まずは作品紹介

 麻耶雄嵩『神様ゲーム』は「かつて子どもだった大きなお友達のための」あ、間違えた、「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」講談社ミステリーランドから今年の七月に刊行された。

 講談社ミステリーランドはミステリ作家に未来への遺産として子供向け読み物を書いてもらうというシリーズで、普通にジュブナイルな物語もあるけれど、実は子供にトラウマを与えるくらい大人の嫌らしさ人生の厳しさ社会の不条理を見せつけてやれグヘヘヘヘという方針があるそうで、けっこう子供向けとは思えない後味の悪い話がときどきある。ただいま一部不適切な表現がありましたことを海よりも深く反省いたします。
 そもそも麻耶雄嵩先生はなんというか実にその、大変に個性のある作家でしてなあ、フォッホッホッホ。興味のある方はデビュー作『翼ある闇』から順番にお読みになると良いかと。
 そんなわけで『神様ゲーム』はジュブナイルとは思えない残酷さと後味の悪い展開、大人向けの小説に負けないくらいの高度な論理性、そしてなにより衝撃的なラストの趣向について賛否両論の嵐が吹き荒れ、探偵小説研究会=編著『2006本格ミステリ・ベスト10』で堂々の5位となった。

衝撃のラスト

 さて、問題になったラストの一撃とはなにか。前半部分はちょっと省略して、後半の「密室」について説明してみよう。

 小学四年生の黒沢芳雄は同じ町内の友達と探偵団を結成してた。探偵団は「同じ町内に住んでる子しか入れない」というルールがあって、空き家を利用した秘密基地のことを誰にも漏らさないようにしてた。そういうわけで、別の町に住んでて探偵団には入れない親友の岩淵英樹に何度もうらやましがられてた。
 ところがある日、探偵団の一人、内海俊也が秘密基地の傍にいた英樹の後ろ姿をみかける。すわ大変、秘密が漏れたのかと探偵団メンバーが秘密基地に集まってみると、入り口の脇に英樹のカバンがあり、裏庭の入り口が開かなくなっていた。
 誰かが裏庭にいて鍵をかけてるんだ、ということで思い切って体当たりでドアを破る。裏庭にあるのは物置、そして井戸。いつもなら茶筒の蓋とかタライみたいな形をしたが井戸を覆ってたはずなんだけど、外されて横に置かれてる。恐る恐る覗いてみると、緑の藻や水草に覆われた水面に、動かない英樹の顔があった。
 驚き慌てて逃げ出す探偵団。刑事である父親に携帯電話で知らせると、まだ息があるかもしれないから戻れと諭される。勇気を振り絞って裏庭に戻り、手首の脈を確認したけどやっぱり死んでる。そこへやってきた父が物置の中を確認するけれど、埃が積もっていて誰かいたような跡はない。裏庭を囲む塀はボロボロで、ここを乗り越えて逃げたら跡が残るはずなのに無い。英樹を殺した犯人は、裏庭という密室からどうやって逃げたんだろう?
 警察は英樹の死を事故と片付ける。でも、探偵団は納得しない。俊也が目撃した英樹の後ろ姿は、秘密基地からの坂道を下りていくところだった。英樹はいつ、俊也を追い越して裏庭に入った?
 秘密基地に集まったとき、探偵団はまず空き家の中を調べた。その隙に犯人と英樹は裏庭に入ったんだろうか。でも、そうだとしても犯人がどうやって密室から逃げ出したのかわからない。芳雄は同じ探偵団員で片思いしてる山添ミチルちゃんと一緒に秘密基地に戻り、調査する。そして、伏せてあった井戸の蓋に犯人が隠れていたんじゃないかと気付く。裏庭のドアを破ったとき、犯人は蓋の下に身を潜めてたんじゃないか。死体を発見して驚いた探偵団が逃げ出した隙に犯人はいなくなったんじゃないか。でも、井戸の蓋は小さすぎて、子供の背丈でないと隠れることができない。

 さて、ここまでならまあ、大人向けの小説でも考える条件は似たようなものだと思う。けれど、実はひとつ、とても特別な条件がある。
 半月前に転校してきた鈴木太郎という子と芳雄は一緒にトイレ掃除をしていた。フトした会話の流れで、自分は神様なんだよと鈴木君が告白する。僕はなんでも知ってる、黒沢君は両親の本当の子じゃないんだ、誕生日は七月十一日じゃなくて本当は七月二十五日なんだよ。
 信じられないと思いつつも芳雄は鈴木君に訊いてみる。英樹は殺されたんだよね。そうだよ。じゃあ神様なら、英樹を殺した犯人に天誅を下せる? いいよ。
 そして放課後、校門で探偵団メンバーを待ち合わせる芳雄。校舎からでてきたミチルちゃんの身体に、大時計から外れて落ちてきた長針が突き刺さり、貫いた。

 ミチルちゃんが犯人? 裏庭で英樹の死体を一緒に発見したのに? 混乱しながらも芳雄は推理する。
 もしかして、俊也が目撃した後ろ姿というのは、英樹じゃなかったんじゃないか。別人が英樹の帽子と服を着てたんじゃないか。裏庭の井戸でみつけたとき、英樹は水面から顔しかでてなくて、身体は藻や水草で隠れてた。あのとき英樹は裸で、探偵団が逃げ出した隙に誰かが英樹の死体に服を着せたんじゃないか。
 ミチルちゃんだ。ミチルちゃんが、英樹の服を隠し持っていて、別の誰かに渡したんだ。そのもう一人の誰かが英樹に服を着せた。ミチルちゃんは共犯者だったんだ。
 鈴木君に、芳雄はそのことを確認する。ミチルちゃんは共犯者なんだね、犯人はもう一人いるんだね。神様はそれを認める。ミチルちゃんともう一人の犯人は英樹にエッチの現場を見られてしまった。だから英樹はミチルちゃんに殺されたんだよ。そのときミチルちゃんの服に血がついた。だからミチルちゃんは服を着替えに一度家に戻るため、英樹の服を借りた。その後ろ姿をたまたま俊也が目撃した。
 もう一人の犯人にも、天誅を下してくれる?神様は了承する。

 芳雄はもう一人の犯人を既に推理していた。英樹に服を着せた人物は、死体を発見したとき密室の中にいたはずだ。でも井戸の蓋には子供しか隠れられないし、物置には埃が積もっていて、誰かいたなら跡が残ったはずだった。
 でも、ひとつだけ答えがある。物置になら、隠れていたとしても不審と思われない人物が一人だけいる。
 それは、父さんだ。物置の中を確認したのは父さんだった。刑事の父さんの足跡が残っていても、それは確認したときについたと誰だって思う。探偵団が死体をみつけたとき、既に物置に隠れていたとしても、埃の跡は見分けがつかない。
 七月二十五日、神様が教えてくれた本当の誕生日、芳雄はケーキを買ってもらう。ロウソクの炎に息を吹きかけると、それはテーブルの向こう側に座る人物に燃え移った。これが天誅なのか。

 けれど、紅蓮の炎に焼かれていたのは父さんではなく、母さんだった。

真相はどこ?

 読書系オフ会では『神様ゲーム』が課題本のひとつだった。参加者の一人、matsuoさんは途中まで読んできていて、ラストのほうをその場で読んでいた。全員、なんだか心さざめく気持ちでそれを見守った。僕は自分の口を手の平で押さえてた。

 天誅が下されたのがなぜ父親ではなく母親だったのか、作者はまったく説明してない。おかしいじゃん、ありえないじゃん、じゃんじゃんじゃんなのにフォローなし。
 僕はいつもそうだけど、な~んも考えてなかった。そーかそーか、あえて矛盾した結末を示したのか。だって鈴木君は神様だもんな、論理的にありえなくてもうなずくしかないもんな。とまあ、たったそれだけしか考えず素直に可愛く喜んでた。ただいま一部不適切な表現がありましたことを山よりも高くお詫びいたします。

 正しいミステリ読者はそんなに単純じゃないわけで。
 読書系オフ会から遡ること三週間、11/6にワセダミステリクラブ主宰「麻耶雄嵩講演会」があった。僕も早稲田大学に初潜入してご尊顔を拝してきた。
 ラストの意味はなんだったのか。神様は天誅を下す相手を間違えたのか。あるいはやっぱり犯人は父親で、愛する妻を殺すことで罰を与えたという意味だったのか。
 作者答えて曰く。鈴木君は神様だった。神様は間違えない。妻を殺すことが天罰?今は大切でも、この先もずっと大切とは限らないじゃないですか(サラッ)。

 となると、どういうことだろう? 本当に母親が犯人だったの?
 とりあえず、父親は犯人ではないと考えよう。母親は物置に隠れていた? いや、その場合、父親は物置に跡をみつけたはず。妻をかばってそのことを隠したのだろうか? いやいや、それじゃ父親だって共犯者なんだから天誅が下されないといけない。警察だって物置は調べただろうし。
 じゃあ、残ったのは井戸の蓋だ。その中に隠れてたんだ。
 でも蓋には子供の背丈でないと隠れられない。やっぱりダメじゃん。

 そんなことはない。ひとつだけ可能性がある。
 母親が、極端に背が低かったら。子供の背丈しかないような大人だったら。
 それなら井戸の蓋に隠れることができる。

 んな、アホな。母親が小学四年生並みに背が低かったなんて書いてないやん。
 確かに、母親の背が極端に低いという直接的な記述はない。強いて挙げると、第一刷 p12 には「ぼくはクラスの中では貧弱なほうで、運動も中の下。母さんが小さいからそのせいだと思うのだけれど、父さんは『おれの子にしては成長が遅いんじゃないのか。』といつも心配している」という文章がある。
 でも、それだけだ。母親の背が極端に低いことを示す記述は他に見当たらない。

笠井先生のお言葉

 読書系オフ会に行く前、僕は東京創元社「ミステリーズ!vol.13」での連載「人間の消失・小説の変貌」を既に読んでいた。で、オフ会で『神様ゲーム』の話題になったとき「僕と似たようなこと笠井潔も言ってましたよ、アハハ~」と触れ回った。
 帰った後、もう一度読み直してみた。自分自身にスッゴイあきれた。ちゃんと書いてあるやん。母親が小人症という成長障害で、極端に背が低かったのではという可能性を笠井潔はきちんと触れていて、でもそれを否定していた。笠井先生とオフ会参加者の皆様申し訳ございません、わたくしは嘘をついておりました!

 笠井潔は二つの問題点から母親共犯説は「普通の本格探偵小説が要求する論理性と説得力という点では」(p374 三段目)成立不可能と結論している。
 ひとつはもう説明したように、母親の背が極端に低いことを示す描写が、直接的にもさりげない間接的な伏線すらもないこと。もちろん叙述トリックといって大事な情報をあえて明示せず読者を勘違いさせる手法があるけれど、そういう場合サスペンスならともかく本格ミステリなら間接的な描写で伏線を提示するはず。
 もうひとつの問題点は、英樹の様子を再確認させたのは父親だということ。「裸の死体に服を着せるトリックは、芳雄たちが二度目に裏庭まで行って、英樹が服を着ていると確認しなければ成立しえない。母親共犯説では、この点に無視できない齟齬が生じてしまう」(p374 一段目)。

 とりあえず母親が小人症だったのかは脇に置いといて、もうひとつの問題点のほうはちょっと僕にはよくわからない。服のトリックは、別に意図してたわけじゃないと思うんだけど。
 英樹を殺したら服に血がついちゃった→しょうがないから英樹の服で着替えてきたら偶然目撃されちゃった→探偵団のみんなが来るから英樹が裸だったのバレないよう井戸に隠した→事故死に見せかけられるよう内側から鍵をかけて密室にした→英樹に服を着せて井戸に戻したら逃げていったはずの探偵団が戻ってきた。
 ただそんだけの話であって、英樹が服を着てることは探偵団でなくても警察が確認してくれればそれで充分だったんじゃないかな。もちろん、たまたま探偵団が一貫した目撃者になったことで不可能性が増したともいえるけど。

 ハ! ここで笠井先生をもっと罵倒しておけば、評論に載せてくれるかも!
 ああ、でもそんなことしたら探偵小説研究会の刺客に襲われるかもしれない!
 どうしよう! どうしよう!

メタ観測者問題

 服のトリック云々は見なかったフリして逃げるとして、もっかい考え直してみよう。
 母親の背は低かったのだろうか。きちんとした伏線はどうもなさそうだ。
 なにか、母親の背が低かったと論理的に結論づける方法はあるだろうか。

 ひとつだけある。
 鈴木君が、神様だったと認めればいい。

 神様は間違いを犯さない。火だるまになったのは母親だった。母親が共犯者なら、井戸の蓋に隠れていたと考えるしかない。井戸の蓋に隠れられるのなら、母親はいくら伏線が無かろうが蓋然性が低かろうが小人症だったと考えるしかない。
 それが論理というものだ。前提を受け容れ、経路に問題がなければ、その結論がいかに確率的に低く信じられないようなものだったとしても受け容れるしかない。

 じゃあ、鈴木君が神様だったという前提を受け容れなかったら? そのときは、笠井潔の結論通り、母親の背が低いという蓋然性は低すぎて認められないから、共犯は父親となる。
 その代わり、時計の針がミチルちゃんを貫いたこととか、ケーキの炎が燃え移るなんていう怪現象はすべてただの偶然か、現代科学では説明のつかない超自然現象だったと諦めるしかないけど。

 作者の繊細なバランス操作に注目してほしい。井戸の蓋に隠れていた共犯者は、別に母親でなくてもいい、子供の身長でさえあれば誰でもよかった。物置に隠れることができたのは父親だけでも、井戸の蓋はそうじゃない。極端な話、神様の鈴木君や、名前しか登場していない須之内という五年生の子でもよかった。
 父親が物置に隠れていたという説と、井戸の蓋に誰か子供が隠れていたという説に、優劣はない。どちらも否定されてない。芳雄が、犯人は父親しかありえないと結論したのは、秘密基地の場所が探偵団の秘密の場所で、他にそこを知ってる子供がいなかったからだ。
 天誅を下されたのが須之内だったら、いっそ井戸の蓋説で丸く収まった。そっか、須之内はミチルちゃんを通じて秘密基地の場所を知ってたんだ、全然伏線が無かったけど神様がそう言ってるんだからしかたないよな、で済んだ。けれど天誅を下されたのが母親だったために、背の低さという蓋然性の問題がでてきた。こうして物置説と井戸の蓋説はバランスを調整され、同じ重さになった。

 物置説、井戸の蓋説、どちらも可能性はほとんど同じ。
 神様を信じるなら作品内論理によって母親が共犯。
 神様を信じないなら蓋然性によって父親が共犯。
 読者が神を信じるか否かが天秤を揺らし、物語内真相を決定してしまう。

 本格ミステリには、探偵役が謎を本当に解けるのかという疑問のひとつとして、観測者問題というのがある。
 例えば犯人が探偵役のことを知っていて、誤った方向に推理を導いたらどうだろう? 名探偵の推理力を逆に利用して、狡猾な偽の証拠を用意していたらどうだろう?
 名探偵という存在そのものが、事件に不可避的な影響を与え、真相への到達を阻んでしまう。

 麻耶雄嵩は『神様ゲーム』を通じて、観察者問題を探偵役―事件というレベルから、読者―物語というメタレベルに変換してしまった。
 真相に到達できないと嘆く名探偵像に対し、そんな悩みは作者の恣意性に過ぎないじゃないかと笑っていた読者を、麻耶雄嵩は名探偵と同じ地上へ引きずり落としたのだっ!