はじめに

 この文章は、ライトノベルと本格ミステリの関係について、MYSCON5にて交わされた雑談をまとめたものです。あくまで杉本の理解であり、その場にいらっしゃた識者の方々のご意見が正しく反映されていない恐れもあります。おまけに杉本は雑談には途中参加でしたし、その後も何度か中座しています。他の方のMYSCONレポートも参考にして頂ければ幸いです。
 なお、杉本は正直ライトノベルをろくに読んでいません。ええ、ドクロちゃんなんて読んでないザンス。従って以下はライトノベル読みの達人すなわちラノベマスターには笑止千万な記述があるかもしれません。お気付きの点があればメールフォームにご指摘頂ければ幸いです。
 なおライトノベル、あるいは「かつて子供だった大きなお友達のための商品」について、出版社、書店に関する貴重なお話を頂いたのですが、どこまで公にしていいのか判断できないので略します。
 更に「萌え」についても議論が沸騰したのですが、これについても省略します。やっぱね、個人の価値観がね(以下略)。

ライトノベルの定義

 上述の通り杉本は途中参加なのでよくわからないのですが、もとはMYSCON5個別企画「お薦めライトノベル・ミステリ10作品」が発端のようです。雑談の輪の中心にMYSCON5 お薦めライトノベル・ミステリ10作品のリストがありましたし。で、そこからライトノベルとミステリの関わりについて議論が始まったようです。まあ、近田鳶迩さん市川憂人さんのレポートを期して待ちましょう。
 で、そもそもライトノベルとはなんぞや。
 結論から言うと、用語自体が1990年代に生まれたばかりで、共通認識としての定義なんぞない、ということのようです。
 文字通りだと「ライト=読みやすい」小説になりますが、さすがにそれは大雑把すぎる。有栖川有栖だって読みやすいじゃん。清水義範もライトノベルかい。印象としては「低年齢向け小説」になりますが、現在は二十代にだって売れているそうで。週刊少年ジャンプをサラリーマンが読んでて違和感ないご時世ですからのう。
 いちばんスパッとした定義はレーベルでわけるということになるでしょう。この出版社の××文庫からでているからライトノベルだ、という。でも角川スニーカー文庫から稲生平太郎『アクアリウムの夜』がでたり、同じく角川スニーカー文庫の乙一や米澤穂信が他の出版社から本をだしたり、また講談社ノベルズのほうで明らかにライトノベル読者を意識した作品がでたりしてますので、あまりうまくないようです。

 こういうときは本格ミステリ伝説のときと同じく、構成要素から見ていくのがいいでしょう。ということでライトノベルのイメージといえば、それはやっぱ「ライト」であるということに限ります。そしてライトさを実現しているのが文章の読みやすさや萌え、個性的で魅力あるキャラクタと萌え、リーダビリティが高くそれでいて決して複雑ではない物語と萌え、イラストやメディアミックスによる映像への親和性と萌え、ということになるでしょうか萌え

 で、それを踏まえてでた結論が(多分、市川憂人さんがおっしゃってたと思うのですが)「SFは設定、ミステリはプロット、ライトノベルはインタフェース」というものです。
 まずSFは設定がSFでなければSFではない。例えばスペースオペラは宇宙船やロボットやライトセイバーがでてくるからSFなのであって、話の内容は神話や西部劇なんかと変わんなくていい。
 ミステリはプロットがミステリでなければミステリではない。つまり謎の提示と解体という基本プロットがなければ、格好いいだけで謎解きをしない名探偵や永遠に解けない密室がでてくるようではミステリにならない。
 そしてライトノベル。読者に物語の心地よさを与えてくれる装置がインタフェースとして介在しなければそれはライトノベルではない。猫耳がでてきても「私達の種族の命運をかけた、これは最後の戦いになるだろう」と剣を手にとり死地に赴くダークでアンハッピーな話は……いや、それはそれで……。

 現在、六十代以上の世代辺りには「リアリティがなければ感動できない。嘘っぽいものはダメ」という感覚があるように思われます。
 しかしマンガ文化が隆盛を極め、SF映画では特撮やCG技術が発達し、リアリティとは無縁のテレビゲームに徹夜することで、いつの間にか「物語にリアリティの欠如した快楽装置が現れること」に対する慣れが世代を追うに連れ増してきています(動物化?)。
 この動きの結果としてでてきたのが「ライトノベル」なのではないでしょうか、と結論付けるとなんか評論家っぽくて格好いいなぁ~。

ライトノベルはミステリと相性が悪いのか?

 ミステリをライトノベルでやっていこうぜというレーベル(例えば富士見ミステリー文庫)もいくつかある(あった)のに、どうして『金田一少年の事件簿』とか『名探偵コナン』みたいなブームの起きる作品がないのか。ライトノベルとミステリは構造的に相性が悪いところがあるのではという疑問。
 例えばSFはライトノベルと凄く相性がいい。SF設定のライトノベルを挙げていけば限りがないでしょう(限りがないほどライトノベルを読んでないので杉本には実際は無理だけど)。
 それはなぜかというと、ライトノベルは読者に心地よさを与えるためのインタフェースを実現することが目的であり、そのためには現実を無視したSF設定がとっても便利だからだ、と考えられます。ええ、異世界から女の子がやってくるなんて全部SFですよ、わかってますって、シクシク。

 ところがミステリはどうか。例えば飛田甲『幽霊には微笑を、生者には花束を』(ファミ通文庫)という作品があります。この作品はヒロインの特性が解かれていく過程がプロットとなり、同時に物語としての感動を喚起します。つまりヒロインの特性=ライトノベルとしてのインタフェース=ミステリとしてのプロットを実現しているわけです。
 しかし、こんなのはむっちゃ難しい。ホイホイ思いつけるアイデアではありません。しかもヒロインの特性という謎が解けてしまったら次の話はありません。つまり、シリーズ化できないという弱点があります。
 つまり「心地よさとしてのインタフェース」と「謎解きプロット」を融合させることは可能なんですが、そのようなアイデアは稀ですし、ミステリとして謎解きがされてしまうと再利用できません。
 例えば荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』のように、毎回違う特殊能力者が登場してバトルを繰り広げるタイプならばシリーズ化も可能ですが、こんな設定も簡単に思いつけるものではないでしょう。
 あと、謎解きプロットは最初の調査部分が(ライトノベル読者にしてみれば)地味でメンドイとか、そもそも基本プロットが毎回同じというのは(ライトノベル読者にしてみれば)面白くないとかあるでしょう。
 こんな風に考えてみると、確かにライトノベルとミステリは相性が悪いのかなという気がしてきます。

ミステリはライトノベルに進化する?

 逆に、ミステリからライトノベルへの方向性もあるのではないかと感じられます。
 例えば、そもそも「新本格」作品によくあったサプライズ・エンディングこそ読者に新しい心地よさを与えた「ライトノベル」だったと言えます。また、名探偵やその周辺登場人物への「キャラ萌え」なんぞ言わずもがなでしょう。
 こう考えると、かつて論理ガチガチで古めかしくてどれも同じような印象しかなかった本格推理小説が、ライトノベル化していったのが「第三の波」の歴史だと言ったりしたら探偵小説研究会の刺客に命を狙われそうだから曖昧にごまかしちゃおっと。僕、なんか言いましたっけ?
 さて、このような流れの先端がメフィストであり、そして更に最先端がファウストであると思われます。エエ、まあ、そのね、迂闊に説明なんかしないでおこうっと。

 さて、ここでフト思いついたこと。
 例えば昨年、有栖川有栖の短編集『スイス時計の謎』(講談社ノベルス)が探偵小説研究会『2004 本格ミステリ・ベスト10』(原書房)で二位を獲得しました。アンケート回答を読むと、やはり表題作と同題の「スイス時計の謎」についての評価が高いようです。
 ところがこの作品、凄くパズル的な作品なんですね。もちろん本格ミステリは論理性を重んじるわけですが、それでも「スイス時計の謎」はそのままパズル集に載せられるくらい厳密でフェアなパズルだったのです。
 実際、小説としてどうかという声も一部ありました。杉本は楽しみましたが「マニアック過ぎるんとちゃう?」とも思ってました。それが二位だったわけです。
 また高田崇史の千葉千波シリーズではパズルそのものを大量に散りばめており、ミステリ系サイトで話題になりました。
 第三の波というとロジック、マジック、ガジェットの三つの特徴がありました。ガジェット、すなわち本格ミステリ特有のキャラクタや舞台は既にライトノベルへ移植されていますが、あまり成功しているわけではないようです。マジック、すなわち叙述トリックなどによるサプライズは本格ミステリとして売れ行き好調です。しかし、サプライズはある程度のリアリティがないと難しいのではとも思うのです(具体的作品名を挙げたいのだけどネタバレなので自粛)。
 さて、ロジック、すなわち論理性の高いパズラーはどうか? パズラーはもともと現実から遊離した感覚があります。ライトノベルではロジックのためにリアリティを無視した設定を好きなだけ持ち込んで構いません。
 本格的なパズラーは第三の波でもそれほどにぎわってはいないように感じられます。パズル性やゲーム性の喜びもインタフェースだと考えれば、こちらの方向でミステリとしてもライトノベルとしても新しい小説が誕生する可能性があります(この意見を杉本が口にしたとき、滅・こぉるさんが一声「一人の芭蕉の問題」とおっしゃったのが見事でした)。
 ライトノベルのインタフェースと本格ミステリのロジックを両立した、最先端のハイブリッドパズルストーリーが登場するのも、そう遠いことではないのかもしれません。

 ……ん、待てよ、ライトノベルで、パズル性高い作品というと。
 ……黒田研二『嘘つきパズル』(白泉社My文庫)……。
 ……気が付かなかったことにしよう……。