頭の中でリズムをとったり、泣いたり汗かいたり口笛吹いてたような気もするけど、あいにく僕の目覚めはただの頭痛では始まらなかった。
「イタ!」
 後頭部に強烈な一撃を感じ、僕はガバリと跳ね上がる。テーブルに突っ伏して眠っていたのが、思いっきり上半身を反らせたので、勢いがついた。数秒の無重力感の後、僕は椅子ごと後方に倒れ込んでいた。
「おっはよ! 問題編終わったわよ」
 腰に手をあて、笑顔で仁王立ちしたマドが逆さまに見えた。僕は床に倒れ込んだままの姿勢で、後頭部をなでる。よかった、割れてない。
「目覚めた途端に殺人鬼にご対面か、ついてない」
「ん? タックン、なんか言った?」
「いや、別に……」
 ごまかしながら起きあがる。椅子を戻し、座り直して周囲を見渡すと、人数が一人増えていた。
「相変わらず、大変ですね」
 雪村霙に声をかけられる。眼鏡の奥の切れ長の眼は、同情しているふうではない。工学部二年生で、ショートカットに縁なし眼鏡が知的な感じを与えるが、その通り推理小説を読んでも謎解き場面の前にこともなげに犯人を指摘する、頭の切れ味が鋭い人だ。例会の出席もまれだし、普段は無口だけど、ロジカルな話題になったらその意見に誰も逆らえない。
「大変、大変。次からは、頭に枕を紐でくくりつけてから居眠りするよ」
 クスリともせず、雪村は手元の原稿に目を落とす。右手にはシャープペンを握り、なにかメモしている。遅れてきたので、問題編を読み直しているのだろうか。
 席に戻るマドの姿を横目で見ながら、元会長がきりだす。
「それじゃあ、どうする? 読書会のときみたいに、時計回りに語ってもらおうか?」
「あ、待ってください」
 小学生のように元気よく手を振り上げ、江田が制した。
「僕から始めさせてください。きっと間違ってるから……というかぁ、これ、すごい簡単なんですけど……」
 ざわめきが走る。下崎雅也がプーッと鼻から煙を吐いた。目が笑ってる。
「だってそうじゃないですかぁ。三人いて、二人殺されて、最後の一人が犯人で自殺したんでしょ? だったら『俺』が犯人だったのに決まってるじゃないですか。残りの二人は確実に死んでるのを確認してるわけだし」
「あの、江田さん、それなら『俺』の記号はなんですか?」
 黛の質問に、キョトンとした眼をする江田。手近にあった原稿を一部つかむと、パラパラとめくる。
「ええっと……W-23ではないことは確かですね。ピンクの壁紙の部屋で『俺』はW-23が死んでるのを確認してます。だから『俺』はW-23じゃない。他の登場人物はM-24とW-22ですから、男である『M』の記号があるM-24が『俺』です」
「江田君」マドはコーヒーのカップを手にとった。
「ぶっかけていい?」
 僕は助け船を出した。火種は小さくしておかないと、後々こっちにまで累が及ぶ。
「あのね、江田君、作品の中で記述されてるように、自分のことを『俺』と呼んでるから男性であるとは断定できないんだよ。犯人は二重人格者だから、二つの人格の性別が一致しないこともありえるわけ」
 あ、なるほどと手のひらの上にゲンコツを打ち付ける江田。今時、時代劇でもそんなリアクションする奴いないぞ。
「となると……でも『俺』が犯人なのは間違いないですよね? だから『俺』の記号がM-24なのかW-22なのか、どっちかを当てればいいんだ」
「まあ、そうとも考えられるね」
 あえて僕は、含みのある回答をした。なぜなら江田は今、見当違いの方向に進んでいるからだ。けど、とりあえずこっちの枝道は行き止まりであることを検証しておくのも、犯人当て小説の楽しみの一つだろう。
「あの……私の考えを言っていいですか?」
 選手宣誓でもするように、黛が肘を曲げて顔の位置に手を挙げる。全員の視線がそこに集中した。
「殺人鬼の二重人格者がいる三人の人間。四つの魂それぞれから記述されてるってことは、一番目の魂から四番目の魂のうち二つは、同じ人間の魂で、そしてまさにその人間が殺人鬼だった、てことですよね?」
 誰かが号令をかけたように、全員が同じタイミングでうなずく。
「それから、最初に約束として……読みます。『六、語り手は記憶をなくしているが、喪失したのは一九九九年八月一日午前0時以前の記憶のみであり、それ以降は途中で意識が途絶えても、連続している』……ほら、こう書かれています。ということは、殺人鬼の魂は、殺人を犯した後で目が覚めたのなら、その行為を覚えてるはずです」
 アー、と元会長が溜め息のような声を漏らした。黛は読み上げるのに手にしていた原稿から顔をあげ、言葉を切ってから、続ける。
「ということは、ですね、二番目から四番目の魂は殺人鬼の魂じゃない、と言えるじゃないですか。だって、二番目の魂である『僕』は既に、第一の被害者であるW-23が死ぬのを見てますから。つまり、一番目の魂の『あたし』が眠ってから二番目の魂の『僕』が目覚めるまでに、W-23は刺されたんです。だとしたら、二番目の魂から四番目の魂のどれかが殺人鬼の魂なら、殺人を犯したことを覚えているはずです」
 小さな拍手の音。下崎だ。照れたように黛はポニーテールの髪をなでる。
「えっと、あの、その、ですから、殺人鬼の魂は、一番目の魂です。そして、二重人格のもう一つの魂が四番目の魂『俺』ですね。四番目の魂『俺』からの記述では足の裏の記号はわからないですけど、一番目の魂である『あたし』は白い壁紙の部屋でM-24が倒れているのを、それから、Sの部屋でW-22が倒れているのを目撃しています。ということは『あたし』は残ったW-23で……あら?」
 下崎は、胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、短くなった吸い殻を押しつける。
「ま、ダメだな。W-23は死ぬところを二番目の魂『僕』に目撃されてるんだから」
「エーッ、どうして? 絶対、これで当たってると思ったのに」
 黛が口に手をあて、片方の手で笑ってる下崎の背を叩く。痴話喧嘩だ。
「そうですね……第三の魂の『私』は、W-23が本当に死んでるのか確認してないし、あ、でも、第四の魂の『俺』は、血の流れた後がずれていないからW-23が動いていないって言ってますね。。ウーン、W-23が二人いて、『僕』が確かめたのは殺人鬼じゃないほうのW-23だとか……でも人数は三人しかいないんですね。じゃあ、足の裏の記号を書き換えたとか……」
「それはありえません」
 唐突に、雪村霙が口を挟んだ。なにやら、奇妙な図の書かれたメモ帳を手にしている。
「冒頭の筆者から提示された客観的事実によれば、残された三つの死体には、容易には消去不可能な入れ墨という方法で記号が施されたことが記されています。さらに、入れ墨の上から塗ることで記号を読み誤らせるようなマジックペン、墨汁の類は存在しなかったことが最初の約束にあります。また、小説中の描写でも、文字は入れ墨であると判断されています。読みにくいフォントであるなどという記述が気になりますが、とりあえずW-23が二番目の魂『僕』の発見以降、確実に死んでおり、ピンクの壁紙であるSの部屋にいたことは確実でしょう。なぜなら、このことは第二の魂から第三の魂まで全員が確認していますから」
 メモ帳をテーブルの真ん中に置く。全員が、そこに描かれた図に注目した。
「そこで、こういうものを作ってみました」
 ご丁寧に、図には番号まで振られている。読者の皆様も、図を眺めながら雪村の言葉に耳を傾けてほしい(図1~図5)。
「第1の魂の記述から、部屋の位置関係と登場人物が最初にいた部屋はこの図1のようであることがわかります。ただし、第1の魂は部屋Sの壁紙の色を記述していませんが、後で部屋Sの壁紙はピンクであるという記述がでてきます。これが正しいと仮定し、第1から第4の魂の行動を図で示したのが図2から図5です……」
 ウワーと、江田が感嘆の声をあげる。手書きとは思えないほど、楕円まできれいな形に描かれていて、恐ろしいことに一度も消しゴムをかけた跡がない。
「筆者の提示した客観的事実によれば、建造物についての警告文の説明は正しかったとされています。ということは、ドアは一人が一つしかロックをかけたり外したりできないはずです。しかしですね、図2と図3を見てください」
「二人が同じドアをロックしてるね……」
 元会長が腕組みをしながら声を漏らす。雪村が軽くうなずき説明を続ける。
「そうです。図2では『あたし』すなわちW-23がWとAの間のドアをロックしています。ところが、同じドアを図3では『彼女』すなわちW-22がロックしています。筆者の示した前提条件からみて、これは明らかに矛盾です」
「つまり……どういうことですか?」
 黛は眉を曇らせた。そっと視線を移すと、マドはニヤニヤしている。作者冥利に尽きるとはこのことだろう。
「作者が提示した前提条件を、私達が誤って受け取っている、ということです。すなわち……」
 雪村は、にやつくマドの顔をチラリと見た。
「叙述トリックです」