古くさい、話をしようぜ。知的に素敵にトリッキーに。古くさい、話をしようぜ。吹雪いて山荘、荒らして孤島。大きな館のおかしな奴ら。古くて嘘くさい、話をしようぜ。仮説検討、現場検証、あなたのアリバイをどうぞ。動機なんか知るもんか。社会の歪みがどうしたってんだ。知的に素敵に狡猾に。さあ、古くて嘘くさい、おちゃらけた話をしようぜ。騙して騙して騙しまくるさ。

 車のなかでリクライニング倒して俺はカーラジオから流れるポップソングに耳を傾けていた。遠くから笹木先輩の、間延びしたノンビリしたノホホンとした声が聞こえてくる。
「ハイー? あのお、えっと、ああ! 見えました見えました見えました! ハイ、ハイ、見えます、手を振ってるの見えます! 赤い三角屋根のおうちですね? はい! シェーしてるのわかります! シェー! あ、手が逆さです。こう! シェー! アハー、やっとわかったあ。もう、なんだ、そっか、あそこの分かれ道で迷ったんですね、ハイー、ハイー、どうもどうもどうも、ありがとーございまーす!」
 夜だった。真っ暗だった。秋の夕陽はとっくに西の彼方に沈んでいた。笹木先輩の声に、俺は心の底から安堵して長く溜め息を吐いた。こんな奥深い、民家どころか他の車もみかけない山の中で、道に迷ったまま夜を明かすことになるのかと思っていた。
 笹木先輩が助手席のドアを開けた。
「麻闇くーん、麻闇くん麻闇くん、やっとわかったよー。さっきの分かれ道で間違ったんだわー。アー、もう、私ったらバカバカバカ」
 乗り込んでくるのと同時にレンタルの軽自動車がゆさゆさ揺れた。といっても、このお方の場合はお腹ではなくそれ以外のしかるべき箇所がしかるべきことになってしまってるためでありまんすがハニャーン。腰まで届きそうな長い黒髪を一撫でしながら身体を捻って腕を伸ばし、ミニサイズの双眼鏡を後ろの座席に置く。一瞬目と目が合って、先輩は「はに?」と笑った。ずれた眼鏡、猫みたいに細めた目。イーヤいやいやいや、構わないっすよ全然構わないすっよ。いっそ先輩と一緒に車の中で一晩明かすことになってくれたほうが全然よかったっすよ。ハッハッハ、双眼鏡、バードウォッチングのために持ってきたのに、シェーウォッチングになっちまいましたね。いつも通りの軽口叩きながら俺はエンジンをかけた。
 はるばるこんな関東の端っこまで凍え死にそうな寒空の下をやってきたのは、我らがKチョメチョメ大学のOB、江戸釜えどがま乱歩らんぽ大先輩に誘われてのことだった。えどがわ、じゃねえぞ。えどが、ま。これが本名だってんだから驚きだ。両親そろって推理小説ファンという不運な星のもとに生まれてきて、めでたくあの大巨匠の名前二文字を押し頂いてしまったのだという。親達のもくろみ通り推理小説好きにはなったが未来の大作家にすることだけはうまくいかず、某大手出版社の文芸誌を担当する編集者として毎日精力的に働いている。
 で、いつものように我らが推理小説研究会の部室で弁当を食ってた我らが江戸釜大先輩は、黒縁プラスチック眼鏡を押し上げて頬にご飯粒くっつけたまま俺に声をかけてきた。
「ごにょごにょごにょーん。麻闇くん、十月にね、ミステリファンの集いやるからね。濃ゆいミステリマニアの人達で山荘に一晩泊まって、しみじみ誰が殺したとか凶器はなんだとか話し合ったら楽しいんじゃないかなって思うんだー。君、参加決定だから、よろぴく」
 ゴラ待てやコラ、勝手に決めんじゃねー。だいたい、顔も知らない奴らといきなり趣味の話したって面白くなるわけなかろーが。行かねえ。ゼッテー行かねー。
「そう? 困ったにゃー、そうなると行くの笹木さんだけになっちゃうにゃー。じゃあ、他の人に声かけよっと。エート、他にだーれーきゃー」
 キュッと江戸釜先輩の首をつかんでまわしてコッチ向かせて、俺は行かせていただきますと叫んだ。今年、大学に入学して一人暮らし始めて不安でナーバスでセンチメンタルになっていた俺に、優しくサークル勧誘で声をかけてくれた笹木先輩。このチャンス、逃してたまるものかっ!

 長い上り坂が続いていたかと思うと左右に緑がワアァッと開けて、でっかい山荘が建っていた。月と星明かりに照らされて暗い森の中に立つ赤い三角屋根の家に笹木先輩が「すごーい! ドイツの童話みたーい!」とハシャいだ声をあげた。確かに、個人の別荘というよりテニスサークルの女子大生が合宿に使うハイソでコジャレた雰囲気のペンションみたいだ。江戸釜先輩、大作家の接待費だとかテキトーな嘘でっちあげて会社の金を使い込んでんじゃねえか?
 などと疑いつつ車を駐めて後部座席から自分と笹木先輩の荷物を両肩に抱えるとズンズン玄関へと歩いた。すると玄関扉が開いて江戸釜先輩がヒョコヒョコ身体を揺らしながら顔を見せた。シェーしてたのはきっと江戸釜先輩だろう。おや? 誰かもう一人いるぞ? おお! 美人だ! それも北欧系! 北欧系美人とはすなわち厳しく長く辛い冬の厳しさに耐えうる凛とした表情と白く抜けた肌を持ち、なおかつ春の訪れをことほぐ暖かな笑顔を併せ持つような、言い換えれば保健室の先生がこんな人だったら半ズボンの小学生男子だった俺は毎日校舎の二階から飛び降りてたねとゆうタイプの美人だ!
「ごにょごにょごにょーん。ウェールカム、鳳明荘。やあやあやあ、君達大変だったね。ここ、けっこう他の別荘とは離れた場所にあるから道に迷う人が多いなりよー。かくいう吾輩も」
「はじめまして! 俺、Kチョメチョメ大学一回生推理小説研究会所属の麻闇まやみ由汰ゆたです。江戸釜先輩にはいつもお世話になってます! 今日は楽しく推理小説の話で盛り上がりましょう! よろしくお願いします! 好きな作家とかお聞きしてもいいっすか?」
 北欧美人がくすりと笑った。
栖川すがわ亜里砂ありさです。職業は、お医者さん。ここ、寒いし、話は中に入ってから。ね?」
 イエッサー! かくして俺と笹木先輩は靴を脱ぎ、鳳明荘へと足を踏み入れた。栖川さんを先頭に奥へと移動する。江戸釜先輩がなにかまだしゃべり続けていた。
「てーなわけで寝てる間に岡山県まで行っちゃってたんだなー、これが。そうそう栖川さん、紹介が遅れたけどこの二人が吾輩の後輩の笹木さんと麻闇くんでー」
 その話題は終わってるつーの。
「ほんで、こっちがこの山荘の主人で、ん? 女性だからホステス? ま、どっちでもいいけど山荘の持ち主の栖川亜里砂さん。栖川さんはKチョメチョメ大学推理研出身でありんすよー。吾輩のひとつ下で、初の女性会長だったにょろりんね。ここって元はペンションだったんだけどね、栖川さんが今年の夏に買い取って個人用の別荘にしたってわけー。だから、家の造りがちょっと普通じゃないんだにゃー。風呂が離れにあるんだよー。なんか紅葉を眺めるために見晴らしのいいとこにあるんだけど、もう真っ暗だから不便なだけなんだなー、これが。そうそう、個人所有だから消費電力の契約をレベルダウンしたんだけど、ちょっと下げすぎたみたいで電子レンジとか熱物系統の電化製品をいっぺんに使うとブレーカーが落ちちゃうから気を付けてねー」
 てなことを話している間にリビングに到着。暖房が入っていてヌクヌクだ。ソファセットに大型テレビにフカフカの絨毯に輝くシャンデリア、壁にはミレーの『種まく人』のジグソーパズル。ソファに囲まれたローテーブルの上に、一枚の紙があった。どうやらこの家の見取り図らしい。
「はいはいはいはいー、先生に注目だよー。君らの部屋は二階のこことここね。七時から夕食だから食堂に集まってきてちょーだい」
 あの、なにかお手伝いできることないですか? 笹木先輩が小さく手を挙げて質問した。
「いい質問だねー、花丸をあげよー。エートね、確か今晩はすっごい嵐になるとか天気予報で言ってたから、窓が全部閉まってるか二人で確認してきてくれるかにゃー? 鍵も締めておいてねー。んで、余裕あったら夕食の支度手伝ってくれると助かるにゃー」
 フンフンと話に耳を傾けながら見取図を眺める。風呂の順番まで書いてあった。江戸釜先輩が一番風呂になっている。そういえば江戸釜先輩はアルコールが入るとまったくその場を離れなくなるという癖があるとか聞いた覚えがある。それでいちばん最初に風呂に入ってから酒を飲もうという魂胆なのだろう。てなことを、考えてると、目が、吸い寄せられるようにひとつの名前でとまった。見覚えのある名前。宇多田うただ尚吾しょうご。フッと心の中に暗い影がよぎった。視線をゆっくり移動する。恐れていたもうひとつの名前が、そこにあった。
 水樹。平仮名で三文字、みずき。み、ず、き。
 キュイイイーン。頭の中で赤いサイレンが回り出す。奥のほうにあるガラス扉が開いて誰かがリビングに入ってきた。黒のワンピース、ふんわり広がるスカート、おかっぱ頭、中学生くらいに見える女の子。
「アーッ!」笹木先輩が少女の顔を見て声をあげた。
「水樹ちゃん! 水樹ちゃん水樹ちゃん水樹ちゃん! 来てたんだー、ビックリ! ナニー? どうしたの? お兄ちゃんと来たの? やだやだやだ、江戸釜先輩ったら教えてくれればいいのにもうポカポカポカ」
 笹木先輩が江戸釜先輩をグーで殴ってる間に、俺は気が遠くなって血の気が失せて失神して気絶して意識をとりもどして回れ右して廊下にでると玄関で靴を履いて車に乗り込み山道を下りると高速道路に乗ってアパートまで帰り六畳間に布団を敷いて毛布をひっかぶってガタガタ震えながら眠り込んでいたかったのだが、現実には回れ右した俺の襟を笹木先輩がひっつかんで水樹の前に顔をつきだされていた。
「よかったねー、よかったよかった水樹ちゃん、ホラ、麻闇くんだよ。麻闇くん麻闇くん、楽しーねー、嬉しーねー、今夜は一緒に推理小説の話たくさんしよーねー! ワーイ、やったやったー!」
 両腕をバンザイしてグルグル踊り狂う笹木先輩をよそに、虹村にじむら水樹みずきは顔を斜めに傾けて、眉の上で切りそろえた黒髪の下、大きな瞳をキョロンとさせて俺の顔を見上げ、それから、唇を左右にめいっぱい引いて、ニイィッと笑った。
 タ・ス・ケ・テ。俺は吐きそうになりながら声にならない声をあげた。