はじめに

 ある作品を、ミステリとして論じるとはどういうことか。

 ミステリ小説もまた小説であり、従って論じ方に違いのあるはずがない――そんな考えは誤りであることを、ミステリ読みは知っている。
 他ジャンルの作品に対し「論理的に美しい」という賛辞が使われるのは稀だ。

 四月二十二日、MYSCON7にて読書会が行われた。課題本は石持浅海『扉は閉ざされたまま』(祥伝社NON NOVEL)。
 この作品は2006年版「このミステリーがすごい!」で第二位となった。この事実だけで、多くの指示を受ける作品だったことは明らかだ。
 しかし一部では、動機について抵抗を感じるという声もあった。一例を挙げるならば、ミステリ作家の篠田真由美は2005.05.28の日記で以下を述べている。

 『扉は閉ざされたまま』石持浅海 ノンノベル 最初に殺人が犯されて、それがどう暴かれていくかを犯人視点から見せるという倒叙ミステリ。若い男女の同窓会で、議論とロジックというと、ちょっと西澤保彦さんかとも思われたが、全然違う。タイトで面白い作品ではあるのだが、はっきりいって「人間はこんな動機では殺人は犯しません」。これはもう断言できる。犯人のキャラと、動機と、殺人という手段がマッチしていない。なまじリアルな設定とリアルな書き方をしている分、これはミステリとしてではなく小説として致命的な欠点というしかない。それが善意の方向にずれているから、「なるい」という印象を残してしまう。西澤さんの小説はもっと残酷で容赦がない。

 一般的な感覚からすれば、これはうなずける意見だろう。
 それではミステリとして論じるとき、このような「リアルではない」動機は欠点だろうか。

 読書会では蔓葉氏が指摘していたが、意外な動機を描くことは本格ミステリの黎明期から続くひとつの命題だ。『扉~』はその衣鉢を継いだと言える。
 そのいっぽう、上に引用した篠田真由美や、読書会でスズキトモユ氏若林氏が指摘したように『扉~』では動機と人物の描き方が乖離している。異常な動機を胸に秘めながら、なぜその異常性が行動やモノローグに現れないのか。

 動機を巡るこれらの指摘は、ある作品をミステリとして読むとはどういうことか、興味深い示唆を与えてくれる。
 ミステリとは、論理性を最重視する文学ではないか。リアリティが、人物造形が、あらゆる要素が作品内論理に奉仕していること。そしてそれを基準とすることが「ミステリとして読む」ということではないだろうか。

 もちろん、これはミステリとして読む手法のひとつに過ぎない。もっと他に、伏線の妙を味わう、技巧に驚き感嘆する、過去の路標的名作と比較するといった読み方もある。
 しかし、ひとつの読み方には違いない。ミステリとして『扉~』の作品内論理を読み解くとき、そこからどのような解釈が可能だろうか。

カウンターレジュメ

 以下、読書会にて配布したカウンターレジュメを公開する。
 画像をクリックすると、別ウィンドウに表示する。ページ番号は初版に基づいている。
 動機に関しては更に多くの伏線があるが、図が煩雑になりすぎるため省略した。

カウンターレジュメ

碓氷優佳の推理

 初読時は「なぜ優佳はこんな些末なことを気にするのか?」と感じた。しかしカウンターレジュメを作成することで、第一章から第三章まで優佳の思考と行動が妥当かつ自然な流れであることを確認できた。
 しかし逆に、カウンターレジュメの左下に記載した通り、初読時は気にならなかった第四章での謎解きについて、推理内容に飛躍があるように思えてきた。

 作品内論理の流れを追った結果、上記ふたつの疑問点が浮かんできた。無視しがたい論理の飛躍が立ち現れた。
 では、これらの疑問点を『扉~』の欠点と判断すべきだろうか。ミステリとして読むとき、論理性を最重視する観点から、致命的欠陥とみなすべきだろうか。

 そうではないと、私は思う。
 優れたミステリ読みならば、これらの疑問点に立ち向かい、論理的整合性を補完すべきだろう。それこそが、ミステリとして読むことの最終到達地点ではないか。

 では、ふたつの疑問点に対し、どのような解釈が可能なのか。
 どのように考えれば全体的整合性を保持したまま論理の飛躍を埋めることができるのか。

 私は以下に、ひとつの解釈を記す。
 しかしそれは、この作品に対する認識を、根底から改めさせるものであることを予言しよう。

 なお、大変申し訳ないが、一部の女性には不快な内容であることを予めお断りしておく。ここから先、女性は読まないで頂けるとありがたい。
 念のため、論の続きはスペースを空けた後で始めることとする。今のうちにブラウザバックで戻ってほしい。

























 よく考えてみると、男性のほうがショックは大きいかもしれない。
 特に、碓氷優佳に萌えた人は。

























 あの、もちろん、石持浅海先生も読まないほうがいいっすよ。
 今後の執筆に役立つようなことはいっさい書いてません。

























 あ、ホントに読むの?
 それじゃ、まあ、始めましょうかね。

 第二の疑問点を思い出して欲しい。ミステリとして読むとき、動機にリアリティがあるか否かは些細な問題に過ぎない。伏見はそのような人物だった。それだけのことだ。読者がその動機に納得できるか否かは文学的な問題に過ぎない。
 重要なことは、なぜ碓氷優佳がそのような蓋然性の低い動機に思い至ったのかという点にある。伏見がどんな異常な動機を抱こうが問題ではない。問題は、その異常な動機にどのようにして論理的に到達したのかということにある。

 思い出してほしい。伏見のセリフから骨髄提供をしたのではと疑ったとき、優佳はあえて「提供したことがあるんでしょう?」とブラフをかませた。また、新山は無意識に鍵をかけただけだろうという伏見の主張に対し、窓の明かりを確認した。
 優佳は安楽椅子探偵ではない。ときとして勘繰りすぎでは思える推理をするが、そのような場合きちんと確認をしている。ただの空想で終わらせるのではなく、正当性を必ず確かめている。
 それがなぜ、動機については臓器提供を阻むためなどという可能性の低い結論に至ったのか。

 この謎は、さかさまに考えれば解ける。
 正当性を確かめていない推理を優佳が話すはずはない。ならば、優佳はあの動機を、正しいと思って話したはずがない。
 優佳は、まったく異なる別の真相を考えていたのではないか。それを確かめるためのブラフとして、あえて正当性を確かめていない、可能性の低い動機を語ったのではないか。
 第四章における優佳の謎解きは、謎解きではなかったのではないか。胸に秘めていた別の考えがあり、それが真相なのか確認するためのブラフだったのではないか。
 しかし優佳にとっては意外なことに、そのブラフこそが真相だった。結果として、別の推理は明かされることなく済んでしまった。

 では、優佳が胸に秘めた別の推理とはなんだったのか。
 ここで第一の疑問点がヒントになる。確かに、日の当たる場所にウィスキーをとりだしたのは新山ではないだろう。しかし、そこから殺人にまで推論を進めてしまうのは飛躍しすぎている。
 では、飛躍しなければ、ウィスキーからどのような結論が得られるだろうか。慎重に考えれば、その人物は新山の荷物を漁ることが目的だったとまでは言えるだろう。目的がウィスキーだったのか着替えだったのかは断定できないが、ウィスキーがテーブルにあった以上、新山以外の誰かが荷物に触れたことだけは確かだ。
 では、荷物を誰かが漁ったこと、たったそれだけの結論から、新山が部屋を閉ざした理由を導き出せるだろうか。優佳が胸に秘めた別の推理がなんだったのか、突き止められるだろうか。

 常識的には無理なことのように思える。しかし、伏見の睡眠改善薬で新山が眠り込んだ可能性があること、そして郵便健康診断キットに関する会話から新山の買春が推理できたことを足し合わせると、ひとつの解釈が生まれる。
 正確には、ある一部の人達ならば、解釈することができる。一般人には無理だが、これらの材料から特殊なストーリーを構築することのできる人達がいる。
 碓氷優佳は、その集団に属していたのではないか。もちろん、新興宗教やテロリストだったというわけではない。そんな少数派ではない。現代社会に数多くいる人達だ。ただし、表にはそのことを隠している。だから目立たないが、決して社会的にも経済的にも無視できない影響力がある、そんなサイレントマジョリティに優佳は属していたのではないか。

 結論を言おう。
 碓氷優佳は、腐女子だった。

























 ……冗談のわかる方のみ、続きをお読み下さい。
 「腐女子」という言葉を知らない人はぐぐって勉強して下さい。将来、きっと役に立ちます。
 あ、そうそう、ここから先は二十五才未満禁止です。

























碓氷優佳の妄想

 さて、これまでに以下の推理材料がそろっている。

 優佳なら、いや、腐女子なら、ここからどんな推理を組み立てるだろうか。
 伏見は郵便健康診断キットで新山の買春を知り、嫉妬の炎が燃え上がった。
 そして同窓会、伏見はあることを計画した。睡眠改善薬で新山を眠らせて、部屋に忍び込んで、無抵抗の新山に、既成事実を作ってしまえ。
 犯行当日、首尾良く薬を飲ませ、頃合いを見計らって部屋に忍び込む伏見。どうやら新山は風呂に入っているらしい。おや、バッグがあるぞ……し、下着とか入ってるのかな?
 荷物を漁り始める伏見。そこへ、風呂からあがった新山。全裸の新山を見て、思わず伏見は……。

 エー、新山が、鍵をかけて、ドアストッパーまでして、ウィスキーが陽のあたる場所に置かれてるのも忘れるほどショックを受けて、部屋に閉じこもった理由を、優佳がどのように妄想したのか具体的に記述することは勘弁させて下さい(泣)。

 伏見×新山というカップリングについては、ひょっとすると大学時代から考えてたんじゃなかろうかと思う。しかも伏見と新山を覗くアル中分科会の全員が知っていたんじゃないかなと。
 どうしてそんなことを思うかというと、何度も繰り返される優佳と伏見の夜這いネタだ。あれは、女性陣の場合「こんなに可愛くて頭のいい子なのに、なんて不憫なの!早く更生してあげないと!」という想いから、男性陣の場合は「優佳ちゃんには好かれたいけど、オカズにされるよりはマシ!」という恐怖から、この同窓会をきっかけに伏見と優佳をくっつけて丸く収めようとしているではないかと思われるのですよ、ええ。

 言うまでもないが、優佳が犯罪に目をつぶってやるからその代わりに、と迫ってくるのは、最終確認なわけですよ。ええ、伏見が、アレじゃないことのね。バイセクだったらどうするんでしょね。
 あと優佳が「銀縁眼鏡の新山さんよりも、伏見さんの方が大切です」というセリフ、あれも解釈が違ってきますのう。あれは伏見が考えたような、眼鏡の位置が不自然じゃないか確認しろなんてメッセージではなかったのですよ。あれは本当は「私、銀縁眼鏡は萌え要素じゃないですから」という意味だったのです。

 ここまで読んだ方は当然「おいおい、それならどうして、作者は優佳が腐女子なのをもっときちんと明示しなかったんだ?」と思うかもしれませんね。
 もちろん、石持先生も初めはちゃんと書いたことでしょう。でも、『扉~』が出版されたのは2005年5月、『電車男』ブームなんかでやっと「おたく」は市民権を得るようになったけれど、「腐女子」はまだまだ一般人には認知度が低い。きっと編集者が「先生、これはなんですか!」とクレームをつけたんですよ。
「エー、腐女子だけど~?」
「ダメですっ、先生はハートフルでピュアなイメージで売れてるんですからっ! こんなの全然ダメですっ!」
「そ、そうかな~?」
 というわけで、手練れのミステリ読みならきっと気付いてくれるに違いないと祈りながら、石持先生は泣く泣く碓氷優佳のあんなシーンやこんなシーンを削ったのでありました。
 あの……先生、この文章、読んでないですよね?

 午前一時、いったん頭を冷やすことを宣言して解散し、そして伏見の部屋を訪れるまでの五分間。それは、優佳にとってどんな時間だったのか。
 優佳が伏見を愛していたことは、嘘ではないだろう。杉浦由美子『オタク女子研究 腐女子思想体系』(原書房)によると、腐女子にとって恋愛とアレは別腹なそうなので。
 もし自分の話すブラフが逆に真相だったならば、それをネタに愛する男を手に入れることができる。しかしそれは、長年に渡って育んできた甘美な夢物語を打ち消すことになる。もし、ブラフがブラフで終わった場合、そのときは逆の結末が待っている。
 五分間。それは一人の腐女子が、愛と美の狭間で揺れ動く、想像を絶するような苦悩の時間だった。
 石持浅海は、少なくともミステリでは世界初となる腐女子を主題とした小説を著し、そしてここまで描ききった。『扉は閉ざされたまま』は、今後続く数多の腐女子文学の金字塔として、燦然と輝き続けるだろう。

 ……あの、「認識を根底から改めさせる」てのは、嘘じゃなかったでしょ?