8/6(土)、MYSDOKU6に参加しました。課題本は高井忍『柳生十兵衛秘剣考』(東京創元社)。14時から16時半まで2時間半、会場はルノアール新宿区役所横店。
 以下、印象に残ったことをかいつまんでレポートします。エー、わたくし、選択は世界史で、日曜夜八時は「日曜美術館」を観ているし、時代小説について知識不足や勘違い等あるかもしれませんので乞うご容赦。

 会場に到着すると、すっかりどこかで見覚えのある新鮮みのない顔ぶれが。なぜか、イラストを描いて作品名をあてる大会中。ホワイトボードには天狗の面の絵がふたつ、斜めに並んでいる。「わかりますよね?」いや、まあ、わかるんですが。
 参加者はスタッフを入れて総勢十兵衛。いや、十名。司会のみっつさんの提案で、自己紹介とともにベスト作品を挙げていくことに。最初の短編「兵法無手勝流」には誰も投票せず、二番目の「深甚流“水鏡”」が四票でトップ。「真新陰流“八寸ののべがね”」と「新陰流“月影”」が三票ずつと綺麗に票が別れた。
 高井忍は「漂流巌流島」は第二回「ミステリーズ!」新人賞を受賞しデビュー。あの有名な巌流島の決闘について、チャンバラ映画のプロットだてのため大量の史料を調べるうちに思わぬ歴史の真実が……という、鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』のような作品。
 なお本格ミステリ作家クラブ選・編『ベスト本格ミステリ2011』には「聖剣パズル」が選ばれている。あと数年したら、歌謡曲に秘められた見立てを解いたり釈迦如来をタイムスリップさせたりする小説を書いてくれるのではと期待が高まっている。

 まずは「兵法無手勝流」から。まるで「日常の謎」派を思わせる作品。キャラクタ紹介を兼ねつつ「こんな変わったことがあったんだけど」と日常の些細な出来事を肴に玄達と十兵衛が推理遊びをするような作品。
 この時代特有の、情報がすぐには伝わらない事情が活かされているとリッパーさん。柳生但馬守宗矩の御曹司で隠密の噂もあった十兵衛だからこそ成立している話と吉乃さん。
 厳密には、卜伝はなにも抗弁せずに斬られてしまったため、十兵衛の推理は証明されていない。あくまで、そちらのほうが真実味があるという解釈がされているだけ。京極夏彦の百鬼夜行シリーズが妖怪の存在を憑き物落としで現実へと解体するように、伝説を現実へと落としているとどちらさん。
 末尾の文献は本物なのか。この作者なら本物と思うが、こういうところにあえて真っ赤な嘘を書く時代小説家もいるらしいとからうささん。荒山徹の朝鮮柳生がどうのこうの……。

 続いて、人気投票で一位を獲得した「深甚流“水鏡”」について。伝説的な剣豪が女性を守るため機転を働かせたというロマンが魅力。足跡トリックを巡って仮説検討を交わされる箇所はミステリとしての良さがある。雪を枝から落としたというのは、現場にいたら気付かなかったのかしらん。嵐の影響で川嵩が増していたから、というのはフェアで良い。
 ただ疑問もあり、まず草深甚四郎が死体の第一発見者になったことは偶然性が強すぎないか。これについては、そもそも甚四郎が死体を発見したことから“水鏡”の筋書きが生まれたのであり、このようなスタート時点の偶然は良いのではないかとどちらさん。
 次に、死体を発見した甚四郎はなぜ死体をそのまま放置したのか。千世と平太に“水鏡”を見せる前に、他の村人によって死体が発見されてしまっては、せっかくの演出が成り立たなかったのではないか。第一発見者となった女房がいつも同じ時間にそこへ来ることを甚四郎は知っていて利用したのではないかと秋山さん。

 そして「真新陰流“八寸ののべがね”」。もし宮本武蔵が“八寸ののべがね”に敗れていたなら、その謎に挑戦した柳生十兵衛が神谷文左衛門に挑むという、長い話になっていたかもしれない。結果的にはあっさりと武蔵に敗れてしまうわけで、そのダメっぽさが魅力(?)とみっつさん。
 秋山さんらが“八寸ののべがね”をおしぼりで実演。「シグルイの流れ……」「はじめの一歩でタイ人ボクサーが……」「ジョジョのズームパンチ……」「それは本当に伸びてるやん!」アンサイクロペディアにも“八寸ののべがね”は「剣道でいう片手打ち」と説明されていたり。p.177には、武蔵に敗れ昏倒した文左衛門が“右の拳が木刀を握って”という記述があり、秘剣の正体を見抜く手がかりが残されている。
 宮本武蔵がカッコイイ。まるで厨二病のまま成長してしまったかのような……玄達のためにお爺ちゃん張り切っちゃうゾーみたいな……。みっつさんによると、実は武蔵が二刀流で戦う話はあまり無いとのこと。有名どころとしては宍戸梅軒の鎖鎌を相手にした話がある。
 玄達はさんざん「本当にそんなことをしていれば気付いたはずだ」と推理を否定しているが、横から見物していれば“八寸ののべがね”の正体などすぐに気付けたのではないか? 秋山さんによると、現代の剣道の試合でも剣の動きが速すぎて、撮影した映像をコマ送りにしてもわからないほどのため、正体に気付かないことはありうるとのこと。
 それにしても、玄達なら武蔵に直接訊けば教えてもらえそうなものという疑問に、玄達ツンデレ説が浮上。本当はとっくの昔に真相を知っていたけれど、十兵衛と会話を愉しみたいがためにあえて黙っていたのではないか。
 ここで表紙について。時代小説としてもライトノベルとしても売れるようにと配慮した表紙なのだろうけれど、どっちつかずになっているとリッパーさん。表紙が毛利玄達なのは、最終話のため柳生十兵衛を描けなかったからではとsasashinさん。

 そして最終話「新陰流“月影”」。吉乃さんが入れ替わりトリックの伏線を指摘。これまでの短編ではいつもあった玄達が女武者という説明が無い。晒し首を目にして気絶した中村千織を運んでいるが、玄達にそれほど力はあったろうか。子供たちの稽古にひきはだを使っているが「真新陰流“八寸ののべがね”」に新陰流では稽古にひきはだを使うという記述があるとどちらさん。仮にも巫女さんキャラに名前が無いなんて不自然……だ(?)と、からうささん。
 史実との対応関係がよくわからないとどちらさん。どちらの十二人斬りが史実として残ったのか。仇討ちのほうは、偽の十兵衛の正体は明かされているし、かつ玄達が斬ったことになっている。
 ミステリというよりはコンゲームに近いとsasashinさん。十兵衛が刀の鍔で片目を隠している描写がこれまでの短編三本には無い。柳生十兵衛=隻眼というイメージをうまく利用しているとからうささん。p.214 “自分で名乗った”という表現が絶妙。
 十兵衛が斬った首を見てみたいという理由だけで京都へ行く玄達……もはやデレきっているとしか云いようがない。

 てな感じで、最後に各自感想を述べて終わり。遠藤さんの、文章が読みやすく、この作者にはこういった時代小説としての歴史ミステリを他にも書いてほしいという意見に同感。剣豪といったら宮本武蔵くらいしか知らず「十兵衛? ……ああ、そういえば十兵衛ちゃんとかいうアニメがあったような……」と思っていた私にも読みやすい内容でした。