二号室に入ると、緑川がシーツを星塚友江の亡骸に被せていた。
「ああ、星塚さん。警察の方達、雪がひどいので着くのは五時過ぎになるそう……」
振り返る緑川が私の後ろに続く星塚の姿に語尾を途切らせる。胸の前で軽く手を握り合わせ、一歩後ずさり道をあける。ベッドの手前で私も緑川の横に並び、その前を星塚がゆっくりベッドの頭側に歩み寄る。
シーツに腕を伸ばしかけ、手の平が雪水で濡れているのを気にしたのか両手の平を互いにこすり合わせるようにし、強く引っ張ればちぎれそうとでもいうようにそっとシーツの端をつまみ、そろそろと持ち上げる。星塚夏樹は知名度こそ高くないが、熟練した映画俳優だ。こうして少し離れたところから挙動を伺う限りでは、演技なのかそうでないのか区別がつかない。
「緑川さん」
手の平で口を半分覆うようにして、小声で呼びかける。
「最後に友江さんを見かけたのはいつでしたか?」
一瞬私の顔を振り返ってから、緑川はうつむき胸の前で組んだ指先を小さく前後に揺らす。
「そう……日付が変わる少し前、霧崎さんご気分が悪くなられたでしょう。そのとき友江さんもお部屋に戻られることになったんです」
「ナズナさんは?」
「ナズナさんと私はリビングに戻りました。後で香我美さんもいらっしゃって、一時半にお開きにしましょうということになったんですけど、今度は香我美さんが起きなくなってしまわれて。声をかけても酔いのせいか動こうとされなくて、こうなるともうダメねなんてナズナさんもおっしゃって、毛布をかけてあげて私とナズナさんは部屋に戻ることにしたんです」
話を聞きながら新たな気持ちで部屋全体を観察し直す。ここの窓もプラスチック製の雪囲いで覆われ外が見えない。
「ルームキーはどうです? 合い鍵は?」
「この山荘にお客様をお招きするのは初めてなんです。鍵も錆び付いてるのがいくつかありましたから、これを機会に新しくつけかえましたし。普通の鍵ですから、麓まで降りれば駅前に合い鍵を作ってくれるお店があったように思いますけど。もちろんマスターキーは金庫に保管してます」
「コーンポタージュはおいしかったですか?」
「はい……どうして?」
こちらを見上げる緑川の視線を私は反らして部屋の中央を眺める。
「いや、まあ」
ベッドの向こう側、星塚がいるのとは反対側に、ボストンバッグが置かれているのに気付く。
「おいしそうだな、と思ったので」
星塚がシーツを元に戻し、こちらを振り返る。眉を寄せ肩を怒らし二、三歩こちらに近づいてベッドを一度振り返ってから口を開いた。
「なにがあったんです? 強盗でも入ったんですか。友江だけがどうしてあんな……」
それ以上歩み寄るのをやめ、星塚は口元を覆うようにしてベッドをみつめる。強く息を吐き、どうして、とだけ再びつぶやく。
「事情をお話しする前にひとつ、伺わせてください」
ベッドの向こう側の、荷物が詰め込まれ膨らんでいるボストンバッグを私は指さす。
「サイドテーブルの上、ご覧になってください。私物がひとつもないでしょう? バッグ、膨らんでますね。荷物をまとめてたわけです。友江さん、明日には発つつもりだったんでしょうか。でも、どうして今晩のうちに荷物を準備する必要があったんでしょう?」
初めて気が付いたように星塚は首を軽く左右に振り、思い付いたのか背後のクローゼットを開いた。
「おかしい、一着もない。確かここに移していたはず……」
クローゼットの中から首をだし、扉を閉ざしながら私の顔を振り向く。
「霧崎さん、緑川さん、もちろん私達はここにお世話になるつもりでした。今日帰るなどという話はしていません」
わけがわからないというふうに、片手で星塚は後頭部をかきむしる。そのとき、半開きになっていた廊下へのドアから、香我美清悟の顔が覗いた。その背後に、寝乱れたロングストレートの髪をなでるナズナが立っている。これで全員がそろった。前に一歩進み出て、数秒頭の中で整理してから口を開く。
「これまでの経緯を、私が知っている範囲でお話しします」
緑川桐子、星塚夏樹、香我美清悟、香我美ナズナ。四人の顔を順番に眺めながら、私は昨夜からの出来事を時系列に沿って語った。スタンガンで襲われたことや、部屋が密室状態だったことも含めて、包み漏らさず経験した事実だけを率直に語った。当惑と疑いに満ちていた四つの顔が、いっそうの混迷と疑惑を深めていく。
「そんな馬鹿な」
語り終えた私に、まず口を開いたのは香我美清悟だった。
「霧崎さん、あなたそれは、自白をしたのと同じだ。それをそのままを話せば間違いなく逮捕されますよ」
「でしょうね」軽く両手を挙げながら答える。
「私が警察でもそうするでしょう」
うつむいていた星塚がゆっくりと顔を上げ、しっかりと前を見据えた。
「霧崎さん、私には正直どう考えていいかわからない。ショックでなにも考えられない」
手の平を扇子のように広げて顔の前にかざしながら、星塚は指を何度も折り曲げる。
「自分の身体が自分のものではないようだ。本当は、あんたを警察が来るまで閉じ込めておかなければいかんのかもしれん。警察が来て逮捕されれば直接顔を会わせられないのかと思うと、いまのうちに一発殴っておくべきなのかもしれん。だがあんたの顔を見てると、わからなくなってくる。どうすればいい?」
顔の前に広げていた手の平を握りしめ、血管が浮き上がるほど拳を強く固める。私は可能な限りの笑顔を一瞬だけ浮かべ、それから四人の表情を再度確かめながら口を開いた。
「申し訳ないが、リビングに皆さん移動していただけますか。ここは警察が調べるでしょうから、あまり長居はしないほうがいい。私は少しだけ調べることがあります。すぐに参りますから、リビングで待っていてください」
星塚がまず動いた。納得できないような顔の香我美も星塚が部屋をでる後をついてゆき、続けてナズナが二人の後を追った。三人分の足音が廊下を遠ざかっていく。緑川もドアまで行き、ノブに手をかけると立ち止まり振り返った。
「霧崎さん、どうしてもお話ししておかなければいけないことがあります」
続ける言葉に迷うのか、ただ私の目を見たまま動かない。私は曖昧に微笑み、すぐに行きますとだけ答えた。緑川は部屋の中を見渡すようにしていたが、すぐにドアの向こうに姿を消した。
心の中で、一から十まで数えた。犯人ならば、私がなにをするつもりなのか確かめに戻ってきてもおかしくはない。十まで数え終え、私はこの部屋と三号室の間の芥子色のドアの前に移動した。確かめたかったこと、犯人の前では確かめるわけにいかなかったことは、たったひとつ。ノブをつかみ、ゆっくりとひねりながら引く。
なんの抵抗もなくドアが開き、私が腕時計のアラームに叩き起こされた三号室が姿を現した。そっとドアを閉ざしながら、頭の中で論旨と、その説明に必要な時間をまとめる。物的証拠を探す暇はない。しかし私以外にも犯行が可能な人間がいたことだけは、なんとしてでも示さなければいけない。腕時計で時刻を確認し、私は自分の推論を再度点検する。約三分後、リビングに戻るため私は二号室を後にした。
さて、誰が星塚友江を殺害したのか? どのようにして二つの密室を成し遂げたか? これらの疑問に対してパズルのように唯一の解答を得ることはできない。しかし手がかりを丹念に追い、密室の謎を考察する上でもっとも重要かつ基本的な問題、すなわち「密室を作る必然性」を考察すれば、読者はやがて最適解にたどりつけるだろう。健闘を祈る。