くだらないことでも書こう

 なにかくだらないことでも書こうと思った。
 そもそも「くだらないこと」とはなんだろう。役に立たないことだろうか。しかし「約束の時刻まで余裕があったので、くだらないことをして時間をつぶした」という言い回しはよく使われる。このとき「くだらないこと」は「時間をつぶす」という目的に役立っている。
 すると、あえて意義の薄いことをするという意味か。だが「くだらない人生だった」という文章は不自然ではないだろう。これは人生を省みて、もっと有意義なこともできたはずということだろう。あえて意義の薄いことばかりしてきたという意味にはとれない。
 整理しよう。自発的に意義の薄いことをするのも「くだらないこと」だが、第三者にとって有意義とみなせない行為も「くだらないこと」だ。ある文章がくだらないか否かは、読む人がその内容を有意義とみなせるかどうかも影響してくる。
 なんということだ、ある文章がくだらないか否か決定するのは読む側にあるとすれば、書き手である私がくだらないことを意図的に文章にするのは不可能ではないか。これを読んでいるあなた、私はくだらないことを書けていただろうか。
 ああ、くだらないことを書いた。