朝の通学電車にも慣れてきた四月の下旬。
 高校入学から、一ヶ月が経とうとしている。
「ねえ、花ちゃん」
 ぶーらぶら。吊り輪に両手でぶらさがった囲夫が、身体を前後に揺らしている。学ラン姿の高校生だってのに、小学生みたいなことしてるな。
「部活、どっか入った?」
 んにゃ。短く俺は答えた。
 座っている俺と囲夫の膝が、ときどきごっつんこする。
「強いて言うなら昼寝部だな」
「そんな部、どっかあったっけ?」
「驚くなよ、俺が創立者だ」
 学ランの金ボタンを、意味もなく留めなおしてみせる。制服がブレザーだったら、ネクタイの歪みを直すところだ。しっかし、いまどき黒ずくめの詰め襟金ボタンは野暮ったいな、うちの高校。
「いろいろ探したぞ。南棟の三階、空き教室あるの知ってるか? あそこがベストだ。誰もいないし、陽射しはポカポカ」
「貴重な青春をなにしてんのさ」
 ごっつん。ひときわ強く囲夫は膝をぶつけた。あきれ顔と笑い顔がミックスシェイクしている。蹴ってやろうかと思ったが、さすがにいまの混み具合じゃ難しい。
「ところで花ちゃん、推理小説って読む?」
「ミステリ研なら、興味ないぞ」
「先読みしすぎ」
「いまの前フリで、他にどういう流れがあるんだ……というか、玖乃杜にミステリ研なんてあったか?」
 玖乃杜。県立玖乃杜高校。
 俺達が、今年の春に入学した学校の名前だ。県下有数の進学校で、毎年数名は難関大学の合格者をだしている。
 囲夫は、クラスメートだ。たまたま通学電車で同じ車両に乗ることが多く、朝のこういうフツーな会話が習慣になった。いや、習慣になりつつあるというところか。
 フツー。そう、俺も囲夫も、普通の高校生に過ぎない。昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日がある。そうだな、強いていえば囲夫の外見はちょっと目立つか。男にしては珍しく、頭にヘアバンドなんぞしてる。ロン毛にでもしたいのかね。
 ビバ日常、ビバ意味のない会話。部活探し? 大いにけっこうじゃないの。きらきらと輝く青春をつかもうぜ。
 ま、ミステリ研だけはおことわりだけどな。
「だからさ」
 かがみこみ、俺の顔に口元を寄せると、囲夫は秘密めかすようにささやいた。
「無いなら、作ろうかなと思って」
 俺は顔をしかめた。
 こいつ、貴重な青春をなにしてんだ?

 別に、ミステリにこだわんなくてもいいけどね。
 駅から学校までの途上、囲夫は他人事のような口調で言った。後ろ手に学生鞄をぶらさげ、肩を波打たせるような歩き方をする。なんか、チャップリンを思いだすな。
「ジャンル限定無しで、読書クラブでもいいし。花ちゃん、小説は読む?」
 こいつ、策を変えやがった。枠を広げて攻めてきやがったな。
 さて、どう返事するか。ちょっとは読むって答えたら、負けなんだろうなあ。
 河原の桜並木を見渡し深呼吸。葉桜も過ぎて、見晴るかす限りの新緑だ。ああ、爽やかだなあ。他に話題ねえかな。
「そういや、囲夫」
「なに?」
 目線で二メートルほど先を示す。
 通勤通学者の群れに混じって、セーラー服の背中があった。
「あの女子は……なんなんだ?」
「ミーちゃんが、どうかした?」
 俺達と同じ車両で、その女子はいつも文庫本を読んでいた。さっぱりした短い髪、シルバーフレームの眼鏡。毎朝のように顔をあわせてるのに、仏頂面以外を見たことがない。
「いや、おまえ、いつもあの子と同じ駅から乗ってくるだろ? そのくせ、電車のなかでは話さないし。どういう関係なんだろうなと思ってたんだ」
 スカーフは、レモン色。つまり俺達と同じ、今年の新入生だ。となると、兄弟姉妹という可能性は薄い。幼なじみってとこか、と思っていた。
「あれ? 花ちゃんに話したことなかったっけ?」
 学生鞄を振り回し、遠心力を利用して囲夫はクルリと一回転した。
「双子だよ」
「双子?」
 隣の顔と、二メートル先の女子を見比べる。確かに、言われてみると似ている、か?
 囲夫はなんというか、コケティッシュな表情がデフォルトだ。チェシャ猫みたいに、ニヤニヤ笑いが吸いついて離れない。だから、未緒の苦虫噛みつぶしたような表情とくらべると、パッと見は同じに感じない。
 だが、こうして注意してみると、確かに似ている。男にしては囲夫は小柄だし、ヘアバンド外して髪をといて、眼鏡をかけさせたら見分けがつかんかもしれん。
「アー、そういうことか。それで謎が解けた。俺はてっきり、幼なじみかなんかだと思ってたんだよ。それがいつだったか、ホームであの女子、鞄でおまえの頭をブン殴ってたことがあっただろ」
 あのときは驚いた。ズッバーン。そんな小気味いい音が、電車の中にまで響いてきそうだった。
「あの遠慮の無さは、容赦ない肉親って感じだったな」
「アハハ、そんなこともあったね~」
 ぎろん。
 変な擬音が聞こえた気がして、視線を前に向けた。しかしそこには、ぴんと背筋を伸ばして歩くセーラー服の背中があるだけだった。