アブストラクト
謎とその論理的な解決を主眼としてきた本格推理小説は、その様式の熟成と改革を繰り返すことで多様性を獲得してきた。しかし、多様性の獲得に対してフェア・プレイ精神の失われた作品も生じてきている。本論文では、フェア・プレイに徹した犯人当て小説を制作するため、論理学レベルからの考察を行い、第二レベル本格推理小説を第三レベル本格推理小説に変換するための、フェア・プレイ変換規則を提案する。
第一章 はじめに
第一節 見過ごされがちな常識について
「謎」とはなんだろうか?
「本格」とは? 「新本格」とは?
ある者は自信を持って定義を述べるだろう。また、別の者は「自分はこう考えている」と、断りをつけた上でこだわりを示す。この種の議論を多く繰り返したミステリ・ファン、ミステリ・マニアの多くは、そのような言葉の定義を巡る議論についてやがて静かな諦めを示すようになる……少なくともその多くは。
例えるならば、言葉の意味というのはハサミの使い方に似ている。ハサミだけを調べても、その使い方はわからない。しかし、紙をジョキジョキ切り始めれば、誰の目にもハサミの使い方は明らかだ。言葉の意味も、それがどのように使われるかによって顕れる。しかし、ハサミならば誰もが同じ使い方しかしないが、言葉はそうではない。
共通の理解のためにその意味が約束された科学用語や専門用語はともかく、いまから始めようとする奇妙な論考のためには、ハサミの使い方を示さなければならない。
第二節 論考の進め方
本論文では、犯人当て小説におけるフェア・プレイを実現するための方法について考察していくが、そのためには、まず「謎」「本格推理小説」「フェア・プレイ」といった用語をこの論考においてどのような意味で扱うか、読者と論者間で共通の理解を得るために定義が必要となるだろう。これを第二章で述べていきたい。
次に、第二章での用語定義を元に、いわゆる「新本格」と呼ばれる作品群の中で顕著だった第二レベル本格推理小説についての考察を行い、第二レベル本格推理小説をフェア・プレイの条件が満たされた第三レベル本格推理小説に変換するための規則について、第三章で述べよう。
第三節 補足
さて、ここら辺りまで読まれた方はもう気付いていると思うが、この論文は実際の推理小説作品、探偵小説作品について、その内容に触れたり社会との接点を論じたりするたぐいのものではない。もし本格推理小説学という学問が存在するなら、この論文は理論本格推理小説学の分野に属するだろうか。
もちろん、読者の興味を持続させるため、実際の推理小説作品群の構成やその歴史について触れる(ようにみせかけた)箇所もあるが、それはあくまで無責任な論者の類推、アナロジーに過ぎない。
以下に定義する用語についても、出版および評論でよく見かける用語と(偶然にも!)一致する言葉が多いが、それは偶然に過ぎない。なにより、この論文で定義された用語はあくまでこの論文内でしか意味を持たないことに留意されたい。ただしもちろん、あなたがメールや雑文を書くときに「あの杉本@むにゅ10号の変な論文での意味で使ってるけど」と注意した場合は(あなたの責任において)意味を持つことができるだろう。
第二章 本論文で使用する用語の定義
第一節 定義の方法
さて、では用語の定義からとりかかろう。
しかし考えてみると、言葉の定義を言葉で行うというのは悪循環を導きそうだ。「AとはBである」と定義したとして、読者と論者の間でBについての意味を全く別物にとらえていてはなんにもならない。では、我々の共通の理解のために、どんな物差しを使えばいいのか?
そこで、言葉の定義を記号論理学……もしくは記号論理学ライクに行うことにしよう。記号論理学とは、例えば「AならばB、かつBならばCのとき、Aが真ならCも真」(三段論法)というアレのことだ。少なくとも、太陽系第三惑星に生息している「人間」という生物と同じ思考回路を持っている宇宙人のあなたとなら、これで厳密な言葉の定義ができることに納得してくれると期待している。
第二節 謎とは?
では、まず「謎」とはなんだろうか?
一般に犯人当て小説と呼ばれる作品では「誰が犯人か?(フーダニット)」という問題、すなわち謎が提示されることが多い。
例えば、A、B、Cの三人が登場人物の犯人当て小説を考えよう。フーダニットに対する解は、次の三つに絞られる。すなわち「Aが犯人」、「Bが犯人」、「Cが犯人」。
このとき、謎とは「Xが犯人」のXにA、B、Cのどの記号が当てはまるか、という疑問になるだろう。
(論注1:論理学および本格推理小説の論理展開に熟知している方なら、共犯という解、すなわち「AとBが犯人である」等の解もあることに気付くだろう。また「Aのみが犯人である」ことを証明するには「Bは犯人ではなく、かつ、Cも犯人ではない」もまた証明しなければ完全ではない。しかし、ただでさえ堅さに読んでて頭の痛くなるこの論文の読者をさらに減らさないためにも、これ以上の小うるさい話はできるだけ控えたい。論理の非厳密性には、気付いた方が広い心で目をつぶっていただきたい)
(論注2:また、さらに年期の入ったミステリ読みなら「作者が犯人」や「読者が犯人」の解も考えるだろう。しかし、ここでは論を簡単にするために、作品内世界における作品内現実に話を限ろう)
さて、これで「謎」とはなにか定義できるだろうか? いやいや、肝心なことが抜けている。「Xが犯人」が真である証明するには、他にどんなことが真であるのか、すなわち伏線がなければいけない。
たとえばこうだ。「Aにはアリバイがある」、「Bにはアリバイがない」、「Cにはアリバイがある」、「犯人にはアリバイがない」……この四つが真のとき「Xが犯人である」を真にするXに当てはまる値は明らかだろう。
ここで賢明な読者ならば、さらにその四つの文章が真であることはどうやって判定するのか、という疑問を持つかもしれない。だが、安心してほしい。この犯人当て小説で謎なのはあくまで「Xが犯人」であって「Xにはアリバイがある」ではない。
そろそろいいようだ。では「謎」の定義を行おう。
- 謎とは、真偽の明らかでない文「XがY」である
- 謎を解くとは、伏線となる複数の真の文に対し、論理的な操作を施すことで謎「XがYである」のXに値を入れたときの真偽を明らかにすることである
第三節 本格とは?
さて、これでめでたく謎が定義できた。しかし「本格推理小説」を定義するにはもうひとつ注意しなければならないことがある。
我々が文章を読むときは、言葉ひとつひとつの意味が論者と同じであるかを確認したりはしない(この論文は例外だ)。科学の分野ではひとつひとつの用語の意味がお互いに違うものにならないよう注意されているが、小説で使われる文章はそういうわけにはいかない。しかし、まあ、なんとかなっている。「犬はワンワン吠える」という常識は誰もが持っているものとされているので、小説の中で「犬」という単語がでてくれば、自動的に「犬はワンワン吠える」が真となる。例え、その小説の中で「犬はワンワン吠える」という文がでていなくても、自動的に「犬はワンワン吠える」が真となるのだ。
おいおい、そんなのは当たり前だろうとあなたは言うかもしれない。そう、確かに当たり前だ。しかし本格推理小説がなにかを論じようとする者にとっては大問題だ。
先ほどの謎の定義によれば、謎は伏線が明らかでなければ解くことができない。だが、小説内に記述された文から、いったいどんな文が真になるかが、必ず論者と読者の間で一致するとは限らないのだ。例えば、犬の吠え声がバウワウと聞こえるアメリカ人に「犬の吠え声を聞いたのが犯人である」、「Aはワンワンという吠え声を聞いた」という文から「Xが犯人」という謎を解けるだろうか?
このことを踏まえて、以下の定義を行おう。
- 小説内で提示された伏線のみから、提示された謎を解くことができる小説を「第0レベル本格推理小説」もしくは「犯人当て小説」と呼ぶ
- 小説内で提示された伏線に加えて、作者の想定する読者にとって小説の文から暗黙に真となる文からなる伏線から、提示された謎を解くことができる小説を「第1レベル本格推理小説」もしくは「本格」と呼ぶ
第四節 フェア・プレイとは?
では、謎解きにおけるフェア・プレイとはなんだろうか? 第0レベル本格推理小説だけがフェア・プレイを実現できるのだろうか?
確かに、小説を読める誰もが論理的思考でもって謎を解くことができるのがフェア・プレイなら、フェア・プレイを実現できるのは犯人当て小説のみだろう。論理学の世界では、この論文を読んでいるあなたが本格で提示される謎を必ず解けるとは限らない。バウワウと吠える犬のことを思い出してくれればそれは明らかだ。
だが幸いにして、いわゆる「常識」というものは強力だ。作者は犬がワンワンと吠え、ステレオを大音量で響かせる隣人は迷惑なものであり、真っ赤なリンゴは美味しそうだということを読者に期待できる。先程の本格推理小説の定義で「作者の想定する読者にとって……」とことわったのは、つまりはそういうことだ。
このように考えてみると、犯人当て小説には解答編が必要ないが、本格には謎解き場面がどうしても必要だということがわかる。なぜなら、犯人当て小説は問題編で提示された文により完全に謎が解けるが、本格は読者が小説外で認めた伏線と、作者が小説外で設定した伏線が一致することを、謎解き場面で確認しなければならないからだ。
さて、ではフェア・プレイを「推理する」という用語と併せて定義してみよう。
- 「本格」とは、提示された謎を「推理する」ことで解く小説である
- 「推理する」とは、小説内で提示された伏線のみから、もしくはそれに加えて、作者の想定する読者にとって小説の文から暗黙に真となる文からなる伏線から、提示された謎を解くことである(前節の本格推理小説の定義を参照)
- 「フェア・プレイ」とは、推理により提示された謎を解くことができることである
従って、第0レベル本格推理小説と第1レベル本格推理小説はフェア・プレイを実現できる。長かったけれど、以上のことを踏まえて第三章に移ろう。
第三章 第三レベル本格推理小説に向かって
第一節 本格から新本格へ
さあ、いよいよ本論文でもっともスリリングでデンジャラスな論考に入ろう。なに? 本格推理小説をあんな定義の仕方した時点でかなり危なっかしい? 甘い甘い、これからもっともしてはいけないと言われている「新本格とはなにか?」の考察に入るのだから……おっと、違った、この論文で使う用語は、あくまでこの論文の中だけの定義だった!
それでは、気をとりなおして次の定義を読んでいただきたい。
- 伏線から、謎を解くことができる小説を「第2レベル本格推理小説」もしくは「新本格」と呼ぶ
おや、これは犯人当て小説や本格の定義とどう違うのだろう?
前の章での定義と比べてみればすぐわかるが、要するに「提示する」が抜けているのだ。なに、それだけかって? 充分充分。この意味を考えれば、本格から新本格への飛躍はハッキリしている。
第二節 新本格の多様性
まず、知的ゲームの進化という観点の立場で本格を進化させた場合、なにが起こるだろうか?
作者は考える。できるだけフェア・プレイを守り、なおかつ読者が謎を解けないようにするにはどうすればいいか?
ひとつの解決方法は、こうだ。伏線から謎が解けるのなら、謎が解けないようにするためには伏線を読者に気付かせなければいい。気付かせないためにはどうするか? それはいろいろある。謎を解くためには全く不要な伏線をこれみよがしに提示したり、必要な伏線をできるだけ散らしたりする。しかし、これはまだいい。伏線はけっきょくは推理できる形で提示されるのだから、読者が作者の技術を見破る力を持つまでの話だ。いわば、本格の定義における「作者の想定する読者」が、きわめて限定されている状態と同じだ。そういう意味で、この段階ではまだ「準本格」とでも名付けたい。
さて、これでもまだ飽き足らない場合は? そして考えられたのは小説外から間違った伏線を与える方法、いわゆる、叙述トリックだ。
小説内ではあくまで真の文のみを記述する。しかし、読者はその文から、小説外の文を暗黙理に真とみなす。そして真とみなした文を前提と勘違いするがために、どうしても謎を解くことができなくなるわけだ。
提示しないのは前提だけではない。謎もまた提示しないことができる。どうでもいいようなストーリーが続いていたかと思うと、突然それまでのストーリー中の小さな出来事がつながって、実はちゃんと謎を提示してたんですよというアレだ……て、なにを言ってるんだ、本当の小説作品とは関係ないってば。
さて、これらはフェア・プレイだろうか? 叙述トリックを例に考えよう。定義から考えれば、叙述トリックを使われると推理できない。つまり、第2レベル本格推理小説は必ずしもフェア・プレイではない。第1レベル本格推理小説より制約が緩くなったぶん、謎を解くための前提条件が完膚無きまでに無視されているのだから仕方がない。
第三節 第3レベル本格推理小説
前節では、第2レベル本格推理小説の以下のような多様性を示した。
- 伏線が提示されない(隠される)
- 間違った伏線を与えられる
- 謎が提示されない
1.については構わない。ただし、この方面であまりに技術が高度になっても、フェア・プレイで挑戦できる読者が少なくなるだけとも考えられる。パズルが卵探しに変わってしまうのも、ある意味望ましいことではないかもしれない。3.については論外だ。提示されていない謎についてフェア・プレイをどうこういうことはできない。
しかし、2.についてはどうにかならなくもない。以下に第3レベル本格推理小説を定義しよう。
- 小説内に提示された伏線から、小説外の謎を解くことができ、そうして求めた解から、提示された謎を推理することで解くことができる小説を「第3レベル本格推理小説」あるいは「応用新本格」と呼ぶ
おわかりだろうか。いわば、小説内の文では提示されない「暗黙の謎」について解かなければ、伏線がそろわず、従って謎を解くこともできない小説だ。
先程の叙述トリックの例なら、ある小説外の文について真と錯覚させる小説内の文(従来の叙述トリック)だけでなく、その小説外の文が偽であることを証明できる文も小説内に記述するのだ。これが、この論文で述べたかった「犯人当て小説のためのフェア・プレイ変換」だ。ああ、本当に長々と馬鹿馬鹿しい話をしてしまった。