ズィラと僕がネットで出会った頃、グリと倶楽の五万年の歴史はあと七ヶ月で終焉を迎えようとしていた。
 いや、それは出会ったではなく、知り合ったが正確か。二十年前、ストリーム通信技術による動画のやりとりに成功した頃ならば、あるいは三次元疑似世界シミュレーションによりアニメーションキャラクタになりきって会話を交わすシステムがあった頃ならば、まだ「出会い」という言葉はリアルだった。
 その当時、ネットは別名フォレストと呼ばれていた。両世界のあらゆる国々あらゆる階層あらゆる年代の人々がディープフォレストをさまよい、遺伝情報の交換からアマチュアポエムの朗読会まであらゆる交流が行われた。
 しかし、もうフォレストは存在しない。通信レベルは百五十年前のレベルまで衰退していた。星間音声放送がまず消え、画像やプログラムのダウンロード時間が長くかかるようになった。テキストチャットさえ互いのタイムラグを感じた。
 僕らが知り合ったきっかけは、ズィラの書いた小説だった。国立航空技術研究会の会員である僕は、ネットを無料使用する権限が与えられている。検索ナビゲータで偶然検出されたズィラの個人サイトを訪れ、目的の文献の代わりに見つけたのが躍動感とドラマに満ちた物語だった。滅多にない程興奮した僕は、しばらく逡巡した後感想のメールを書いた。ノーリプライで構わないと断りをつけたが、次の日にはズィラからの返事が来ていた。感想をくれたことへの礼と、僕のロケット研究に対する興味がそこに綴られていた。
 当時ズィラはまだ無名だった。けれどそれから数ヶ月程で、グリでは知らぬ者がない程のベストセラー作家になっていった。もちろん、僕のような変わり者以外にフィクションを楽しむ習慣がない倶楽では、ズィラの小説はまったく話題にならなかった。倶楽からのファンレターは恐らく僕一人だっただろう。
 メールのやりとりが続いた。多い日には一日で二十通以上、七ヶ月で恐らく二千通近いメールを書き、そして読んだ。最初は翻訳ソフトの助けを借りていたが、おかげでラバン語を完全にマスターすることができるようになり、ズィラのほうも倶楽星の文化や科学技術に興味を惹かれたようだった。そのなかでも特に関心を持ったのが、ロケット研究だ。
 僕がリーダーを務める研究チームは、正念場に来ていた。連日繰り返される噴射テスト、小型模型による打ち上げ実験。硬度を測り、材料の耐性度を確かめ、数値を整理しては新しい可能性を模索した。二年前に赤道線上の周回軌道を巡る人工衛星の打ち上げに成功して以来、順風満帆だった。充分な資金と設備、優れた頭脳が集まり、研究チームはただひたすらに次の目標である有人宇宙飛行船実現のために連日の激務をこなしていた。
 そんな日々の中、ズィラのロケット研究に対する関心の高さは、グリラーの気質をある程度知っている僕にとって少々意外だった。実際、僕ら研究チームは何度も政府を通じてグリ世界連盟に嘆願書を提出し、グリ星とのロケット研究協力を要請していた。しかしグリからの反応は皆無だった。それが単純にグリラーと倶楽人との文化や物の考え方の違いだと理解するには月日を要した。いや、理解はしても納得はできなかった。こんな皮肉があっていいのかと、研究室の窓から夜空を見上げる度に思った。
 だからグリ星渡航計画を打ち明けたとき、ズィラの「なんのためにそんなことをするの?」という疑問に、僕はテキストだけで返信メールを二十キロバイトも書いた。物資の運搬が可能になることでどれだけの科学技術発展が望めるか、互いの文化がどれだけの影響を受けるか、政府の援助資金を嘆願請求するときに作った資料まで持ち出し、微に入り細に入り解説した。しかしそれに対するズィラの返信はごく短いものだった。
「でもそれらは明日とか来週に必要になるものでもないよね? なんでそれだけの労力をもっと楽しいことに使わないの?」
 僕はこのとき初めてグリラーが、僕たち倶楽人より遙かに知能指数が高くロケット開発に決定的な優位の立場にあるグリラーが、通信技術の発展のみで事足れりとした理由を知った。いや、薄々気付いてはいたが、こんな直接的かつ簡潔な言葉でグリラーの考え方が表現された文章は初めてだった。
 僕は研究室の中を歩き回った。うつむき、後ろ手を組み、ホワイトボードの計算式や設計図、キーパンチャー達が端末に向かって作業をしている様子を眺めつつ、返事を考えた。二時間後、僕は端末の前に座り、キーを打ち始めていた。
「前のメールで説明したことは、全部嘘だ」
 バックスペースキーを打とうして一瞬手をとめ、穏便な表現への修正を二、三考えた。それから、けっきょく直さず続きを打った。
「本当の理由は、君に会いに行くためだ。ロケットには僕が乗る。飛行機の免許もとったし、加速度に耐える練習もしている」
 ズィラからの返事は早かった。そこに綴られていたのは長い告白だった。
「漠々、君は本当に倶楽人なの? ボクに会いに来るだけ? それって、ボクらグリラーの考え方だよ」
 続けてズィラの簡単な生い立ちについての記述があった。グリでは親が子供の養育を行わない。生まれてしばらくは病院に預けられ、その後はホームと呼ばれる公共養護施設で教育を受ける。
「ボクが育ったホームはわりと施設が充実してて、最新のネットブラウジング環境が整ってた。ハード的にもソフト的にもネットが活性化していく頃にボクは生まれ、複雑化してくフォレストをさまよった。あの頃のどきどきした感情、知らなかった人達とのコミュニケーションの新鮮な感動を、ボクは忘れない。大人達がボクらの世代を『哲学者連盟』と呼ぶのは以前書いただろ。生真面目で、仕事好きで、頭が固くてくだらないことをいつまでも悩んでる、そういう世代なんだ。ボクはグリで生まれたんじゃない、ディープフォレストで生まれた、そう思ってる」
 僕はその文章をプリントアウトした。言葉を紙にコピーしたって、不便なだけというのはわかっていた。重いし、皺ができるし、検索だってできない。それでもプリントしたのは、ズィラの言葉を物質にして、指先で触れてみたかったのだと思う。