四月二日、MYSCON6にて読書会が行われた。課題本は麻耶雄嵩『螢』(幻冬舎)。
 以下、杉本が作成したカウンターレジュメと、その考察を記述する。

カウンターレジュメ

 読書会に参加した方とは異なり、『螢』を一度読んだきりで記憶が薄れている方も多いと思う。そこで、内容を思い返せるよう、実際に配布したレジュメに記述を足した。
 ページ番号は初版に基づいている。

日付時刻p出来事ポイント
7月15日PM02:008(自分の前世が騎士だったなら。降り続ける雨。対馬つぐみの思い出) 
11平戸と諫早、ファイアフライ館へ向かう車中の会話 
18大村の車が後ろからついてくるか確認 
23大村の車の後部座席から島原が下りてくる 
26長崎に声がかけられる地の文に名前がないことに注意
27千鶴が声を挟む 
PM03:1041佐世保を含む全員がラウンジから二階に移動肝試しのため荷物はラウンジに置かれた
45佐世保が部屋割りを説明するファイアフライ館<部分図>と一致する
54部屋Gに移動、加賀螢司による殺人について説明 
PM08:2071夕食後のラウンジで、佐世保が夜奏曲第一番を披露 
76肝試し 
89女の声に恐怖する大村に佐世保が演出を否定生きている佐世保が確認された最後
95女の声を聞いたのは小松響子の部屋と大村が言及小松響子の部屋の位置が明示されていないことに注意
7月16日AM10:10100(対馬つぐみがジョージに殺害されるまでの回想) 
104暗黙の語り手が「島原と部屋を交換したことを思い出した」 
111電話が消えていることを島原が言及、千鶴が確認 
112島原が書斎で佐世保の死体を発見 
AM10:40118佐世保のワゴンが使われたことをガレージで発見
平戸と島原が車で下山を試みる
 
122ラウンジでボーダフォンを千鶴が拾う 
124戻ってきた平戸と島原により蛍橋の水没が明らかに 
AM11:20128朝の6時、ラウンジに置きっぱなしだった鞄をとりに降りたが、鞄にあるはずのボーダフォンがなかったと平戸が証言平戸のボーダフォンはラウンジに昨夜から放置されていた
132佐世保の死体確認に参加する者を募った平戸に暗黙の語り手が「仕方ないので小さく手を挙げた」以降、平戸+島原のワトソン役を務める人物が諫早であるとは明記されていない
135口紅、短剣の指紋、死体が移動されていたことを発見 
145MCのイニシャルに「松浦?」、島原が「何をわけの解らないことを~」 
147短剣の指紋に適合するものがいないことを確認 
PM02:50152(対馬つぐみに関する回想) 
158平戸+島原と蛍の間に忍び込む 
162五体の蝋人形を発見p164「この顔、どこかで~」という平戸に島原が「写真じゃないですか~」と否定
166「思わず隅の時計を見る。ちょうど二時三十分を差していた」章タイトルにある時刻との矛盾に注意
167千鶴と暗黙の語り手が厨房で会話p174終わりのほうの繊細な表現に注目
PM08:40176二階の廊下で女の後ろ姿を見たという大村がラウンジに飛び込んでくる 
179「松原と島原以外はラウンジにいたしな」と平戸が言及 
182「茄子クンは居てはいけない位置だったんだから~」と平戸が言及ファイアフライ館<部分図>との矛盾に注意。島原が諫早と部屋を交換したのなら、松浦と同じ東側の部屋になる。つまり、暗黙の語り手=諫早ではない。
PM10:15185千鶴の部屋に諫早が呼び出される。ジョージを捕まえるためにアキリーズに入ったことを千鶴が告白。視覚的表現がないことに注意
197「……先走っちゃダメだよ。千鶴。先走っちゃ」 
7月17日AM11:20199ラウンジに暗黙の語り手が降りると平戸+島原がいた 
201厨房にいた千鶴がラウンジに現れる 
204髪の毛に驚かされた大村が風呂から戻る 
209風呂の細工は「昨夜の十時以降に浴槽を覗いた者はなく、それゆえ深夜に」されたと結論 
211平戸+島原とともに小松響子人形の首が盗まれたことを確認 
213島原がAM10:00に蛍の間に入ったこと、その後で自分も入ったことを千鶴が告白。暗黙の語り手が「先走っちゃダメだろ」 
215「小松響子の部屋はたしか茄子クンだったな~」と平戸が言及 
PM02:20216平戸+島原とともに「蛍の間を出た足で~小松響子の部屋へ~ぐるっと一回り」して移動、風呂場に残された文字と一致するか口紅の色を確認ファイアフライ館<部分図>ではCの部屋へ行ったように錯覚するが実際はDの部屋
219平戸の部屋に移動、夜奏曲第二番と、第一番第四楽章のリフレインを聴く 
229玄関の扉の音を聞き、ガレージに行くと佐世保のワゴンが消えている 
232川に突っ込んた佐世保のワゴン、白いハイヒールを発見、しかし口外無用とされる 
PM04:10236千鶴の部屋に諫早が再び呼び出される 
236「昨日のこと長崎さんに話しました?」と千鶴が諫早に確認 
240秘密の通路を発見したことを千鶴が諫早に告白「今朝見つけたんです~島原クンが出てから~時刻が一時間遅れていることに気がついた~平戸さんたちが中にいるときに見たら、正しい時刻に~」 
PM05:00245平戸に雑誌『テトラーク』を見せられ、加賀螢司の妹と島原の相似に気付く 
PM09:10259大村が襲われラウンジに全員集合 
261襲撃者はスカートを履き、FUMIEのペンダント、怪我をしていたと大村が証言 
270平戸と島原が川に行き、PM02:20のときと同じことを発見報告 
PM09:45272諫早が秘密の入り口を平戸らに告白 
278地下の書斎を発見 
285ジョージの犯行現場を発見 
289小松響子の屍蝋を発見 
PM10:15292島原が小松響子との関係を告白 
294小松響子の頭部を盗んだのは自分と島原が告白 
PM11:00300抜け穴が浴室にあること、時計の動作を確認 
303蛍の間で島原がジョージの共犯者について推理するのを暗黙の語り手が立ち聞き 
PM11:50316トイレに倒れる千鶴を平戸が発見。服を脱がせようとする島原を暗黙の語り手がとめる。 
320島原が千鶴に「強引に背後から手を入れ躰を抱き支えた。瞬間、島原の表情が強張る」特に言及がないが、恐らく千鶴が女性であることを島原が気付いた瞬間
322風呂で諫早の死体を発見 
7月18日AM02:35324暗黙の語り手が千鶴の部屋に侵入し、平戸+島原に騙される 
AM02:40328すべての謎が解き明かされる 

考察

 読者は予め真相を推理できるか。再読時はその点に注意して読んだ。
 まず、二つの叙述トリックが使われている。ひとつは、暗黙の語り手が諫早ではなく長崎であること。もうひとつは、千鶴が女性であることを長崎以外は知らなかったこと
 前者については明示されていた。p45で佐世保が説明した部屋割りは冒頭のファイアフライ館<部分図>と一致する。その後、p104で暗黙の語り手は島原と部屋を交換している。それを踏まえると、p182の記述から暗黙の語り手が諫早ではないことが明らかになる。
 叙述トリックが使用されていても、そのトリックによる見せかけの前提のままでは矛盾となる事実が明示されているならば、フェアである。個人的にはそう思っている。
 後者についてはp328以降にある島原の推理通りのため、ここでは繰り返さない。

 このように、二つの叙述トリックについては予め明示されていた。では、ジョージの共犯者についてはどうか。
 p166にある時刻の矛盾、p300で確認された抜け穴と時計の動作から、p303以降での島原の推理通り、抜け穴を使った人物が共犯者となる。
 それは平戸と島原、暗黙の語り手以外である。そしてボーダフォンに関する推理から大村が除外され、千鶴は共犯者として不自然なことから除外された。残りは一人である。ここで第一の叙述トリックが鍵となり、長崎ではなく諫早が共犯者と判明する。

 しかし大村と千鶴を除外する論理は厳密ではない。
 例えばボーダフォン以外の機種がラウンジにあったにも関わらず、あえてボーダフォンが使用されたならば、異なる機種でも圏外となることを確認したかったという推理の蓋然性は高い。しかし、ここでは平戸のボーダフォンが借用されたことしかわかっていない。確実に圏外であるか確認するため、機種とは関係なしに、たまたまラウンジにあった平戸のボーダフォンを借用したとも考えたくなる。
 千鶴については更に曖昧になる。階段の手摺を壊したこと、ヤシの鉢植えを倒したこと、肝試しで最後まで残ったことを挙げているが、推測の域をでない。

 叙述トリックがない従来の本格推理小説ならば、ジョージの共犯者を推理する消去法が最も重要な場面となったと思う。それこそ鍾乳洞で皆を前にして名探偵よろしく島原が推理を開陳する、という筋にでもなったかもしれない。
 しかし実際には、叙述トリックに関しては厳密でありながら、共犯者の推理については曖昧さが残る。そもそも佐世保を殺害した犯人については、FUMIEなのか長崎なのか推理では到達できない。
 古典的な本格推理小説では叙述トリックなどなく、殺人犯を推理することこそがなによりも重視され、作中では殺人を犯していないジョージの共犯者を巡る推理は、真犯人を推理するための材料のひとつとなっただろう。
 しかし『螢』ではそれが逆転している。

 これをどのように解釈すべきだろうか。
 いわゆる「新本格」当初、九十年代の叙述トリックは、読者に驚きを与えるためのものという印象が強かった。それが『螢』によって、古典的な本格推理小説のように、再読することで伏線や作者の技巧を味わう技巧に昇華したとも言える。
 あるいは、叙述トリックに注意が集中することで、中心となるべき犯人推理のための論理がおろそかになり、ミステリマニアしか楽しむことができない失敗作になったとも言える。

 こうも言えるかもしれない。
 本格推理小説の多くは犯人という絶対悪を名探偵という絶対善が裁く。しかし『螢』では善と悪の構図が複雑に入り組んでいる。主観と客観さえ相対的に入れ替わる。
 一般的に文学は長崎のような人物をどのように描くだろう。恐らく、このような人物でもよいところがあるという偽善を描くか、あるいは外観の歪みをそのままアンチヒーローとして描くことになると思う。
 長崎という人物の歪みを、読者に歪みと認識させず真の意味で伝えるために、本格推理小説の端正な構図を歪めた。『螢』は、他の文学ジャンルでも、従来の本格推理小説でも、決して描くことのできない人物を描いた。
 麻耶雄嵩は歪んだ鏡を提示し、その歪みの中でしか見えないものを指し示すことで、本格推理小説をユークリッド幾何学から解放した、などというのは言い過ぎだろうか。