いえ、長門さんは対情報操作用遮蔽スクリーンと防護フィールドで改変の影響から免れることができます。実際、一郎さん(大)や朝比奈さん(大)が十二月十八日の早朝、エラー長門さんによる改変を目撃しながらも影響を受けなかったのは、三年前の長門さんからそれらのナノマシンを注入されたからだったんです*6
 ……てことはなんだ。
 あの三日間、エラー長門はずっと文学少女のふりをしてたってのか。
「そうなりますね。白紙の入部届けを渡したり、部室に来てくれるという約束にはっきり微笑んだのも、すべて演技だったわけです。もちろん、それらはすべて一郎さん(大)を助け事態を正常化するために必要な行為だったからですが」
 古泉は言葉を切り、少しためらうように唇をつぐんだ。今度はなんだ?
「いえ、このときのエラー長門さんは、どういう精神状態だったのかと思いましてね。便利なのでさっきからエラー長門さんという呼び名を使ってますが、実際は再修正プログラムによっていつもの長門さんに戻っていたはずです。ただ、未来の長門さんから同期を拒否されましたから、完全ではなかったかもしれません。たとえばそうですね、あの『鍵をそろえよ』という曖昧なメッセージ、あれを残したのはエラー長門さんでしょう」
 一郎(小)に、元の世界へ戻りたい願望をひきだすためとかいうやつか。
 そうだな、ハルヒは長門が宇宙人とは知らないんだから、そんなメッセージを残すはずがない。エラー長門が文学少女に改変されていた場合も、やっぱりそんなメッセージは残さない。残したのはエラー長門だとしか考えられないか。
 とにかく、エラー長門は世界を元に戻すための努力をしたわけだから、ちゃんと正常化されていたわけだな。
「そのようですね。三年前の七夕へ時間移動する緊急脱出プログラムも同様です。ところがその一方で、エラー長門さんは文学少女の役割も続けました。なにも知らない、普通の文学少女を演じ続けたんです」
 そりゃあ、運命説なんだ。しかたないだろ。
「いいえ、違います。現実的に想像してみてください。エラー長門さんは、未来の長門さんから同期を拒否されました。ですから、十八日から二十日までどんなことがあったのか、具体的には知らなかったはずです。もちろん、一郎さん(大)に邪魔されたことから、自分の計画が失敗に終わることくらいはわかっていたでしょう。ですが、演技といっても、まさか一挙手一投足まで決めてあったわけではないんじゃないですか? 文学少女としてのそれらしい過去の記憶があるだけで、そこから後はアドリブ。エラー長門さんが演じたのは役の設定だけの、シナリオのないドラマだったんですよ」
 ………………。
「それにも関わらず、エラー長門さんの行動は、いやに積極的だったと思いませんか? 一郎さんに白紙の入部届けを渡し、マンションに誘い、また部室に来てくれるという約束に、はっきり微笑みました。エラー長門さんは正常化されていたはずなのに。そんなことをしても必ず運命に裏切られるとわかっていながら、それでもそうした。あなたはあなたが思う行動を取れ。そう未来の自分に告げられて、彼女が選んだのはそういう行動だったんです」
 ………………。
 エンターキーを押してからは、どうなるんだ?
「首尾よく一郎さん(小)がエンターキーを押して三年前へと時間移動した後、再改変が実行されます。このとき、階段落ちした一郎さんが病院で意識不明だったという三日間の記憶が捏造されたわけです」
 やれやれ。気楽に改変されるものだな。
 十八日早朝にエラー長門がハルヒのいない世界を創って、その後で未来の長門が元に戻した。そんで昼過ぎにハルヒがハルヒのいない世界を創って、二十日にはハルヒがエラー長門を創造し、またエラー長門が元に戻して終了。世界を改変するのは、これで合計五回目だぞ。
「ひょっとすると、最後の改変は涼宮さんが実行したかもしれませんね。エンターキーを押し、三年前へ時間移動した瞬間、文芸部の部室にいた人たちには、一郎さん(小)が突然消え失せたように見えたでしょう。人体消失という超常現象を目撃した瞬間、涼宮さんは一郎さん(小)から聞かされた話を本心から信じます。そして、自分自身の存在は幻になり、本来あるべきだった世界が戻ってきたんです」
 想像してみる。
 エンターキーを押し、消える一郎(小)。
 ハルヒが長門に向かって叫ぶ。あなたが犯人ね!
 エラー長門が眼鏡を外す。なにかそれらしいセリフを言って、火花だとか青白い閃光だとか特殊効果が入り……。
 ………………。
 自分で自分を、理屈だけで幻だと思える奴なんかいるか?
「例えばですね、涼宮さんが突然、あなたにキスをされたとしましょうか。すると涼宮さんは動揺し、こんなことはあるはずがない、夢に違いないと認識するでしょう。するとそれは、その通りになるんです。涼宮さんは眠りから覚めて、変な夢をみてしまったとつぶやくでしょう。本当は、眠りから覚めた自分を創造してしまったんですけどね」
 ……で?
「これで終わりです。世界は元に戻りました。一郎さん(大)は病院へ、一郎さん(小)は三年前の過去へ、巡る巡る因果は巡る。すべてのつじつまがあって運命は終了です」
 ………………。
「しかし残念なことに、ひとつだけとりこぼしがあります」
 ハルヒが目撃した、正体不明の奴だな?
「一郎さんが階段落ちしたことはすべての始まりであり、事実であり、捏造や幻ではありません。必然的に、誰かが一郎さんを突き落としたのも、現実にあったこととなります」
 いや、二十日にエラー長門だかハルヒだかが最後の改変をしているだろう。階段落ちの犯人は、そのとき捏造されたんじゃないのか?
「そのときの改変は基本的に元の世界とまったく同じに戻されたと考えるべきでしょう。いなかった人物を創造する意味がないですからね。さて、犯人は誰だと思います?」
 朝比奈さんだろう。
 階段落ちのとき、団員は全員その場にいて、部室棟に誰もいなかったとおまえは言ってたな。だとすれば、その犯人は超常的な能力を使ったとしか考えられん。
 例えばハルヒや長門なら、改変能力で自分の複製を作って、そいつに突き落とさせることができるかもしれん。しかし、おまえの話にハルヒや長門がそんな能力を発揮したなんてエピソードはなかった。
 だとすれば、時間移動だ。未来か過去か、時間移動してきた奴がやった。とすれば、朝比奈さんだろう。
「そうなんですよね。ミステリらしく前提条件だけから答えをだそうとすると、そうならざるを得ない」
 違うってのか?
「理屈ではありません。あなたも朝比奈さんに会えばわかりますよ。あの人には無理です。一郎さんを突き落とすつもりで、自分のほうが転げ落ちません。そもそも、一郎さんに怪我をさせるなんて仕事を引き受けるとも思いません」
 すると、犯人候補がいなくなるんだがな。
「やあ、やっと着きましたね」
 なんのことだと思ったが、周囲を見て驚いた。いつの間にか、長門のマンションに到着していた。
「では、今日はこのへんで」
 続きがあるみたいな言い方だな。
「どうでしょうね。正直、僕は楽しかったですよ。有意義な会話でした」
 おまえと一郎は、いつもこんな話ばかりしてるのか。高校生の日常会話とはとても思えんぞ。
「いえいえ、いつもの一郎さんは、ぼやいたりふざけたりが専門でして。珍しく話が続いているな、と思ったら涼宮さんが邪魔してきたり涼宮さんが邪魔してきたり涼宮さんが邪魔してきたり。記憶を失ったあなたが少しでも手がかりを得ようとまじめに聞いてくれて、いまの僕はほろっと涙がこぼれそうなほど幸せを感じています」
 殴っていいか?
 いや、いますぐに全力で殴る。
「ハハハ、勘弁してください。ところで、あなたのお名前はなんでしたっけ?」
 一郎だろうが。
「いいえ、違います。五人目の団員の名前ですよ」
 ***だろう?
 リビングでおまえがその名前を口にしたときのおぞましさを、忘れるわけないだろうが。
「もう一度、言っていただけますか。ハッキリと」
「だから……ンだろ……う?」
 おや?
 だから、ほら、あれだ。簡単な名前だったな。どこか間の抜けた感じの、短い呼び名で……。
 顔を上げる。
「一郎さん」
 古泉が立っていた。いつものポーカーフェイスで、瞼を細め、薄く微笑んで。
「最後にひとつ、お願いがあります」
 しかしどこか、寂しげな表情をしていた。