弾丸になって打ち付ける雨粒を全身に浴びながらボクは漠々の腕にひきずられていた。剥き出しの細い腕を鞭のように打ち付ける雨が蛇の形になってボクの腕まで這い降りてくる。息をしようとするたび口の中に冷たい水が飛び込んで前髪が風にあおられ濡れた額を滑っては跳ね上がりそしてまた額に落ちてくる。
旧市街、真っ暗な高いビルディングの連なり、コンクリートが風を切って音を立てる。三車線の大通りの真ん中をボクらは走ってく。通りに面したすべての商店が照明を落としシャッターを閉ざしてる。市街電車の電線が青白い火花を放ち、チラシや街路樹の葉が小鳥のように舞い上がっては雨に叩き付けられ落ちてゆく。台風が直撃したこの街に、グリと倶楽の別れを祝い惜しむ人々の姿はない。でもボクと漠々にとってそれは好都合なことだ。人がたくさんいるところでは民間警備組織が巡視にやってくる。異邦人で逃亡者のボクらがみつかるわけにはいかない。
漠々が振り向いてなにか言ってる。指で公共車らしき灰色のセダンを指さしてる。あれに乗ろうと伝えたいらしい。了解の印にうなずいてみせると、更に強く腕を引かれた。ボクは肩にかけた麻袋の紐をかけ直す。肩に食い込んでひどく痛い。この星のすべてのものが重くのしかかる。手を離して漠々が運転席側のドアを開け、アタッシュケースを後部座席に放り込むと助手席側に乗るようボクに手振りで示す。ボンネットの上に飛び乗って身体を滑らせ向こう側に降り立ち、ボクは助手席側のドアを開く。湾曲した車体のカーブに沿って流れる雨が滝のように車内に流れ込むのを見て、慌てて中に乗り込みドアを閉ざすと途端に風雨の音が弱まった。
激しい鼓動と息を静めようと冷たい胸に手をあてたまま、フロントガラスからの鉛色の光景を眺める。気付くと漠々は燃料タンク内のランプをつけて、ガソリンがあるか覗き窓を確認している。ちょっと驚き、そして恥ずかしくなった。なんてタフなんだろ、ボク一人なら発車する前にせめて十分くらいは休憩するのに。
漠々が天井に腕を伸ばしエンジン始動ワイヤーを力強く引くと、車体が一瞬震えてオレンジ味を帯びた車内灯が点灯した。同時にカーラジオからノイズの入り混じったアナウンサーの声が流れ出す。熱を帯びた口調でグリと倶楽の歴史を語っている。ボクは他局に切り替えようとチャンネルをいじった。けれど台風のせいだろう、どこもノイズだらけでまともな音がない。
「行こう」片眼鏡端末を装着した漠々がボクの顔をみつめる。
ボクの視線が漠々の、片眼鏡をつけていない左眼に吸い込まれる。大きな漆黒の濡れた瞳、意志の強い眉。身長は一メートル四十センチで、ボクより十五センチは高い。ほんの数時間前まで、瞳の色も身長も文字でしかなかった。それがいま、目の前にある。
「どうした、ズィラ?」
発進のためギア操作をしてから、ボクの視線に気付いて不思議そうな顔で振り返る。ああ、これが漠々だ。ボクのために、星間さえ越えようとした人。
なんでもない、短く答えてボクは前を見る。荒れ狂う暴風雨に包まれた大通りを、年寄りの熊みたいにのっそり車が動き出す。ボクはもう一度、漠々の横顔をそっと盗み見る。少しずつ、少しずつスピードが増していく。この街の外へ、荒野へ、国境線へ、自由へ向けて。