9/26(土)、MYSDOKU2に参加しました。課題本は初野晴『1/2の騎士』(講談社ノベルス)、14時から17時まで3時間語り続けました。
 以下、印象に残ったことを軽くレポします。記憶だけを頼りに書くので正確さや順序の点は乞うご容赦。

 今回の会場は門前仲町駅すぐの富岡区民館。区民館だけあって料金がそうとう安いらしく、参加者数は十人ちょいなのに参加費はわずか250円、おまけに飲み物とお菓子つき。
 まずは自己紹介からスタート。
 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』のファンサイトを管理していたというコン$さんが、第四部との類似性を指摘。東北の小さな街に住む高校生、東方仗助にはスタンドと呼ばれる特殊能力があった。父親が警察官の仗助は、特殊能力を悪事に利用するスタンド使い達から自分達の住む街を守ろうとする。『1/2の騎士』もヒロインのマドカは父親が交番勤務の警部補であり、複数の犯罪者から街を守ろうとする。
 初野晴は『水の時計』で第22回横溝正史ミステリ大賞を受賞したが、その受賞式に参加したカエルさんによると、作者はけっこう美形だったそうな。
 表紙については悪評紛々。私はこの表紙と裏のあらすじから、てっきり女子高生がタイムスリップする中世ファンタジーかと想像していた。
 自己紹介とあわせてお気に入りのエピソードを挙げていく。印象としてはインベイジョンとラフレシアの一騎打ちという感じ。名無しのオプさんは、近くに障害者向けの学校があるので、盲導犬殺しのドッグキラーがつらかったとか。

 各エピソードを個別に語っていくことに。もりのさるは少年マンガっぽいザコキャラだよね。「ゲハッ! わかった、負けを認めよう……だが俺はコーダンシャー四天王のなかでは最弱の存在に過ぎない! この後に続くウラガー(以下略)」的な。で、あとで味方になる。インベイジョンではもう要らない子あつかいされてるし(p.222)。謎もクイズレベル。

 ドッグキラー。近田鳶迩さんが、冒頭の動機の告白は後に回すべきだと指摘。なぜ盲導犬を狙うのかという理由は、親父っさんに問い詰められたときに答えるほうがより犯人の非道さを印象づけられたはず。

 インベイジョン。ミステリとしての評価はこれがいちばん高かった模様。ワイヤータイプのブラジャーなんてよく知ってるなあとみっつさんが感心。「初野はなんでも知ってるなあ」「なんでも、は知らないわよ。知ってることだけ」実は作者が男の娘だから知っていたのではないかという仮説を誰も言わなかった。私も言わなかった。
 ここから女性陣に、男性作家が描いた女性キャラに不自然さはなかったですかと質問。鈴のとりまき髪型三姉妹はイジメにあっていたのを助けられたということだが、女の子はそこで感謝するより、むしろ遠ざけるのではないか。現実的ではなく少女マンガ的(白泉社)なキャラクタ。女性に限らず、どの登場人物も良い人か最低最悪のどっちかで、あまり中間的なキャラクタがいない。

 ラフレシア。犯人の意外性が問題に。かなりの人が「ハロ=ラフレシア」だと早い段階で見当がついていた。雰囲気的に、そろそろ身内が犯人というパターンをするだろうと。
 といっても、物語内での論理の進め方としては対策が施されている。まずドッグキラー(p.147)でラフレシアはオッドアイだというネットでの噂を紹介し、後でそれはハロ達が現場にいたからだと否定される(p.314)。そしてむしろハロはラフレシアと闘っているのだという構図が示される。その上で解決では、なぜラフレシアはハロが天気予報を外す日を予測できるのかという謎とあわせて、動機の面とあわせて構図をひっくり返してみせる。
 犯人像もまた、ここで転調している。ドッグキラーやインベイジョンは同情の余地もない絶対悪として描かれていたのに対し、ラフレシアはそのような描かれ方をしていない。
 だからまあ、作者は良い仕事をしてると思うのだけど、すれたミステリ読みは悲しいよね……。

 灰男。法的な意味では、連続猟奇殺人者の灰男の罪こそ最も重いはずなんだけど、いまいち印象が弱い。鳶迩さんいわく、サファイアの正体と絡めたほうがもっと盛りあがったのではないか。例えば灰男の正体は医者であり、勤務先の病院には意識不明の患者(=サファイア)がいた。マドカが病院に忍び込み、灰男に襲われピンチに陥ったところで、意識の戻ったサファイアが助けるとか。そうすれば、マドカを助ける騎士としてのサファイアの役割も強調されるし、サファイアの正体とも絡んで驚きがいっそう強まる。
 試しに悪役印象度ランキングをしてみると、一位はインベイジョンで二位はラフレシア。灰男はゼロだった。クソ~、お前たち宝石にしてやるぅっっ!!

 ふたりの花。みっつさんが重要な指摘。それまでのエピソードでは、マドカは一人称の文章で、十条たちをゴリラ、サイ、キリンなどといった動物の名前で呼んでいた。しかし、ふたりの花では名前で呼んでいる。
 人をあだ名で呼ぶのは一般的に子供の習慣。これは、マドカが自立した大人となったことを暗示しているのではないか。

 全般的な話。
 なぜサファイアはマドカとゴリラにしか見えなかったのか。物語内論理での解答はわからなかった。強いていうとゴリラはホモであり(p.71)、マドカと同じ性的マイノリティだから見えたのではという説。ただ、直先輩や鈴にも見えてないんだよね~。
 作者の都合という意味ではいくつか考えられる。ゴリラにもサファイアがみえることで、マドカの妄想ではないとわかること。ふたりの花でサファイアとマドカをひきあわせたり、文化祭でマドカを助けに行かせたりといった役割が必要なこと。

 探偵役と犯人への感情について。サファイアは名探偵として振る舞うが、ゴリラとマドカにしか見えず無力でもある。マドカはドッグキラーでひよりの証言に疑いを持つ点に少し探偵役らしさがあるが、灰男でまたサファイアを頼るなど探偵役としての成長物語にはなっていない。ラフレシアや灰男ではロクが真相に近づいていて、必ずしもサファイアだけが探偵の役割をしていない。
 ブラウン神父から御手洗潔まで、過去の名探偵はときとして法の枠組みを越えて犯人に同情することがあった。探偵は自分の理性だけを頼りに真相へ到達し、権威を必要としない。高等遊民にして社会的ヒエラルキーから離れた存在だった。犯罪は、ヒエラルキーの末端にいる社会的弱者が、そこから逃れるための革命的手段でもある。探偵役はそんな弱者の犯罪幻想を打ち砕くと同時に、法的な枠組みを越えた同じ人間としての同情を与える――上から目線で。
 サファイアとマドカは単純な探偵役-ワトソン関係にはない。マドカは友人や後輩から憧れの対象となる社会的強者であると同時に、性的マイノリティで喘息患者という社会的弱者でもある。ひよりの証言を疑い部活を休もうとするマドカをサファイアはとめ、もっと人を頼るべきだとさとす(p.136)。マドカは犯人を恐れ、怯え、憎み、悲しみ、殺しかけさえする。社会的ヒエラルキーのなかにマドカはしっかりと足をとめ、等身大の感情を抱き続ける。

 この作品は、物語の強度が弱い。少年マンガやサイコスリラーなら灰男のシーンをもっと盛り上げるはず。ふたりの花で明かされるサファイアの正体は、簡単な伏線があるだけで物語と有機的に絡みあっていない。そもそもサファイアが現れた時期になぜこの犯罪者たちが街を狙ったのか、理由付けがなにもない。いっそ長さを三倍くらいにして加奈子とのラブラブシーンをもっと増やすべきだ! 灰男を倒した後で二人で仲良く上京しちゃえよ!(加奈子ルート・完)
 ただ、そういう物語至上主義な考え方――物語的躍動感やテーマ性のためにはこうあるべきである――と、本格原理主義な考え方――魅力的な謎が美しく論理的に解けさえすればいい――の中間にあるのが『1/2の騎士』だったのではないかな~と思う。物語至上主義が行き過ぎると、ハリウッド映画の脚本みたいなもので「とりあえず面白いけど、絵空事っぽい」感じに陥るし、本格原理主義が高じすぎると、それはそれはもう呑み込みがたいものになる。
 初野晴がサファイアみたいなファンタジー設定を利用したりマンガチックなキャラクタばかり登場させて絵空事にしかならないような世界を描きながら複雑で重い余韻を残すのは(その膨大な情報量とか傷ついた人間の心理描写のおかげもあるけど)マドカが論理的な推理どころか行き当たりばったりの対処策しかできず人に頼りきりだったり、すべてを操る天才的頭脳の凶悪犯どころか丸っきり脈絡無く偶然集まってきた犯罪者たちが個別に街を襲うところ、物語至上主義にも本格原理主義にもどちらにも片寄りすぎないバランス感覚に現代的な物語のリアルさ、アクチュアリティが生まれるからじゃなかろうか。例えば西尾維新『化物語』は典型的な妖怪退治ストーリーだけど、その主人公の阿良々木君はかつてのヒロイックな存在ではなく(以下、面倒くさくなったので略)。
 みたいなことを俺は言いたかったのかな、とレポート書きながらいま気づいたよ。>鳶迩さん

 司会のみっつさんは途中で会話のネタがつきるんじゃないかと心配されていたのだけど、むしろまだ話し足りない感じに読書会終了。おつかれさまでした~。