終電を逃したのはわかっていた。タクシーをつかまえるため、駅に向かって霧崎、坂上、私の三人は歩いていた。空気はひんやりし、すれちがう人も少ない歩道は、空虚な明るさに満ちている。財布を膨らませた老人とは、方角違いで既に別れていた。
 しばらく会話もないまま歩いていたが、不意に霧崎が切り出した。
「おかげで助かりました」
「いや、なに、お構いもできませんで……なにか、いいアイデアが湧きそうですか」
「解決しました」
 坂上が不審そうな表情で霧崎を見る。
「あの老人が、五十円玉二十枚男だったんですね」
 長旅の疲れか、散財のショックだな、と私は思った。
「三つ目、その他の場合だったんですよ……男は、五十円玉そのものが目的ではなかった」
「札の方だったのか」
 投げやりな調子で坂上が返す。
「いいえ、十円玉です」
 私は坂上と顔を見合わせる。さっきの賭のことだろうか? 霧崎はシャツの胸ポケットから煙草を一本取り出す。
「この煙草、店の近くにあった自動販売機で買ったんです。あのお爺さん、恐らくどこか近くで見張っていたんでしょうね」
 バーに到着する前のことを思い出す。そう、裏通りに入る目印にしていた煙草の自動販売機の角を曲がり、そしてあの老人が道路の向こう側に立っていた……。
「あらかじめ、五百円玉や百円玉を何度も投入し、お釣りレバーで返却して細かいのに変える。そうするとどうなるでしょう? 自動販売機の中から、五十円玉がなくなるんですよ。他の硬貨と比べて、枚数が少ないですから。その状態で煙草を買うとどうなるか。お釣りとして最大で九枚もの十円玉が財布の中に一度に溜まるんです。私の場合がまさにそれでした。十円玉を八枚とか九枚も財布に入れることになった人物、そしてあのバーを訪れる人物、老人はそれをずっと待っていたんです。賭のカモにするためにね。もちろん、財布の中身を見せることになるので、溜まった五十円玉は適当に両替を済ませておく必要があった――飲みに来るサラリーマンが集まる土曜の夕方が、この賭けに適した日時でした。ただ、その時間帯は銀行が閉まっている。溜まった五十円玉を握りしめて、あのお爺さんはそのまま親切な書店に両替に行った、というわけです」
 ライターで火を点ける。暗がりに煙草の先だけが明るい。
(今夜最後の賭をしてるのさ)
 老人の言葉が、今更のように脳裏によみがえる。
「マスターも、当然グルだったんだな」
 ぽつりと坂上がつぶやく。まったく、なんて強かな。
「そういえば霧崎さん」
 思い出して私は訊ねた。
「賭けの直前に、そういうことだったのか、とか言ってましたよね。もしかして、あのときにもうわかったんですか?」
「ええ、まあ」
 煙を吐きながら、霧崎は二、三度まばたきする。
「だったらなぜ、賭けにのったんですか」
「いやまあ、なんというかですね」
 また煙草をくわえ、気持ちを落ち着けるようにしてから、霧崎は煙草を指先に移した。
「ああ、これでもう五十円玉のことなんぞ考えなくていい、と思ったら、急に気が大きくなりましてね」