さようならの日

 春になると僕は同じ夢をみる。それは夕暮れの高速道路から始まる。ハンドルを握りしめ、フロントガラスの向こうに目を凝らす。無限に連なるオレンジ色のライトに惑わされて、ブレーキペダルは右足だったか左足だったか思い悩んでいる。現実にはペーパードライバーの僕が思い切って爪先に力を込めるとそれはアクセルで、急加速した車体はガードレールを突き破り、朱一色のなにもない空間に躍り出る。無重力の恐怖にふるえながら僕はゆっくりと意識の明度を上げていく。今年も始まったなと思いながら目が覚める。
 車はダメだ。列車に乗ろう。僕は車窓から過ぎゆく夜景を眺めている。どこかの湖なのか黒い水面が広がり、遠く対岸に民家の明かりが点々と連なっている。まばゆくライトを灯したモーターボートが仄白く波を立てながら遠ざかる。不意に違和感を感じて手の平を広げる。手の平の真ん中に白い石のかけらのようなものが転がっている。なんだろう、これは。なにか動物の骨のようだけど。
 通路に人影が立ち止まる。見上げると黒い礼服を着た男が立っている。なんだ、お前もいたのか。そう声をかけてきた相手の顔は黒い霧がかかっていて誰だかわからない。小学校のときの同級生だ。そんな直感だけがなぜかひらめいて僕は破顔しながら久し振りだねと応える。お前も葬式にでるの? そう問いかけながら僕は自分も喪服を着ていることに初めて気付く。葬式? 誰の? 線香の香りにくるまれながら、僕はゆっくりと目を覚ます。
 列車は駅に到着したのだろう。そうでなければこの道を歩いてるはずがない。工場跡地と線路に挟まれた細く長い路地を僕は母校目指して歩いていく。真夜中の路地は明かりひとつ無くて足下が覚束ない。遠くにラブホテルのネオンが輝いている。闇の中、ピンクと水色のそれは宙に浮かんでいるように見える。左右から聞こえてくる話し声のどちらに意識を集中させようか悩みながら歩いていると、まだ火の灯っている煙草が黒いアスファルトの上に落ちていて、炎の橙色が網膜に滲んで美しい。キー坊はどうしたんだ。誰かが声をあげて僕は耳をふさぐ。お願い、まだ目覚めたくないんだ。
 僕達は夜の校舎に忍び込む。金属バットや包丁を手にしたクラスメート達が階段をのぼる。遠くから救急車のサイレンが響いてくる。三階に上がると僕はかつての自分達がいた教室へと歩いていく。キー坊はどこに行ったんだろう。こんな悪いことは、いつだっていちばんに参加してたのに。教室の扉を開けると会議でもするみたいに机と椅子が円形に並んでいる。机と椅子が取り囲む床には血と肉片が散らばっている。飛び散っている短く白い毛からそれは兎だと気付く。長い耳と黒い眼球が福笑いのように並べられている。
 どうして誰も来ないんだろう。あんなに騒いでいたのに、みんなどこにいったんだろう。窓の外が明るいのに気付いて僕は窓辺に歩み寄る。朝焼けの空に白く乾いた校庭が照らされている。校庭いっぱいに巨大な時計の文字盤が描かれている。複雑な蔓草模様に縁取られた文字盤の真ん中に、ぽつんと立っている人影がある。体操服姿の人影が僕を見上げる。遅かったね。あんなに遠いのに、キー坊のつぶやきは確かに僕の耳に届いた。長く伸びたキー坊の影が時計の針のようにカチリと動いて、ギリシャ数字の十二を指す。
 そうだ。僕達は約束したんだ。卒業式の晩、校舎に忍び込んだ僕らは、校舎裏の小屋から兎を盗みだして教室で切り刻んだ。三十二人のクラスメート、三十二に分割した骨を、一人がひとつずつ持ち帰った。いつか集まろう。いつかまた、ここに来よう。真夜中の教室でそれを組み立てれば、僕らと一緒に卒業できなかったキー坊がきっと蘇る。
 けれどそれは夢の中で、僕はそれがどこまで嘘なのか本当なのか思い出せないまま忍び泣く。朝陽の射し込む教室の片隅にうずくまったまま、僕は過ぎゆく春を惜しんでいる。

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