ワセダミステリクラブ主催の法月綸太郎講演会に行ってきました。
以下、印象に残ったことをつらつらと。メモ書きからの再構成なので、言い回しとか正確さはあまり期待しないでね。
なお、法月先生のエラリー・クイーンへの愛があふれすぎていて! 名前が頻出しすぎなので以下ではEQと略します!
- 受付を済ませ、パンフレットを読みながら待つ。
パンフレットの内容は、ワセミス会員による全著作レビュー。
右側だけページ番号が裏返しだったり、デザインが凝ってる。
ポスターもかっこよかったし、センスのある人がいるんだろうなあ。 - 名無しのオプさんに遭遇。
あれこれ雑談していると、会場入口から誰かでてきた。
おや、なんだか、見覚えのある顔。
著者紹介の写真でお馴染みの……。 - エート、アー。
とりあえず会釈。<なんでやねん! - 心の準備無く人生初の生遭遇した法月先生は、不審者の挙動不審なふるまいを不審に思うこともなく、スタッフの方とどこかへ去っていきました。
- 「び、びっくりしたー!」
「まだ時間前なのに、なにしてたんでしょうね」
「やっぱ、会場の下見じゃないですか?」
「ああ、ステージの大きさとか、ライトの位置とか」
「舞台袖までは三ステップだな、とか」
「よし、ここでターンだ、みたいな」 - 14:00 開場。運良く先頭で入場、一番前の席をゲット。
- 14:30 法月先生、登場。ワセミス会長の挨拶からスタート。
法月先生デビュー二十周年、ワセミス発足五十周年記念とのこと。
# ワセミスのサイトによると、
# 「1957年に江戸川乱歩先生を顧問に発足」とのこと。凄い。 - 京都大学推理小説研究会に入会したきっかけは、NHKの番組で取材されていたのが印象に残ったから。
後になってわかったが、実はそれは記憶違いで、本当に取材されていたのは同志社大学ミステリー研究会だった。 - 法月先生も編集長を務めた会誌『蒼鴉城』。
パソコンなど無かった時代だから、版下はすべて手書きだった。
「清書要員」と呼ばれた人達が一週間くらい下宿に共同生活して執筆した。
清書要員は原稿を執筆する人と同じくらい重要な役割だった。
会誌作成をしながら、将来もこうやって創作を続けられたら幸せだろうなと思っていた。いまならツッコミ入れるけど。 - 会誌に載った作品には、後に商業出版された作品の原形となった作品が多数ある。例えば、我孫子武丸『ディプロトドンティア・ マクロプス』、法月綸太郎『二の悲劇』、綾辻行人『人形館の殺人』などなど。
- 当時、巽昌章は司法浪人していた。
会誌に寄せた短編小説はプロのものよりも面白かった。
世の中に知られてきたのは『論理の蜘蛛の巣の中で』が本格ミステリ大賞などを受賞してからだが、二十年前から既に凄い人だった。
70~80年代初めの、上の世代による十年間の蓄積が大きかった。 - 当時はちょうど探偵小説専門誌『幻影城』を通じてデビューした作家達の文庫本がでる時期で、大きな影響を受けた。
会誌で発表した作品に「そのトリックなら、もっと鮮やかな見せ方をした作品がある。(幻影城出身作家の)連城三紀彦『戻り川心中』を読め!」と評された。
# 名無しのオプさんに補足頂きましたが、
# 「黒衣の家」(『法月綸太郎の冒険』所収)の
# 原形となった作品とのこと。 - 当時、海外では本格ミステリは廃れたと思っていた。
イギリスにはあったが、若い大学生にはどこかまだるっこしい感じがした。
しかしウィリアム・L・デアンドリア『ホッグ連続殺人』は新しさ、期待する本格ミステリらしさがあって、みんな読んでいた。 - 法月綸太郎を主人公とするシリーズは、大学一年のときから考えていた。
EQ作品をすべて読み終え、もう無いから自分で書こうという、パロディ作品を書くような気持ちだった。
当時は「綸」ではなく「林」だったが、デビューにあたって島田荘司の姓名判断で勧められ改名した。
# 補足。法月先生だけではなく、新本格ムーブメント初期に
# 講談社ノベルスからデビューした若手作家は、
# 島田荘司にペンネームを姓名判断してもらうことがよくありました。 - 『二の悲劇』『頼子のために』『雪密室』など、学生時代の作品がデビュー後の作品の原形になっていることが多い。
学生のときも遅筆で、会誌に連載一回目きりで途絶えた作品もある。 - 後期クイーン問題について。
推理研での犯人当てはシビアで、どのようなロジックが妥当か会員同士で話題になった。
その頃はうまく言葉にならなかったが、後に柄谷行人の文章を読んで、器がみつかった、これでEQの凄さを説明できると興奮した。
# 十中八九『初期クイーン論』↓のことでしょう。電子書籍『初期クイーン論』法月 綸太郎|Timebook Town
http://www.timebooktown.jp/Service/bookinfo.asp?cont_id=CBJPPL1C09407002 - (『生首に聞いてみろ』辺りでは、後期クイーン問題への悩みが薄まったのではとの質問に)意図的にそうした。
本格ミステリを書くのは困難な作業。
だけどあえて、そういう不可能な場所に身を置きたい。
EQの片割れマンフレッド・ベニントン・リーが病気になったとき、フレデリック・ダネイは代わりにSF作家のシオドア・スタージョンやエイヴラム・デイヴィッドスンと組んで、後に周囲からは変な方向性へ進んでしまったと評されるような作品を書いた。
そこまでしても作品を書こうとした姿勢をみならいたい。 - 巽昌章が指摘しているが、EQはよく本格ミステリのお手本と呼ばれるけれど、本当はもっと変な作家じゃないか。
自分の作品は、EQを理想としているわりにはEQらしくないじゃないかと指摘されることがある。
確かに、国名シリーズのような作品より、中期からのちょっと変な作品に惹かれている。 - EQは、現代でいうメディアミックス的なこともしていた。
映画原作、ラジオドラマ、雑誌、アンソロジーなど。
実はそういう仕事をしていたからこそ、経験や感性を磨き、小説に還流させることで、四十年間も現役でいられたのではないか。 - ここで来週の文学フリマに向けて「CRITICA」の宣伝。
創刊号には瀬名秀明インタビューby法月綸太郎があるよ!「CRITICA」:探偵小説研究会
http://tanteishosetu-kenkyukai.com/critica.htm - 『犯罪ホロスコープI 六人の女王の問題』について。
ミステリ専門誌「ミステリーズ!」の犯人当て企画に寄せた短編「ゼウスの息子たち」をきっかけに始めた。
初めは気楽に、EQの国名シリーズのようなノリで、十二星座をネタにして書くだけだった。
そもそも、占星術とギリシャ神話の関連づけはとてもいいかげん。
けれど、何百年もの歴史の中で、いびつな体系が物語生成装置として回転し、機能し続けてきた。
本格ミステリの擬態、シミュレーション、エミュレーションとでも呼ぶべきものに半分なりかけている。そういうことを考えて、本格の手筋、フェアプレイとかを意識して書いたものを、締切間際になって書き直したりしている。
# ここら辺、なにを言っているのか杉本にもよくわかんなーい!
# 『犯罪ホロスコープII』を刮目して待て!! - 『しらみつぶしの時計』について。
小鷹信光『新パパイラスの舟』の、ミステリは短編こそ神髄だという意見に同感。
海外では、短編なんて実入りが悪いし、書き溜めても必ずしも本にならない。
それでも、タイプライターを一晩中叩いて書き上げ、稼いだ原稿料はその夜のうちに飲んでしまう、そんなプロ中のプロ、豪腕作家がひねりだした変な話、というイメージへの憧れがある。
書き上げてすぐは、やっちまった、人には見せられないと思ったのが、後になって、だんだん良い作品に思えたり。
で、けっきょく全部入れてしまった。そんなごちゃまぜの作品集。 - 質問タイム。
EQのダネイがSF作家と組んだことがあるとの話に、では他にどんな作家と組んでいたら面白かったと想像しますかとの質問に、スタンリイ・エリンと解答。
『エラリー・クイーンの国際事件簿』にはエリンっぽい作品もあるので、けっこう合うんじゃないか。 - EQFCの会誌にも書いたことだが、アントニー・バウチャーが「F&SF」誌を始めるうえでダネイに相談したらしい。
その縁でダネイは(編集者として弟分になるバウチャーを通じて)SF作家を共作パートナーとして紹介されたのではと想像している。 - 影響を受けたオススメ作品は、
サスペンス+トリッキー+エモーショナルの三拍子揃った古典として、ロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』、ニコラス・ブレイク『野獣死すべし』、アイラ・レヴィン『死の接吻』。
- 国内では、仁木悦子『林の中の家』が、実は国名シリーズに肉迫した名作!
あまり代表作としてはあげられない作品だが、日本でもっとも早くEQ的な作風を実現したエースだったのでは。
# 現在では『仁木兄妹長篇全集―雄太郎・悦子の全事件〈1〉夏・秋の巻』で
# 読めるようです。1999年刊行だけど。
# ちなみに、ジュンク堂池袋店のは私が買ったからもう無いぞ!
やはり、島田荘司の存在は大きい。ベストを十作品はあげられそう。
短編にも、上述の豪腕作家的なイメージの作品がときどきある。底が知れない。 - 範囲が広すぎると絞れないということで、
質問者のリクスエトで「国内のがちがちなパズラー」をお題に。
まず上述の仁木悦子『林の中の家』。
有名どころでは鮎川哲也『りら荘事件』「薔薇荘殺人事件」「達也が嗤う」
# 「薔薇荘殺人事件」は創元推理文庫『五つの時計』に、
# 「達也が嗤う」は同じく創元推理文庫『下り“はつかり”』に所収。
特にアリバイ物。『黒いトランク』は難易度が高い。
そして……
# ここで法月先生、作品名を思いだせず四苦八苦。
# 参加者みんな、悩める法月綸太郎の姿をご堪能。
# 後でサイン会のときに思いだされたのが『死のある風景』。
頭の中で余詰めのない論理を考えるだけではなく、生身の人間が机上の計画を実現させようとするとき生じる現実の壁を克服するために「ここまでやるか!」という点が凄い。 - 以上で、講演終了。花束贈呈、サイン会開始。
おつかれさまでした~。