星々の別れの四ヶ月前、初の有人宇宙船が人工衛星と同じ周回軌道から地表へと無事に戻ってきたとき、僕はもう自分の成功を疑わなくなっていた。星間の通信状況は日を追うごとに悪くなる一方だったが、僕らの研究チームの成果がグリでも評価されていることをズィラのメールを通じて知った。
 間髪を置かず次の目標を僕は公開した。グリ星渡航計画だ。研究チーム内では僕が口癖のように語っていたこともあり、驚くどころか誰もが当然という顔をしていた。しかし世間の反響は思いがけず大きかった。
 それ以上に思いがけなかったのはグリの騒ぎようだ。それまで見向きもしなかったのが嘘のように、予定期日やロケットの着陸場所の問い合わせが殺到した。しかもズィラのロケット開発を題材とした小説の出版と時期が重なったため、ちょっとしたロケットブームが巻き起こったらしい。相次ぐ小説の出版に映画製作まで行われ、ズィラはインタビューや講演会で多忙を極めるようになった。これをきっかけに、グリ星でもロケット研究をスタートさせてみせるとズィラは書き送ってきた。
 ロケット開発に関する資料を僕はすべてネット上に公開していた。しかしグリからより倶楽からのアクセスが圧倒的に多かった。向こうではロケット開発は物語要素としての興味が中心だったのに対し、倶楽人は純粋に科学技術の発展に興味を持つ人が多かった。
 なにより、通信状況の悪化がネットからグリ星の一般人を遠ざけ始めていた。天文学者と通信技術者が予言した星々の別れのときが、刻一刻と近付きつつあった。検討の結果、出発予定日はグリと倶楽の通信がとぎれる二週間前に決定した。それより早いと期間が短すぎてロケット開発が間に合わないし、それより遅いとグリにたどりつけても無事に倶楽と連絡が取れる保証がないからだ。まだその頃はさすがに自分の星に帰ってくることを考えていたから、完全に通信がとれない状態に陥ってしまうことは避けたかった。
 エンジンテスト班が、ついに第一脱出速度を超えることに成功したと報告してきたのは星々の別れから五ヶ月ほど前だ。もちろん、そのとき既に第二脱出速度を超えるためのロケット製造は着手されていた。百人を超える研究チームと製造技術者、そして千二百名を超えるボランティアグループの努力が、蒼天を目指して屹立する宇宙船として形になろうとしていた。
 当時、研究成果については逐一ズィラに伝えていたし、特に第一脱出速度を超えたことは強調しておいたが、グリでの反響は伺い知ることができなくなっていた。ズィラからのメール内容もひどいときには半分近くが欠落していて、僕が送った情報も同じ状態なのは想像がついた。ズィラは小説家として、僕は僕の仕事で多忙を極めていたし、通信状況の悪化が重なってメールの往復も少なくなっていった。
 すべてが一変してしまったのは、グリ星渡航期日まで後一週間と迫った日だった。なんの予告もなく伝令官が僕らの研究室に姿を現した。形式通りの黒装束に銀色のマスクをつけ、白衣姿の研究チーム全員の視線を受けながらモバイル端末の文章を朗々と読み上げた。
「漠々太白該黄机典、および国立航空技術会第六支部十二支団大気圏外調査研究チームに告ぐ。全研究活動および製造活動を無期限停止せよ。これは国家意志にして全国民の総意なり、以上」
 痛々しい程の沈黙を気にもとめず、伝令官はモバイルを懐に戻し、暑い暑いとぼやきながらマスクを外した。
「なにを」僕の視線は宙を浮いていた。
「なにを言ってるんですか?」
 それが口火になったのだろう。その場にいた仲間達全員が一斉に口を開き、伝令官に疑問文を投げかけながら詰め寄った。しかし打ち合わせ済みだったのか、既に民間警備組織の武装警官達が伝令官の周囲をガードしていた。部屋を後にする伝令官とともに人の口から口へと伝令内容が伝わって、研究所は騒然となりつつあった。どうなっているんだ、なにがあったんだと詰め寄る仲間達に、必死で僕にもなにも知らされていなかったことを説明した。
 自端末からチャイムの音が聞こえた。音声通話の連絡だ。僕はみんなにことわって研究室をでると、ホールの音声専用端末ボックスに飛び込んだ。ソケット結合キーをダイアルすると、相手がでた。さっきの伝令官だ。
「やあ、さっきは突然で驚いたろう」
 いたって陽気な声が、天井近くのスピーカーから流れてくる。当然だ、という言葉をなんとか飲み込む。
「テレビはあるか? ホールならあるだろう、まだ放送しているはずだ」
 僕は振り返って磨りガラスを細く開き、ホールの壁に埋め込まれたテレビのニュース画面を覗く。連弾銃を構えた兵達の行進、V字形に編成を組む戦闘機。
「我が国は本日十二時を持って徐罫国に宣戦布告した」
 背後から降りかかる伝令官の声を、僕は身じろぎもせず聞いていた。
「わかるな? 漠々、君の研究は膨大な国費を浪費する。残念だが、時期不適応だ」
 ゆっくり、振り返った。拳を握りしめ、顔をうつむけて。
「さて、そこで相談だ。君の研究チームは事実上解散となる。優秀な頭脳を持った君達だ、それぞれ国益にふさわしい職を得ることになるだろう。それは、君も例外ではない。残された選択肢は二つだ。ひとつは、君のロケット研究技術を応用できる素晴らしい職場、もう一つは、処刑台さ。軍事機密の技術情報をグリ星人に漏らしたことのね」
「軍事機密?」
「君とグリ星人ダヴァービ・ズィラ・グレットのやりとりは、すべて記録に残されている」
「待て、軍事機密とはなんだ!」
「君の親は反政府組織に属していたな? これだけあれば充分だ、君に逃げ場はない」
 噛み合わないやりとりから、やっと気付いた。一方通行モードに設定されている。
「考えてもみたまえ、君はまだ、この星の空をぐるぐる周るオモチャを作っただけだ。これだけの短期間でグリまで飛べる乗り物を作れるなどと本気で思っているのかね? 技術を高めるのはがむしゃらなだけの熱意ではない、失敗の繰り返しと、そして応用だよ。それでこそあらゆる事態に対応できる柔軟なシステムが構築される。君のロケット技術が」
 その先の伝令官の言葉は、僕自身の叫びに消されて聞こえなかった。
「人殺し!」
「さあ、新しい職場に来る意志があれば」
「あれはこの星の空には墜とさない!」
「……のボタンを押したまえ、十秒考える余裕を与えよう」
「空の彼方の空に行くんだ!」
「十……九……八……」
 七の数字を聞く前に、僕はボックスを飛び出していた。いつの間にか、ロビーに全職員が集まってテレビ画面を見上げていた。アナウンサーが淡々と読み上げるニュースに集中している。誰もが不安そうな顔をして、空のことなど忘れている。
 僕は煮えたぎる胸の内を誰にも明かすことなく、研究室に戻った。自分の端末にバックアップディスクを挿入し、最近更新されたデータをコピーする。それを待ちながら、どうしても必要な私物をアタッシュケースに詰め込んだ。もう宿舎はおさえられているだろう、直接飛行場に向かう予定だった。
 コピーの完了を告げるチャイムが鳴った。ディスクを排出し、指先を電源ボタンに伸ばしかけたそのとき、メールが来ているのに気付いた。モバイル端末ではディスクを読み込むのに機器の接続が面倒だ。ディスプレイを爪で二回連続して叩き、メールソフトを立ち上げる。
 同じタイトルのメールが複数あった。通信の悪化で内容が欠損するのを用心したためだろう。ということはグリからのメールだ。アドレスを確かめると、やっぱりズィラからだった。
 テキスト処理ツールで、自動復元を試みる。数秒で起動したエディタウィンドウの文章を読んで、僕は驚愕と同時に舌打ちした。
(君とグリ星人ダヴァービ・ズィラ・グレットのやりとりは、すべて記録に残されている)
 伝令官の言葉を思い出す。このメールのことも、政府は既に知っているはずだ。
 端末の電源を落とすのも忘れて、アタッシュケースをつかみ僕は走り出していた。協力者の募集、船の手配、逃走経路の確保。やるべき事は多すぎるのに、残された時間はわずかしかなかった。