コンパートメントには先客が一人。スーツ姿の老人が列車の振動に負けぬよう背を丸め、細身のペンでなにかメモしている。
旅行鞄を座席に放り、二十代半ばとは思えぬ無遠慮さで白いワンピース姿の叔母は老人の手元を覗き込む。僕は麦藁帽を脱ぎ腰掛ける。床に靴の踵がとどかない。膝に麦藁帽をのせ沈黙。
二分後には叔母も腰掛けていたが、唇は既に沈黙の美徳を忘れていた。
私、初めてこの列車に乗車賃払いましたわ。五歳のとき、よその家族連れに紛れ込みましたの。十六才のときは無賃乗車に気づかれたところで優しい駅員さんが立て替えてくれました。まあ、そのために母に寝たきりになってもらいましたけど。
メモには驢馬と駱駝と海豹という奇妙な組み合わせの言葉があった。アマチュア詩人の老人は、響きのいい組み合わせの言葉を考えていたのだと恥じらいを帯びた顔で告げた。
「まあ、ナンセンス」口元に手の甲をあてて叔母は微笑む。
「驢馬と駱駝と海豹、驢馬と駱駝と海豹、グッド・ナンセンス」
実際、気に入ったのだろう。半世紀後、叔母はそれを墓碑銘とした。
大女優として生きた彼女の墓を訪れる客相手に、今年五十六才の僕は、いつも墓碑銘の説明に困る。