そもそものきっかけ

 信じてもらえそうにない気もするが。
 きっかけは、アニメ再放送ではなかった。

 昨年末のことだった。私は某所で……めんどいので略して書くと「つるばさんラブ!」→「今年こそ探*****賞に応募しなくっちゃ!」→「でもネタがないよ~(泣)」→「よし、こっからネタを探してやれ!」と手にしたのが、限界小説研究会『探偵小説のクリティカル・ターン』だった。

 長門有希がキョンに伝えたメッセージ「鍵をそろえよ」は、なぜあんなに曖昧なのか。
 このなかで、小森健太朗は次のように述べている。

 従来のミステリにおいて、解かれるべき謎は主体の外にあるのに対し、様相論理のモナドロギーが統べるセカイ系では、真偽がいわば内化されてしまう。前者では、真偽が主体の外で決められるのに対し、後者では、主体の外で偽とされた事態でも主体の内で真でありうる。そうすると、謎の解明は主体の恣意に委ねられるのだろうか。この問いの諾否は、モナドロギーの世界観のもとでも簡単には決められない面がある。しかし、『涼宮ハルヒ』のキョンについては、その疑問はおおまかには肯定されるだろう。『消失』でのキョンは、たとえ自覚していなくとも、長門からの正しい解釈を自ら決定できる立場にいた。キョンがそのメッセージにどう対処しようと、それが正解となる世界にキョンはいたと言える。『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメOP「冒険でしょでしょ」の歌詞にあるとおり、「答えはいつも私の胸に」ある。だから、このメッセージが、キョンにとって不可解な謎であるのは、むしろこの世界にはそぐわなかったのだと言える。そこはキョンにとって自由に変えられる世界なのだから、キョンは正解の解釈を与える権限がある。「鍵をそろえよ」というのは、むしろ、どう行動してもよいというオールマイティなフリーハンド性をキョンに担保するものであったと思われる。主体の外にある謎は、主体の苦労や努力によって解明されるには、時間的プロセスを必要とする。それに対して、主体のモナドの中にある謎は、いわば無時間的に主体によって解消されてしまう。

 ………………。

 ……ええっとね、多分ね、とにかくキョンが頑張ればよかったんだよ。別にあんなメッセージ、どう解釈しても良かったんだよ。
 てことを小森さんは言ってるんだと思うよ、きっと。でもなんでモナーが『消失』に関係してくるんだろうね。

 まあ、正確なところはともかく、小森健太朗が書いたのは「評論としての解釈」であって「物語内真相」ではないらしいってのはわかった。なんとなく。
 ハテ、長門はなにを考えて、こういう不親切なメッセージを送ったんだろうか。

 とりたてて、ちゃんとした答えがあるとは思ってなかった。なんとなく気になって、あれこれ考えているうちに、フト思いついた。
 作者の立場になってみると、あのキョンに「そろそろ俺、本気だすわ」と言わせるには、こういう曖昧なメッセージでないとまずい。と同時にそれは、操り犯である長門が、キョンに世界を真剣に選択させるための策だったと解釈できる。

 ウーム、そうだったのか……。
 と、自問自答で満足して、それでおしまいにしてれば幸せだったのだが。
 実はそれは、長い長い旅路のプロローグに過ぎなかったのだった……。

 初版で持っていることから考えると、たぶん『消失』を初めて読んだのは四、五年前。そのときは正直「アー、おもろかった」で終わっていた。
 パラパラ再読するうちに気がついた。世界を改変した長門と、キョン(大)+朝比奈さん(大)が対決してたとき、キョン(小)が家で寝てるはず。
 そうかそうか、朝倉トラップには実はそんな意味があったのか。けっきょくキョンは元の世界に戻れないのか。こわいなー。

 ……ん?
 あれ? あれ? あれれれれ?
 曖昧なメッセージの意図と矛盾してるじゃん。ていうか、キョン(小)はどこ行ったの? そもそもキョンが死にかけなのにハルヒの改変能力はなんで発動しなかったの? チャカポコチャカポコ……スチャラカ、チャカポコ。

 イヤー、もう……。
 誰よ、この地雷しかけたの。
 可哀想な長門さんに涙していた、あの頃の無垢な俺を返せ!

小説にしてみました

 エー、ここまで理解が進んだのは、三月上旬でした。
 この頃になって「アニメ再放送にあわせちゃろ」という野望がでてきた。

 なぜ物語形式にしたかというと。
 初めはフツーに雑文として書くつもりだった。
 しかし『消失』がでたのは五年前、ずいぶん経っている。涼宮ハルヒシリーズのファンは多いから、これくらいの考察、とっくにどっかで誰かしてるかもしれない。
 いっそ小説にしたらどうだ? キョン(小)が長門のマンションに居候してるって設定は面白そうだし。

   (σ・Д・)σ「長門といっしょ!」
   (σ・Д・)σ「長門とモーニングコーヒー!」
   (σ・Д・)σ「長門とおでん!」

 ……いいかもしんない。

 いや、待て待て。
 長門にどうやって、この長ったらしくて理屈っぽい謎解きをさせる? キョンとはいえ、長門を相手にこんな長い会話できるか?
 しょうがない。餅は餅屋だ。気は進まないが、こういうのにうってつけのヤツを召還しよう。そうだな、いっそキョンは記憶喪失ということにして、あいつにずっとしゃべくってもらうほうが楽だ……。

 などと思いついたのが、運の尽き。
 いや、計算は間違ってなかった。よくしゃべってくれた。古泉一樹、この男がいなければ、この小説は成り立たなかった。
 ただひとつ、予想してなかったのが……。
 古泉が……。
 古泉が…………。
 どんどん変態に………………。

 はじめ、この小説って、ラストはもっとしんみりするはずだったのよね。
 キョン一人でおでんを買って帰って、長門がそれを食べるの横で見ながら「俺にも笑顔を見せてくれよ……」みたいなことをつぶやく。そんな感じの。

 そういう、長門とキョンのセンチメンタル・ラブストーリーのはずが……。
 どうにも言い訳しようがないくらい古泉×キョンに……。

 イヤー、谷川先生すごいよ。ちゃんと古泉、イケメンになってるもんなあ。
 プロとアマチュアの違いは、自制力の強さにあったんだね!

 そういえば、キョンの語りも思ったより難しかった。
 キョンって実は、あまり短絡的なツッコミしないのね。
 冒頭のシーン、初めは「シャミセンかよ!」って三村ツッコミで書いた。『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』ならそれでもいいんだろうけど、小説だとどうにも違和感が……。
 原典をあっちこっち拾い読みして、やっと「シャミセン、おまえか」を思いついた。キョンって、むちゃくちゃ冷めてるのな。
 優等生では全然ないし、といってあまり不良じみた口調も合わない。不真面目だけどまとも。うーむ、ニュートラル恐るべし。

どれくらい妥当なのか

 もちろん、一郎は論外。
 さすがにこんなのがいたら後続作品で伏線があるでしょう。

 きっかけとなった、長門のメッセージの曖昧性についての解釈は妥当なところかなと。
 キョンがエラー長門と対決していたとき、キョン(小)が家で寝ていたはず。というのも朝比奈さん(大)の存在から考えて間違いない。
 というか、キョン(小)の存在をいっさい書かない作者が凄すぎる……。

 念のため言い添えると、作者が忘れていたとは思えません。
 もちろん確実な根拠はないですが……あの〈学校を出よう!〉シリーズを書いた作者が気づかなかったはずがない。
 もし忘れていたとしたら、階段落ちのエピソードとか要らないでしょうしね。まあ、ドラマトゥルギーからそうしたとも考えられますが……その場合でも階段落ちの犯人なんてのは要らないように感じるなー。

 最大の問題は、その次。
 すべての原因は、原典通り「こわれちゃった長門さん」なのか、それとも「ハルヒ、またおまえか」なのか……。
 この小説では、ハルヒにしました。ぶっちゃけ、そっちのほうが面白いからです。じゃあ、原典通り長門が原因だったとして、なにか矛盾はあるのか。

 原典通りエラー長門が原因(ハルヒが改変能力を発動したんじゃない)の場合、十八日はハルヒが消失した世界のままである必要があります。
 元に戻しちゃうとキョン(小)は階段落ちしますが、ハルヒは改変を起こさないので、そのまま病院行きになり、それこそ一郎ができてしまいます。
 二つの説で違うのは、世界を元に戻したタイミングです。「原因=長門」説では、十八日に戻す。「原因=ハルヒ」説では、二十日に戻す。

 で、あなたは『陰謀』をp.30から読み直したくなるはずだ。

 ……まあ、長門さんのエラーと、ハルヒによる改変と、両方あったと考えることもできますが。
 でも、その場合は「原因=ハルヒ」説も「原因=長門」説も起きる現象は同じだから、どっちがどっちの原因とは言えなくなるのか。原因と結果のループ再び。

 ていうか、そもそもここまでの考察って、すべて運命説を大前提にしてるのね。シリーズ最新刊を読んだ方はご存知の通り……むにゃむにゃ。

ミステリうんぬんの話

 『消失』はミステリか? というと、やっぱなんか、微妙に違うなという気がする。
 でも、そのいっぽうで、ミステリとしての面白さに似たところもある。
 これを説明するため、SFミステリ、論理のアクロバットと比較してみよう。

 SFミステリって、初めに法則がきちんと示される作品が多いと思う。
 アイザック・アシモフのロボット工学三原則なんてまさにそうだし、西澤保彦の初期作品もSF設定の説明がされていた。
 『消失』はどうか? キョンによると、長門だけ性格が変わっていたことが犯人の根拠だそうな。でも「世界を改変した者は性格が変わる」なんて説明はなにも無かった。

 今回の小説を書いていて、これは論理のアクロバットに似ているなあと感じていた。
 論理のアクロバットってなにかというと……証拠から機械的に結論をだすだけじゃなくて、さまざまな仮説を立てては崩し事件を多角的にみつめたり、行き詰まった推論がちょっとした着想で思いがけない解決がみつかったり……。
 んー、なんというか、確実に言えることしか言えないガチガチの論理じゃなくて、日常に潜む豊かな蓋然性を活かした有機的な推論、それが論理のアクロバット……というふうに私は理解してます。

 で、『消失』に論理のアクロバットはあるか?
 ないわな。仮説検討の積み重ねによるぐらぐら感みたいなのって『消失』には無かった。
 でも、私が書いた小説がまさにそうだけど、読者のほうは考察を通じて論理のアクロバットを味わう余地がある。
 どうしてか。
 それは、SF設定とかキャラクタに蓋然性があるから。
 例えば、ハルヒに改変能力があるのはわかってる。でも、それが正確にはどういう条件で起きるのか、どんなことまで可能なのか、そういう詳細はわからない。
 でも、シリーズの過去作品を通じて断片的に示された情報ならある。あのときはああいうことがあったんだから、今度も起きるはずだ、みたいな推論が可能になる。

 SFミステリみたいな、作者からの親切なルール説明は無い。正確なルールはわからない。ルールそのものを、読者がよく観察して、推察しないといけない。
 作品内ではあんまり詳しい検討がされない。登場人物達すら気にしてないし、知っていても教えてくれない。しかたなく読者がちょっと考えだすと、意外に論理的な面白さが見えてくる。

 従来のミステリは、きちんとした論理で細部から積みあげていく、時計仕掛けみたいな作品。
 それに対し『消失』は、明確な法則が示されない。読者が積極的に見出さないといけない。確実なロジックじゃなくて、ルール探しが中心の作品。

 なんだか、竜騎士07「ひぐらしのなく頃に」に似てるなあと思うんですが(うみねこ問題編トライ中)。曖昧さがあるのでフェアとは言い難いんだけど、作者をそれなりに信頼して、なんらかの法則性があるはずだ、それをみつけてやるという読み方で考察を始めると、俄然面白くなってくる。
 キョンと同じですね。「鍵をそろえよ」みたいに適度な曖昧さのあるほうが、むしろ推理を楽しめる。もちろん従来のかっちりしたタイプのミステリが好きな人には向かないかもしれませんが……。
 SFやキャラクタ小説の面白さと、ミステリの楽しみが、互いを損なうことなく相乗効果を発揮している。といったところでしょうか。

謝辞

 きっかけを与えてくれたつるばさん、超残業にもかかわらず電波系妄想につきあってくれた市川憂人さんに感謝!