なにが契機だったか忘れたが、平野耕太『HELLSING』最終巻を読みなおした。
 王立国教騎士団インテグラル・ヘルシングは、炎上する飛行船で少佐との直接対決を迎える。
 セラスの放ったアハトアハトを喰らい、少佐は半機械と化した己の身体を晒す。お前はばけものだと言い放つインテグラに少佐は答える。

違うね 私は人間だ
人間が人間たらしめている物はただ一つ
己の意志だ

血液を魂の通貨として 他者を取り込み続けなければ生きていけない様な
アーカードの様な哀れな化物と
あんなか弱いものと一緒にするな

私は私の意志がある限り
たとえガラス瓶の培養液の中に浮かぶ脳髄が私の全てだとしても
きっと巨大な電算機の記憶回路が私の全てだったとしても

私は人間だ
人間は魂の 心の 意志の生き物だ

たとえ彼が幼い少女の姿で微笑みかけようと
歴戦の戦人いくさびとの姿で感傷たっぷりにひざまずこうと
彼は化物だ

だからこそ私は心底 彼を憎む
吸血鬼アーカードを認めない!!

彼は人間の様な化物で
私は化物の様な人間なのだろう

私は私だ

 このセリフはよくわかる。第四巻の、あの有名な演説(諸君 私は戦争が好きだ)とも符合する。
 少佐が仕掛けた殺戮は、領土や資源の奪取、名誉の回復を目的とはしなかった。戦闘行為そのものを欲し非人道行為そのものを愉しむ“純粋戦争”だった。
 理性とは対極の存在、遥か過去に生きる目的を失い、血液を通貨として永劫に生きる吸血鬼に否と告げるため、半世紀かけて少佐はそれを実現した。最後の大隊を、第九次十字軍を、アンデルセン神父とウォルターを絶望的な死地に招聘し、鋼鉄の意志をもって不倒の怪物、アーカードを打ち破る。

 これは、二つの暴力の激突だった。
 吸血鬼アーカードが、無目的な生、生きるために生きる動物的な生としての原初的暴力を代表していたとするなら、少佐は意義ある生、意志完徹のためならば道徳的禁忌を侵し、人としての形を失うことすら恐れない理性的暴力を代表していた。

 かくて本懐を遂げた少佐はインテグラに額を撃ち抜かれ、良い戦争だったと満足のうちに死んでゆく。
 しかし死骸を見下ろし、インテグラは次のように言い放つ。

死ね
お前は死なねばならない

良い
戦争だったか少佐

これは戦争ですらない
60年前から瀕死のお前が今 息絶えただけだ
お前は死なねばならない
これは絶対応報だ

お前がいくら人間を自称しようと
お前はもはやかけらも人間ではない
お前はただの 正真の化け物だ

化け物を倒すのはいつだって人間だ
化け物は人間に倒される

人間だけが「倒す」事を目的とするからだ
戦いの喜びのためなどではない
己のなすべき義務dutyだからだ

お前は人間ではない
あいつは帰ってくる!!

 初読時、このセリフが理解できなかった。日本語として読むことはできても、その意味を理解することができなかった。
 なぜ少佐は「ただの 正真の」化け物なのか。化け物を倒す理由となる「己のなすべき義務」とはなにか。そして、アーカードが帰ってくるという確信はどこから生まれたのか。

 そもそも、インテグラはなぜ少佐と闘ったのか?
 ストーリーをたどっても、インテグラが闘う動機はよくわからない。前当主の父親を理想としていたから、といった事情が推察されるが、そのようなシーンは描かれない。アーカードとどのように信頼関係を結んだのか、互いをどのように思っていたのかもよくわからない。
 セラスやベルナドットなど他の登場人物は子供時代やトラウマ体験が描かれている。作者は意図的にインテグラについてそのような描写を避けたのかもしれない。当主継承の際には叔父に命を狙われたほどだ。むしろ自分の重責を疑問に思い、ヘルシング家に生まれたことを呪ったとしてもおかしくはない。
 それにも関わらず、インテグラは地獄と化したロンドン市内をヘルシング本部へ急ぐ。なんのために?

 ロンドン市街が攻撃を受け、他基地とも連絡がとれず、絶望的な状況に陥った英国安全保障特別指導部本営で、脱出を勧めるインテグラにペンウッド郷は震えながら答える。

もしかしたら…もしかしたら通信が回復して命令が伝達するかもしれない
どこかの基地が敵を撃退して我々の指示を待っているかもしれない
わ 私はここの指揮者だ
ここが生きている限り離れる訳には い いかないだろう

インテグラ 私は駄目な男だ 無能だ 臆病者だ
自分でも何故こんな地位にいるかわからん程 駄目な男だ
生まれついての家柄と地位だけで生きてきたも同然だ

自分で何もつかもうとしてこなかった

いつも人から与えられた地位と仕事つとめをやってきた

だから せ せめて仕事つとめ
この仕事つとめは全うしなきゃならんと思う…んだが…

行きなさい 行ってくれ インテグラ
君には君らヘルシングには君らヘルシングにしかできない仕事つとめがある

 そして、吸血鬼の群れが押し寄せ、化け物達がドアの向こうにまで迫ったとき、ペンウッド郷は次の指令を送る。

本施設より この通信を聞く「人間達」に
最後の命令を送る

抵抗し
義務を果たせ

 ペンウッド郷は、そしてインテグラは、ただ一心に「己のなすべき義務」を果たそうとする。
 近代文学以降、連綿と書き継がれてきた人間像――自由意志に目覚め、旧弊な価値観に抗う人間、国にも社会にも家柄にも世間にも束縛されない価値ある個人は、ここには描かれない。インテグラが認める「人間」とは、そんな薄っぺらなものではない。
 どんな高邁な理想も、半世紀をかけて貫かれた高潔な意志も、インテグラを揺るがさない。それが結果として無辜の民を傷つけるならば、しょせんは化け物でしかない。それを倒す存在こそがインテグラの認める「人間」だ。

 では、暴力を許さない存在であるインテグラ自身は、暴力をふるわなかっただろうか? 道徳的禁忌を侵さない人道主義者だったろうか?
 否。断じて否だ。第三巻、リオデジャネイロのホテルで、ミレニアムの計略によりアーカードはテロリストとみなされ特殊警察の部隊が突入する。なにも知らない人間を殺害して良いのかとアーカードは問い、そしてインテグラは答える。見敵必殺だと。
 言うなればインテグラは、第三の暴力だ。共同体を管理する暴力、暴力を抹殺するための暴力。人間が人間として暴力を根絶するためなら、無関係な人間さえ鏖殺する。無目的な原初的暴力としてのアーカードに命令し、生きる目的を与え使役する。社会を維持し、個人の暴走を排除する管理的暴力。それがインテグラだ。

 なぜ、アーカードは帰ってくるのか。なぜ、そう確信できたのか。
 第六巻、戦場と化したロンドン市内で、インテグラは最後の大隊に襲われたところをアンデルセン神父に救われる。しかし、本来なら敵対関係にあるはずの神父達にインテグラは礼を述べるどころか葉巻に火を点けさせ、ヘルシング本部まで送ることを要求する。
 なぜ、ここまで傲慢になれるのか。なんの能力も武器もない、一人の弱い人間が。
 インテグラは、自分のために行動しているわけではない。私利私欲のために闘っているわけではない。第九巻では、ミレニアムに寝返った執事、ウォルターに対しても見敵必殺の命令を下す。インテグラが果たそうと務める義務は、彼女個人とつながりのある誰かのためですらない。
 なぜ、アーカードは帰ってくるのか。それは、インテグラがアーカードを必要としているからだ。唯一、インテグラだけがアーカードを使役できる。彼女は自分のために闘っているわけではないからだ。ただ自分に課された債務を全うする、そのためならば命さえ投げだせる。だからこそ、傲慢になれる。

 この物語は、始まったときから終わっていた。半世紀をかけた少佐の思想さえ、彼女の前では排除すべき異物のひとつに過ぎなかった。どんな理想も思想も信念も妄念も正気も狂気も、それが個人的信念に過ぎない以上、無私である彼女には通用しない。彼女は共同体の代表として、傲然たる態度で暴力を使役し、かくして暴力は永遠の命を得る。少佐を待つまでもなく、化け物は人間に倒されていた。
 苦悩や喜びや自由恋愛、権力への反抗や微温な日常、そういったものを通じて等身大の個人を描くのが近代文学以降の常識的な手法だった。しかし、この作者が用いたのはまったく異なる手法だった。血と戦闘と暴力と狂気、無数の死体の山で、高貴にして異形の存在を描いた。

 題名がすべてだった。
 これはインテグラル・ヘルシングの物語だった。