一、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学

 紀元前三世紀、古代エジプトの哲学者エウクレイデスは『原論』を著した。このなかで、当時のエジプトやギリシャで研究されていた幾何学が体系的にまとめられている。
 具体的にはまず点や線についての基本概念が定義され、五つの公理と五つの公準が提示される。公理とは「同じものと等しいものはたがいに等しい」といった自明な法則を意味する。公準とは、証明の出発点となる仮定を指す。
 ユークリッド幾何学はこれらの定義、公理、公準を組み合わせることで、例えば三角形の内角の和は百八十度になるといった命題の真偽を証明する。

 ユークリッド幾何学は平面上の図形を扱う。しかし曲面上の図形はどうだろうか。
 例えば北極点にひとつの頂点を、赤道上に残りの二点を置いた三角形を思い描いてほしい。東経ゼロ度と九十度の経線、赤道を辺とした巨大な三角形は、内角がすべて直角となる。従って、それらの和は二百七十度となる。
 つまり、平面上の図形と曲面上の図形とでは性質が異なってくる。曲面上の図形を扱うには、証明の出発点である公準から見直さなければならない。こうして十九世紀、五つの公準のうちのひとつ、平行線公準が成り立たないと仮定した場合についての幾何学、いわゆる非ユークリッド幾何学が見出された。

 ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、どちらか一方が正しくて他方が間違っているわけではない。扱う対象が平面か曲面かの違いにより性質が異なってくることを意味している。
 言い方を変えれば、ユークリッド幾何学とは非ユークリッド幾何学の特殊ケースを意味する。平面とは、曲率がゼロという特殊な「曲面」だからだ。
 しかし、日常生活において私達は真っ直ぐの線や直角、平面での思考に慣れているため、むしろ曲面のほうを例外的にとらえてしまう。これが、ユークリッド幾何学の誕生から非ユークリッド幾何学の発見までに二千年以上を要した理由のひとつだろう。

二、夢野久作『ドグラ・マグラ』について

 戦前の探偵小説は怪奇幻想、空想科学、秘境探検、異常心理を主体としたものも混在しており、欧米の detective story とは意味合いにずれが生じていた*1。甲賀三郎はこれらを「変格探偵小説」とし、本来の謎解き要素を主眼としたものを「本格探偵小説」と名付け弁別を図った。
 従って、この当時の「本格」とは、犯罪事件があり、謎があり、それが論理的に解かれてゆくことを描いた小説全般を指していた。現代の「本格ミステリ」よりは、むしろ「ミステリ」に語感が近い。

 夢野久作は『文芸通信』誌に寄せた随筆で「探偵小説の真の使命は、その変格に在る」と主張した*2。これに対し、甲賀三郎は「ぷろふいる」誌上で疑義を呈した。次月号で夢野はそれを認め、主張を撤回した。
 代わりに、二つの歴史的な変化を示した。科学精神が唯心文化から唯物文化への変化をもたらしていること、および、文芸を含む文化全体が高尚芸術から赤裸々な低俗趣味へと変化していること。これら二つの流れの先頭に立つことが探偵小説の真使命であるとし、そのために「本格、変格の名は単なる説明上の便宜のために附けられたものに過ぎない」とした。
 探偵小説に対する夢野の理念は『ドグラ・マグラ』にも色濃く表れている。

 九州大学精神病科第七号室で「私」は目覚める*3。隣室からは「私」の許嫁で、しかも「私」によって殺されたと主張する少女の痛々しい叫びが聞こえてくる。しかし「私」は自分の名前さえ思い出せない。
 やがて病室を訪れた法医学教授、若林鏡太郎はこう説明する。現在は大正十五年十一月二十日、一ヶ月前に「私」を治療していた精神病科主任教授、正木敬之が自殺した。正木博士は精神病治療について画期的な新理論を提唱し、それを実践する治療場を創設した人物だった。「私」もまたその治療を受けており、もし記憶が回復すれば、その新しい治療法の有効性を証明できるはずだった。ところが正木博士が自殺してしまったため、現在は若林博士が代わって「私」を担当しているのだという。
 正木博士の教授室に案内された「私」は、記憶回復のきっかけになるかもしれないという様々な文書を勧められる。阿呆陀羅経、新聞記事、論文、そして正木博士の遺言書。これらの文書を通じて「私」は正木博士が提唱した心理遺伝論と、ある殺人事件を知る。
 心理遺伝論とは、文字通り精神が世代を超えて遺伝することを指す。なんらかの暗示をきっかけに狂気に陥り、先祖が体験した強烈な出来事を忘我状態で再現しようとしてしまう。その実証例が九州大学の学生、呉一郎だった。
 呉家には先祖代々伝わる絵巻物があった。この絵巻物を目にした呉家の男性は、それが暗示となって心理遺伝の発作にみまわれ、必ず女性を殺害し、死体を絵に描こうとする。呉一郎の母、千世子は何者かに絞殺された。正木博士はこれこそ一郎の心理遺伝が初めて起きたものではないかと記している。しかしこのときの発作は軽く、狂気には至らなかった。
 次に一郎は従妹にして許嫁のモヨ子との結婚式の前日、誰かに絵巻物を見せられる。今度は完全な心理遺伝が発現、一郎はモヨ子を殺害し、そしてその死体が腐ってゆく過程を描こうとする。狂人となった一郎はこうして正木博士の治療場へと送られた。
 遺言書を読み終えた後、「私」は誰かから声をかけられる。なんとそこには、自殺したはずの正木博士がいた。正木はこう説明する。現在は「私」が若林博士に説明された十一月二十日ではない、その一ヶ月前の十月二十日だ。実は一郎に殺されたはずのモヨ子は仮死状態で生きていた。若林はモヨ子を蘇生させながらも、それを隠していた。そうして一郎とモヨ子を引き合わせ、記憶を回復させることで、正木博士の精神医学における功績を横取りしようとたくらんでいるのだという。
 正木博士に導かれるまま窓から外を見下ろすと、閉鎖されたはずの治療場に患者達がいた。文書内で描写されていた呉一郎とそっくりな顔の、そして「私」自身にそっくりな青年の姿があった。しかし正木によると、昨日起きた、ある事件のために治療場は閉鎖され、患者の姿など無いという。混乱する「私」に正木は、それは離魂病だと説明する。離魂病は過去の体験を客観的な映像として再体験してしまう現象で、治療場にはやはり患者達も青年も実在しないが、昨日の事件が起きる前、治療場に「私」がいたときの記憶から、それらの姿を幻視しているのだという。
 しかし正木博士は笑いだす。いまのはすべて嘘だ、呉一郎と「私」が似ているため、それを利用して「私」の推論能力を試験してみただけだという。
 続けて正木は千年前の呉家の祖先、心理遺伝の原因となった人物、呉青秀について説明する。唐の青年画家、呉青秀は死者の腐敗してゆく過程を描いた絵巻物を献上することで、玄宗皇帝に世の無常さを覚らせようとした。正木博士は問題の絵巻物をとりだし「私」に提示する。しかし「私」の記憶は蘇らない。
 いったい誰がこの絵巻物を呉一郎に見せたのか。正木博士はその人物を知っているという。しかし、精神病学者の正木としては、一郎の発病によって心理遺伝が証明されさえすればよく、その人物を名指しすることには興味がない。「私」は正木博士のそのような態度を強く非難する。
 すると正木博士は告白する。自分こそが、犯人だ。
 学生時代の正木と若林は、心理遺伝を実証するため呉家の末裔にして絵巻物を持つ千世子に近付いた。こうして一郎が生まれたが、正木と若林のどちらが父親なのかは千世子にしかわかっていない。正木は絵巻物を手に入れると千世子を捨てて逃げた。やがて一郎が成長すると、正木は千世子を絞殺した。これにより一郎を伯母の元へひきとらせ、モヨ子との結婚に至るよう仕向けた。そして絵巻物を一郎に見せ、心理遺伝の理論が実証されるか試したのだった。
 すべては学術研究のためだったと告白する正木博士に「私」は謝罪を要求し、正木は涙ながらに部屋を出て行く。後に残された、やはりまだ記憶の蘇らない「私」は、正木の告白を偽りではないかと疑い、真相を探るべく絵巻物に目をつける。なにか証拠が残されていまいかと絵巻物の終わりのほうを広げてみると、そこには正木を非難する意味の和歌があった。署名は「正木一郎母 千世子」とある。
 正木博士の告白は、裏付けられた。一郎の父は紛れもなく正木だった。千世子は正木の企みを察し、和歌の形で警告を残していたのだ。
 「私」は九州大学を飛び出し、無我夢中で街中をさまよう。やがて、絵巻物をそのまま残してきたことに気付き、慌てて大学に戻る。正木博士がもし部屋に戻ってきて、あの和歌をみつけたならば、自分こそ一郎の実父だったとわかり、罪深さに自殺を図るかもしれない。
 気が付くと「私」は教授室に戻っていた。いつの間にか夜になっている。目の前には埃の積もった風呂敷包みがあった。開いてみると、若林博士に読むよう勧められた様々な文書が積まれている。なぜ、今日の午前に読んだはずの文書が、埃の積もった風呂敷に包まれているのか。
 文書をとりのけると、そこには十月二十日、正木博士が投身自殺したことを報せる号外記事があった。記事の中では更にその前日、呉一郎が治療場で暴れ、五名の患者を殺害したことが綴られていた。
 記事を読み終えた「私」は、真相に気付く。「私」は、やはり呉一郎だった。治療場で暴れた翌日、十月二十日に「私」は記憶喪失状態で目覚めた。若林博士に説明を受け、教授室で様々な文書を読み始めた。そこへ正木博士が現れ、あのような会話となり、最終的に正木は涙ながらに部屋を出て行き、「私」は千世子の和歌をみつけ街をさまよった。その間に部屋に戻った正木は、恐らく千世子の和歌をみつけて自殺の決心を固めた。
 そして一ヶ月後、十一月二十日の今日、再び記憶喪失状態で目覚めた「私」は、若林博士に勧められるまま様々な文書を読んだ。それが暗示となり、離魂病によって一ヶ月前の記憶が蘇り、再体験が始まった。正木博士の幻を相手に、一ヶ月前とそっくり同じ会話を繰り返した。
 いや、ひょっとすると、今日は十一月二十日ではないのかもしれない。若林博士によって、同じことをずっと一ヶ月毎に繰り返しているのかもしれない。
 すべての辻褄が合う。もう「私」が呉一郎なのは明白だ。「私」は茫然としたまま精神病科第七号室へと戻った。

 要約だけではわからないが、『ドグラ・マグラ』を経験した多くの読者にとって最も印象的なのは、本筋とは一見無関係な装飾的記述の圧倒的膨大さだろう。精神病院の前近代的で悲惨な実態を訴える阿呆陀羅経、脳髄は物を考える処に非ずという主張、胎児の夢、心理遺伝といった、精神医学、異常心理、空想科学に関する文章が終わりのない悪夢のように綴られている。
 プロットの骨子だけなら、心理遺伝と離魂病という着想を活かしたSFミステリと言えなくもない。今朝から自分一人しかいないという小使いのセリフのように、離魂病のトリックを示唆する伏線もある。しかし要約からも明らかなように、謎の提示とその論理的解明という本格探偵小説のイメージからは大きくかけ離れている。
 夢野の興味は先の主張通り、謎の論理的解明よりも、犯罪における異常心理や科学による人間性の蹂躙のほうを向いていたことが窺える。

三、有栖川有栖「スイス時計の謎」について

 十八世紀英国には、小説の区分としてロマンスとノヴェルがあった*4。ロマンスは空想的で非現実的な物語を、ノヴェルは現実の社会や生活をみつめ淡々と描いたものを意味する。ゴシック小説は、現実世界を描くノヴェルという器に、超自然というロマンスの題材を盛ることを試みた。超自然現象に合理的解決がされるゴシック小説もあったが、それは論理的な推理による真相の指摘ではなく、ノヴェルとして現実生活へ復帰することに重きを置いた解決だった。
 ゴシック小説における古城や幽霊といった道具立てから脱し、エドガー・アラン・ポーは『モルグ街の殺人』で都市を舞台とした。ノヴェルには現実生活を描くべしとするジャンル的制約があるが、アメリカ人作家のポーは短編小説という形式でその制約から逃れることができた。こうして、かつてないほど理性と論理についての記述が過剰な小説が生まれた。
 恣意的に解釈すれば、これらの経緯は以下のように理解できる。現実世界に幻想が介入してくる様子を理性的にみつめたのがゴシック小説だった。それに対しポーは、このような幻想/現実/理性という図式から旧来イメージの幻想をひとまず切り捨て、理性により現実を再解釈することを通じて新しい形の幻想を創造した。それは、それまでのフィクションでは描かれることの無かったものだった。
 現実とも、旧来の幻想とも異なる新しいものとはなにか。
 それは「真実」だ。
 ここでいう真実とは、幻想の対義語ではない。論理パズルの答えでも、現実世界へ復帰するための言い訳でもない。理性の力で現実を直截にみつめ分析することで初めて見出せるもの、決して神秘ではないが、かといって一般人の思考力では到達できない知の領域を意味する。
 このため、理性の代弁者を務める役割、すなわち「名探偵」を必要とした。名探偵が見出す真実は、ときとして幻想よりも非現実的であり、しかしそれでいて、いったん指し示されたなら誰もが認めなければならないものだった。

 大戦間の英米においてミステリは黄金時代を迎える。ポーの時代、真実に到達できる理性の代弁者は限られた存在で良かった。ブラウン神父の直感的な推理や、極端なほど蓋然性に依拠したシャーロック・ホームズの推理に否を唱えるものはなかった。
 しかしやがて、理性の勝利よりも論理による絶対的な正しさが求められるようになっていく。読者が謎解きに参加するためには、真実へと至る論理に客観性がなければならない。知的ゲームを成立させるには、現実世界を単純化し、ルールを明確にしなければならない。名探偵ではなく、読者と同じゲームの盤上に立つ「探偵役」が必要となる。
 こうして、探偵役と犯人との対決を主軸にした標準的なプロットが確立する。知的な犯人が巧緻な計画で殺人を実行し、探偵役が殺害現場を調べ関係者から事情を聴取し、論理的な推理によって犯人を指摘する。このとき論理は、単純な日常論理の枠を踏み越えてはならない。
 ヴァン・ダイン、そしてエラリー・クイーンへ*5。読者に真相をつかむチャンスを与えつつ、同時に探偵役の存在を擁護するために、ますます知的ゲームは形式化の度合いを強め、論理が複雑化していく。黄金時代に達成された、このようなイメージを仮に「形式主義本格」と名付ける。
 やがてクイーンは、形式主義本格の物語世界が秘める、危うげな側面に気付いていく。サンプルとして、有栖川有栖「スイス時計の謎」について見てみよう。

 経営コンサルタント、村越啓が撲殺死体で発見された*6。村越は高校時代に仲の良かった友人達、高山不二雄、神坂栄一、野毛耕司、三隅和樹、倉木龍記と再会する予定だった。同窓会メンバーは全員が記念に同じスイス製の高級腕時計を所有していた。しかし、被害者の腕時計はなぜか殺害現場から持ち去られていた。
 殺害現場には腕時計の文字盤を覆うガラスの破片が微量に残っていた。犯人はガラス片を隠滅しようとしたが、しきれなかったらしい。その後、被害者の村越は腕時計の文字盤を手首の内側に向ける習慣があったこと、殺害された当時は肩を痛めており腕が上がらなかったことがわかる。とすれば、犯人と争ったときに被害者の腕時計が割れた可能性は低い。
 社会学者の火村は、以上の事実から容疑者を同窓会メンバー五人に絞り込む。
 ガラス片を隠滅しようとしたのは、割れたのが犯人の腕時計だったからに違いない。腕時計から身元が明らかになるのを恐れたのだろう。しかし、それならばなぜ犯人は被害者の腕時計を持ち去ったのか。被害者の腕時計もあえてガラスを割り、現場に残しておけば、珍しい腕時計を嵌めていた事実を隠せたはずだ。
 恐らく犯人は、その腕時計がすぐに必要だったのだろう。身につけて人前にでる必要があったから、壊れた自分の腕時計の代わりに、被害者の腕時計を持ち去る必要があった。被害者にとって身近で、スイス製の腕時計をし人前にでなければならない機会がある者といえば、同窓会メンバーしかない。従って、容疑者は同窓会メンバーに絞られる。
 その後の調べで、高山は二年前、自分の腕時計にイニシャルを刻んだとわかる。神坂はそれを蛮行だと非難し、三隅も否定的だった。しかし被害者の村越は彫ってもいいと反応し、倉木、野毛も興味を示していた。火村は推理作家の有栖川に、五人の容疑者が持つ腕時計にイニシャルが刻まれていないか確認を頼む。
 有栖川が確認した結果、被害者のイニシャルが刻まれた腕時計をしている者はいなかった。犯人は壊れた自分の腕時計の代わりに被害者の腕時計をしているはずだから、被害者はイニシャルを刻んでいなかったとわかる。
 確認結果を聞いた火村は、犯人を指摘する。まず高山はそもそも同窓会に参加しなかった上に腕時計を他のメンバに貸していた。従って除外。その腕時計には高山のF・Tのイニシャルが入っており、借りていた野毛はその腕時計を事件後も所有していた。従って除外。残りは三人となる。
 ここで、犯人がなぜ自分の腕時計を被害者の腕に残さなかったのかが決め手になる。犯人は同窓会で腕時計を見せるために、被害者の腕時計を持ち去った。しかし、もしも腕時計に持ち主の特徴を示す痕跡が無かったならば、犯人は壊れた自分の腕時計を被害者の腕時計として残していってもよかったはずだ。
 三隅和樹は被害者の村越啓とイニシャルが一致する。従って仮に三隅が自分の時計にイニシャルを彫っていたとしても、自分の腕時計を被害者の腕に残していって問題なかった。神坂はイニシャルを刻むことに反対していた。被害者も神坂もイニシャルを刻んでいなかったのだから、神坂は自分の腕時計を被害者の腕に残せたはずだ。しかし現実に被害者の腕には時計が残されていなかったのだから、三隅も神坂も犯人ではない。
 こうして残された一人、倉木龍記が犯人と判明する。倉木は腕時計にイニシャルを刻んでいたため、それを被害者の腕に残していくことができなかった。倉木の腕時計を確認したわけではないが、被害者の腕に時計が残されなかった理由はそれしかありえない。

 さて、犯人を指摘した火村の推理に誤りはないだろうか。
 これが現実の事件であれば、指摘すべき点はいくらでもある。被害者には同窓会メンバー以外にスイス製の腕時計を人前でしなければならない知人が偶然いたかもしれないし、三隅はイニシャルだけではなくフルネームを彫ったかもしれないし、神坂が同窓会に出席する直前になって意志を変えイニシャルを刻んだ可能性もある*7
 日常的な観点とは逆に、ロジックをより複雑化させても問題がみつかる。神坂が、自分の壊れた腕時計を被害者の腕に残すことを選択せず、あえて持ち去った可能性はないだろうか。こんな行動をとるのはイニシャルを刻んでいた人物だけだ。倉木と野毛はイニシャルを刻むことに興味を示していた。容疑者が同窓会メンバーに絞られるというリスクはあるが、それでもイニシャルを刻んでいる人物だけを疑うはず、と神坂は考えたかもしれない。
 これらの指摘は、形式主義本格における暗黙の了解を考慮すれば問題ない。形式主義本格において探偵役の推理は論理性、蓋然性、単純性の観点を満たしていれば真実とみなされる。珍しいスイス時計を所有し、なおかつ急いで人前にでる必要があった者など、そうそういるはずがない。同窓会メンバーはイニシャルを刻むことの是非について会話したのであり、あえてイニシャルではなくフルネームを刻んだり、急に意志を翻す積極的な理由はない。同窓会メンバーに容疑者が絞られるというリスクがあるにも関わらず、犯人があえて天才的な探偵役を意識して不自然な行動をとるはずがない。
 従って、これらの指摘は火村の推理を否定しない。その代わり、このような推理が成立する物語世界は奇妙なものになる。火村が存在する世界では、確率の低い現象や、ある信念を持つ人物が気まぐれにそれを破るということがない。そのようなことが起きるときは、読者に伏線や手がかりとして、なんらかの前触れや目撃証言がなければならない。
 形式主義本格の物語世界では、探偵役の推理を成立させるために世界が歪む。読者をゲームの場に招待しつつも、探偵役だけが真実への優先権を得るために、複雑で多様な現実から遊離していく。この物語世界には真実がある。しかし、現実からは遠ざかる。

四、東野圭吾『容疑者Xの献身』について

 江戸川乱歩は英米黄金時代の作品を目指しつつも、その志とはうらはらに怪奇と幻想を織り交ぜた長編を多く著した。戦後、横溝正史は『本陣殺人事件』で純日本的な道具立てから論理性の高い作品を実現する。松本清張は怪奇幻想趣味を排し、リアリティと社会性を重視した。このようにして国内推理小説は、欧米の探偵小説を日本の社会/文化/風土にあわせて洗練させてゆくことで、昭和三十年代に黄金期を迎える*8
 それに対し綾辻行人『十角館の殺人』から現在に至る本格ミステリブームには、昭和三十年代とは逆の志向性が見受けられる。本格ミステリを現実世界に溶け込ませるのではなく、現実を本格ミステリの世界観によって異化しようとする。
 このため、英米黄金時代の文芸復興を図ると同時に、あえて形式主義本格の枠組みから逸脱する様々な試みがされてきた。叙述トリックによる作者から読者への直接的な騙り。読者を欺く名探偵。哲学、民俗学、脳科学といった多様な専門知識が犯人を指摘するロジックにあえて用いられた。
 一例として、以下に東野圭吾『容疑者Xの献身』を挙げる。

 弁当屋勤めの花岡靖子は、元夫の富樫慎二に復縁を迫られていた。アパートに押しかけてきた富樫を靖子の娘、美里が、花瓶を振り落とし殺害してしまう。すると隣室の住人、高校の数学教師である石神哲哉が、死体の隠蔽を申し出る。
 三月十一日、旧江戸川の堤防で身元不明の死体がみつかった。死亡推定時刻は三月十日の午後六時以降。死体は顔を潰され、指紋を焼かれていたが、行方不明になっていた富樫が借りていたレンタルルームの毛髪や指紋が一致し、警察は死体が富樫だと判断する。花岡親娘が調べられたが、映画を観に行っていたという二人のアリバイは自然で、裏付けもとれた。
 物理学科の助教授、湯川学は知り合いの刑事、草薙を通じて石神のことを知る。大学時代の二人は親友だったが、二十年以上音沙汰がなかった。再会し、懐旧を暖める二人。しかしそのとき、湯川は些細なことから石神が靖子に思いを寄せていることに気付く。石神が靖子のために殺人を隠蔽しているとしたら。自ら事件を調べ不審点をみつけるが、花岡親娘のアリバイは崩れない。
 湯川の態度から石神を怪しんだ草薙刑事は、学校へ聞き込みに訪れる。ふとした雑談の弾みで、石神は試験問題を作るコツを語った。思い込みによる盲点をつくだけです。例えば幾何の問題に見せかけて関数の問題とか。
 草薙刑事を通じてその言葉を知った湯川は真相に気付き、石神に警告する。しかし石神は謎の言葉を残して立ち去る。おまえはまず自分で答えを出した。次は他人が出した答えを聞く番だな。
 石神は警察に自首する。富樫を殺したのは自分だ。愛する靖子のために自分が殺したと主張する。そのことを知った湯川は、靖子に真相を打ち明ける。江戸川の堤防でみつかった身元不明の死体は、富樫ではなかった。本当の富樫慎二が殺されたのは三月九日、石神によってバラバラに切断され隅田川に投棄されていた。
 堤防でみつかったのはまったく別人の死体、石神によって偽装されたホームレスの死体だった。石神は花岡親娘から疑いの目を逸らすため、三月十日にホームレスを殺害し、それを富樫慎二の死体に偽装したのだった。

 旧江戸川の堤防でみつかった死体の死亡推定時刻に、犯人である湯川のアリバイはない。形式主義本格における、犯人は自身の犯行を隠蔽することに最大限の知略を練るという行動原理からすれば、まったく無意味なトリックだ。
 石神の目的が、本当の殺人者である花岡親娘をかばうためだったからこそ、死体の入替トリックが意味を持つ。一見『容疑者Xの献身』は名探偵と犯人の知的対決を描いたように見えるが、そうではない。探偵役である湯川が偶然にも石神の友人で、石神が靖子に思いを寄せている可能性に気付かなかったならば、湯川に真相を推理することはできなかっただろう。
 死体入替トリックは、倒叙形式と叙述トリックの組み合わせにより補強されている。形式主義本格ならば、探偵役は「顔のない死体」が登場した時点で人物の入替を想定するのがセオリーだった。それを、倒叙形式により被害者の殺害場面を先に描きつつ叙述トリックで日付を誤認させることで、読者に死体は富樫だという強い先入観を与えている。
 いわば『容疑者Xの献身』は、形式主義本格の裏返しだ。探偵役対犯人を中心軸にした標準的なプロットがあり、それを前提として犯人のトリックが暴かれるのが形式主義本格だった。しかし『容疑者Xの献身』では、トリックにプロットが奉仕している。このため形式主義本格のように、探偵役の推理を成立させるため世界が歪むことはない。歪みは、愛する隣人を護るためならホームレスを殺害しても構わないと考える石神のグロテスクな純愛に集約され、そして倒叙形式と叙述トリックを組み合わせたプロット全体へと投影されている。
 このように形式主義本格から離れながらも、『容疑者Xの献身』は読者に対し石神のトリックを論理的に見破る手がかりを提示している*9。読者は真相に到達できるが、もうそれは理性の代弁者たる名探偵や探偵役によって一方的にもたらされるものではない。
 戦後の国内ミステリは欧米から輸入した形式主義本格を消化した。新本格以降の様々な試みはその理念を守りつつ、かつての形式主義本格には無かった自由度を得ようとしている。
 いうなればそれは、ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学への飛躍だ。

五、再び『ドグラ・マグラ』について

 ゴシック小説から現代の国内ミステリまで駆け足でたどりながら、三つの作品について触れてきた。本稿は歴史資料を目指したものではなく、大きな漏れや認識の歪み、強弁過ぎる解釈があることは否めない。変遷の背後にある社会/文化/時代背景の考察にも欠けている。これらの点は私の力量不足としてご了承頂きたい。
 本稿を通じて、私は『ドグラ・マグラ』が本格ミステリだと主張したいわけではない。既に記したように「本格」のイメージは時代とともに変化してきた。今更『ドグラ・マグラ』に「本格」というラベルを貼るか否かを問題にしても意味がない。
 「スイス時計の謎」を批判したかったわけでもない。形式主義本格の危うさは、その危うさこそがひとつの魅力だ。高度な論理によって記号化された物語世界には、他のジャンル小説では決して味わうことのできない固有の興趣があり、しかも、社会の流行とは無関係で古びることがない。恐らく二十年後の読者も「スイス時計の謎」が魅せる悪魔的な論理に驚嘆するだろう。
 『容疑者Xの献身』を、形式主義本格の枠を打ち破る路標的作品として位置づけたかったわけでもない。なぜなら、このような試みは決して『容疑者Xの献身』が唯一でも始まりでもないからだ。それは既に戦前から、『ドグラ・マグラ』に見出すことができる。
 再度『ドグラ・マグラ』について考えてみよう。作中の「私」は幾度となく記憶を取り戻そうと努力し、論理的推理によって自分が誰なのか真相を見出そうとする。しかし、その努力が報われることはない。大量の文書を突きつけられ、正木博士に一方的な自白をされ、推理によりそれを否定しようとするが、千世子の和歌によって裏付けられてしまう。埃の積もった風呂敷包みと号外記事が、「私」こそ呉一郎であり他の誰でもないことを証明してしまう。
 「私」は論文や新聞記事や遺言書や会話や目にした様々な事物から絶対的な事実を次々とつきつけられ狂っているのはお前だ、お前こそが狂人だと宣告される。自分を取り巻く世界のすべてから狂ったアイデンティティを強制される。
 形式主義本格では探偵役を成立させるために世界が歪められた。『ドグラ・マグラ』において世界は絶対的な正しさを誇り、すべての歪みは「私」へと帰結する。『容疑者Xの献身』で歪みが石神の純愛に集約されたように、『ドグラ・マグラ』ではそれが「私」に集約される。
 もちろん、夢野久作は形式主義本格の枠組みから脱しようとしてこの作品に到達したわけでない。先に論じたとおり、夢野は独自の理念から変格探偵小説を書き続けた。
 戦後の国内ミステリは形式主義本格に近付こうと刻苦し、それが到達されると次はその理念を守りつつも実験的試みを続け多様性を獲得した。その歴史があるからこそ、平面が特殊な曲面だとわかる。

 繰り返すが、形式主義本格を批判することが本稿の目的ではないし、ましてや名探偵不要論を唱えるつもりは毛頭無い。それはそれで必要だ。それはそれで在っていい。しかし、それだけでは決定的に不足している。
 形式主義本格において、英雄的な名探偵が騙る真実ではなく、読者と同じゲームの盤上で探偵役が語る真実が求められるようになった。現代は、その探偵役が語る真実すら信頼が薄らぎつつある*10
 現代の多様性に満ちた作品群を見渡すとき、私は、本格ミステリの制約は語りの整合性だけではないかとさえ思う。物語の初めの時点で提示された事柄が、後のほうで影響してくること。ただ、それだけなのだと。しかしそのような整合性は、数学的真理のように強い整合性でなければならない。急ぎすぎてしまえば、それは整合性ではなく、作者の恣意性から生じた単なる押しつけに過ぎなくなる。
 ミステリは、語りの整合性を通じて作者の恣意性から離れた「真実」を描くことができる。しかしそれは、たったひとつ論証過程に誤りや矛盾があるだけで、ほんの些細な手がかりがひとつ追加されるだけで音もなく崩れ去る。幻想ではないが、幻想よりも儚い。と同時に、そのような困難な過程を通じて物語世界の登場人物達と読者が得る共通認識は、圧倒的なリアルを獲得する。それはありのままのリアルではない。しかし、切実なリアルだ。
 かつて新本格の第一世代作家は人間が描けていないと評された。しかし、米澤穂信や辻村深月といった近年の若手作家は、ミステリを通じて人間性を描くことに矛盾を感じていない*11。語りの整合性から真実に至る手法は、絶えず洗練され続けなければならない。名探偵や探偵役が読者との怠惰な共犯関係としてしか機能しないなら、私は別れを告げたい。あなたの役目はもう終わったと。

 ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学へ。そして両者を合わせた広大な空間へと認識を広げたとき、本格ミステリは歴史的文脈を離れ、従来は本格と見なされていなかった作品さえ理解を変える。このとき、本格とはジャンルの定義ではなく、ひとつの小説を読み解くためのメソッドとなる。
 形式主義本格を磨き上げつつ、その危うさを自覚していたエラリー・クイーン。変格探偵小説を通じて、空前絶後の世界観を築き上げた夢野久作。かけはなれた二人の作品世界を、私達はなぜ比較検討できるのか。たとえ扱う対象に平面と曲面との違いがあっても、定義、公理、公準を用いて命題を証明する基本的な手続きまで異なるわけではない。語りの整合性という単純な規則を通じて私達は膨大な過去の作品群をひとつながりの旋律として受け止めることができる。
 どうかこの、壮大な変奏曲に耳を澄ませてほしい。